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「大抵の仕事は3ヶ月もあれば誰だってそこそできる。みんなが、仕事はしんどいって言ってるのは、職場の人間関係がしんどいだけなんだね。」と、昔道端で歌っている時に空き缶拾いしているおじさんが言っていた。そんなものなのかと思って、色々バイトしてみたら、その通りだった。ただ、自分にはどの職場でも上手くやれるこずるさが備わっていて、どこに行っても「ラク」だった。1日18時間働き続けても。「ラク」は、あーちすとにとってあきらかに「ソン」だと思っているので、すべてのバイトをやめた。
今は、弁天を抱えて東京行脚をしながら道端で唄っている。自分が信じられる素敵な嘘をつくために。経済という宗教の危うさを証明するために。これで死んだら、所詮はニセものだ。
しかし、夜はお家ですやすや眠っている。かっこつけてみても、結局、俺は今、ニートだ。正直、うしろめたいったらありゃしない。
1+1=2という数式が、僕は小学生の時に理解できなかった。授業では、
「みなさん、このりんごは何個ですか?」
「1こで~す。」
「お母さんが、もう1個りんごを買ってきてくれました、りんごは何個になりましたか?」
「2こで~す!」
「そうですね、最初1個だったりんごが(と言いながら、先生は黒板にでかでかと1という数字を書く。)お母さんが買ってきてくれたりんご(また、そう言いながら少し空けてでかでかと1を書く。)とで2個になりました。(また少し空けて2という数字を書く。)この事を、式にするにはどうしたらいいですか?」
「は~い。」
「はい、あり君。」
「最初の1の横に、タスを書いて、2の前にワを入れたらいいと思います。」
「どうですか、みなさん。」
「いいで~す。」
そうやって答えれば先生に褒められる事を知っていたので、(幼少期の僕は、自分が親の機嫌を損ねると捨てられるという妄想に取り付かれていたため、過剰に人に気に入られようとしていた。)そう答えてはみたものの、納得いかなかったし、今でも違和感は感じている。
先ず、数字の1とりんごが1個というのが同じものならば「1」は、いつでもりんごの事を意味しなければならないではないか。バナナとりんごが同じものであるという事を証明しない限り、先生が1+1=2の後に続けて、「じゃあ、さっきのりんご2個と、先生がみんなのために買ってきたバナナが1本をあわせると・・・・」という説明から導き出した2+1=3という式は成り立たないじゃないか。そうやって、こっそり悩んで、1ヶ月後。ウチのばあさんに聞いてみた。
「ねえ、りんごとバナナって、同じものなん?」
「ほうよ、同じ食べ物よ。食べたら、おいしかろがね?」
ああ、僕はこの、「食べたら、おいしかろがね?」のおかげで発狂しなかったのだなと、今、思った。にも関わらず、また、「考えても仕方が無いし、答えも出ないこと」で遊ぼうとしている。困った孫で、スイマセン。