公園の桜の葉がすっかり赤く染まっていた。
桜は春に淡いピンク色で愛でるものと思いこんでいる。
秋にもこんなに美しく楽しませてくれるなんて。
きっと何度もこうして、繰り返し気づかせてくれているのだろうけど、そのたびに感激しては、また忘れ、日々の些末事に埋もれていく。
他の多くの大切な事と同じ様に‥‥
春の桜が慎ましい花を開き、それでいて薄いピンク色を妖艶にたたえ、これでもかと言うような華やかさで立っているのに比べ、秋の桜はひそやかだ。
妙齢の女のごとし。
小さな花をつけ黙って微笑む春の桜。その奥にあるのは、私を見ろと言わんばかりの傲慢さ。野望とか野心とか。欲望とか。
それが、傲慢で、それが、野望とか野心とか、それが、欲望とか、そういう名前がつくのだと知る前に、あっけなく散りゆく。
儚さと残酷さと。人の若さにも似た、営み。ただの営みなんだけど。
秋の桜は、自分が主役で無いことを知っている。
春のように華やかに散ることはなく、一つ二つ、やっとの思いでしがみつく丸い葉を、丁寧に選び取るように落としていく。
必ず来ると約束されている春、次の春にまた、若い生娘のような表情でピンク色の花をつけ、傲慢で、欲望に満ち満ちた姿をさらすために。
私は‥‥
私には必ず来ると約束されている春はもうない。
人は、母の胎内という宇宙を捨て、この世に生まれ落ちた時から確実に、老いへと向かう。
あの狂うような破調にやられてしまい、春の桜は昔から苦手。
桜の木の下へは近づかないようにしているんだけど。
秋の桜の下で、お弁当食べるのも悪くない。悪くない。
秋の桜の赤い葉の下で、もう過ぎてしまい、やってこない春の話ではなく、次に巡ってくる宇宙のことを想像しながら、さてさて、どの葉を落とそうか、なんて考えてみるのも悪くない。
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