命日を過ごして。

あれから一年。


さくちゃんが亡くなってしまって一年…。


逢いたい、抱っこしたい、笑顔がみたい、この気持ちに尽きますニコニコ


きっとずっとずっとこの気持ちなのかなと思います。

さくちゃんが亡くなってしまって本当に悲しくて辛かった。


自分が普通に生きていることすら腹立だしく随分刺々しかった時もあります。


フッとした瞬間、涙が止まらなくて、自分でもコントロールできない感情になる時もありました。


何もしないでさくちゃんのことを想いながらぼっ~と過ごす時間が大切でした。

さくちゃんが亡くなってしまった時、自分達が色々な意味で許せなかった。


親として、病気にさせてしまったこと…


早く病気に気付いてあげられなかったこと…


移植手術が成功したと言われた時、それまで張り詰めていたものがなくなり、正直ホッとしてしまった自分達がいました。


そしてその後の急変。


移植は拒絶があるのはわかっていましたが、まさか急変しお別れを言う間もなく突然亡くなってしまうなんて思いもしませんでした。


せめて亡くなる瞬間、この腕で抱きしめていたかった。

例え止められても、なりふり構わず側で手を握っていればよかった。


急変してから懸命な処置を側で見守っているだけでした。


知らない国で、結局一人で逝かせてしまった、このことがずっと苦しかった。


病気がわかってから、ホッとしたことなんて一度もなかったのに、手術後、ホッとしてしまった自分達がいました。


だからさくちゃんは逝ってしまったのかもしれないってずっと思ってきました。

でもそうではないのかな…

もし、天国があってさくちゃんが見てるなら、さくちゃんの気持ちを教えて欲しい…。


一年、色々なことを思いました。


でも、最後に思うことは、さくちゃんのことを本当に愛していたし、これからもずっと愛しているということ。


あの時さくちゃんに対して私達のしてきた決断は私達がさくちゃんのことを愛し真剣に下した決断だったこと。


生きていても、亡くなってしまってもそれはかわらないことで、さくちゃんがどう思っていても、私達がさくちゃんを愛し大切に想っているということ。


さくちゃんが私達のもとに産まれてきてくれたことが何よりも嬉しく、私達がさくちゃんのパパとママであることは一生かわりません。


一年経って自分達なりにここまで来られたなぁと思います。


沢山の人がさくちゃんのことを想ってくれていたこと、このことによって気付かされたことも沢山ありました。


人のつながりって不思議で素敵でとても温かいものです。


一周忌を節目にこのブログを終わりにしたいと思っています。


正直さくちゃんが産まれてさくちゃんが生きた時間より、いない時間が長くなることがとても寂しいです。

去年は…って思うとき、さくちゃんとの思い出がないのです。


でも毎日毎日、泣いて過ごしたくないと思います。


さくちゃんスマイルを想い笑顔で過ごせたらと思います。


今までずっとずっと見守り続けて下さった皆様、本当に本当にありがとうございました。


フッとした瞬間、さくちゃんの笑顔を思い出して頂けたらこんなに嬉しいことはありません。


今も様々な病気と闘う沢山の子供達がいます。


そんな子供達にも笑顔がたえませんように…。


どんな時も沢山の愛情に包まれて過ごせますように…。


本当にありがとうございました。


さくちゃん、ありがとう。大好きだよ。


いつも笑顔のさくちゃん、幸せでいてください。
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私達夫婦にはお互い兄弟姉妹がいます。


さくちゃんの病気がわかってから私達夫婦を本当に支え続けてくれました。


兄弟姉妹って産まれた時から自然と兄弟姉妹となり、親よりも近い存在なのかもしれません。


私達の決断にただただ寄り添い力をかしてくれました。

とても心強かったです。


時には喧嘩もするけど、兄弟姉妹がいて本当に良かったと思います。


病院に入院中、自分より少し小さい赤ちゃんを見ると「私お姉さんなのよ」と少し得意気なお顔をしていたさくちゃん…


さくちゃんはしっかり者のお姉さんになってたかな。

でも、サザエさんと言われる位おっちょこちょいの私の子供だからおっちょこちょいのお姉さんだったかな。ニコニコ
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去年の今日、希望だけを胸にさくちゃんをアメリカに連れて行くため日本を出発しました。


心中、不安は一杯でしたが、希望のほうが大きかったように思います。


前日から眠らせていたさくちゃんを救急車に乗せ病院を出て、不安で胸がドキドキしていました。


ここまで来たのだから大丈夫…と言い聞かせながらさくちゃんの側についていました。


飛行機が飛び立ってからしばらくすると、血中酸素濃度が不安定になり、40度近くの熱が出て、脈拍もどんどん上がり続けました。


アメリカに到着するころには本当に苦しそうで…


寝かされているさくちゃんの胸が異様な位上下しながら呼吸している姿が忘れられません。


アメリカの飛行場から救急車で病院まで搬送されたのですが、私は救急車の助手席に乗るように言われました。


救急車の後ろの部分で処置されているさくちゃんが心配で心配で、運転手さんに「大丈夫か、あとどれくらいで病院につくのか」などを質問した記憶があります。


つたない英語だったので伝わっていたかわかりませんが、「大丈夫かはわからない」との答えが返ってきて病院までが本当に長く感じられました。


なんとか病院について、そこからは様々な処置をしてもらいましたが、その日のうちに二回の心肺停止に近い状態を起こし、結局人工心肺をつけることになってしまいました。


心臓マッサージをされている我が子を目の前にして、「どうかさくちゃんを連れていかないで下さい」と祈ることしかできませんでした。


小さな体で、何回も何回も心臓マッサージをされ、自分達がここまでしてきたことが正しかったのかという思いや、結局はさくちゃんに本当に辛い思いをさせている現実に押し潰されそうでした。


さくちゃんは本当に本当に頑張ってくれました。


私達の子供として、この世に産まれて、生きてくれた。

それだけで充分だと思っています。


3月9日は、さくちゃんにとても辛い思いをさせてしまった日なので思い出すと苦しくなります。


でも沢山の方々に応援して頂きながら、さくちゃんが本当に頑張ってくれた日でもあるので、大切な日です。


もうすぐさくちゃんの一周忌を迎えます。


辛すぎて蓋をしてきた記憶も去年の今日は…という形で少しずつ思い出すことができるようになってきた気がします。


さくちゃんの全てが大切で愛おしいから全ての記憶を大切にしていきたいと思います。


去年の今日、さくちゃんを見守って下さった皆様に感謝の気持ちを込めて、ありがとうございました。
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