シャオ2のブログ

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最近は着物と舞台に夢中

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すごく久々のブログです。

昨日、5/24にプレビュー公演を観劇し、私の2021レミゼが始まりました。

このご時勢、遠征するのもどうかと迷いましたが、自家用車での夜中の移動&観劇の時間以外はホテルに籠る、ということにして、行ってきましたよ。

今はビジネスホテルだけでなく、色んなホテルでデイユースプランがあるので、本当に助かります。

駐車場は一日停めて2000円前後のところがるのでそこに停めます。

今回は平日なので、有楽町駅前の交通会館駐車場。

私の車は軽ですが高さがあるので、高さ制限に引っかかることが多いのですが、ここと東急プラザ銀座なら大丈夫。

元々、目的地を決めずにふらふら出かける旅が好きで、その場合当日になってから宿を取ることが多く、万が一取れなかったときもあったり、移動中に眠くなったりもするしで、車中泊できる仕様にしてるので、こういう時、とても便利。

今回も前日夜に出発して、途中車内で眠ったりしながらのんびり東京まで片道550kmの移動。

3時間の舞台観るために往復に半日以上かけるって、きっと傍から見たらどうかしてる行動なんでしょうね。

それでも観たかった。

去年の春から、何度も何度もお宝チケットがただの紙になるのを経験して、中には当日開演1時間前になって「中止です」って言われてしまったものもあり、未だに消化しきれずにほとんと恨みのような感情を抱えてる舞台もあって、本当に幕が開くのか、開いたとして千秋楽まで終えられるのか、とにかく不安しかない状態で、それでも生の舞台が、生の相葉さんの演技が、観たくて観たくて……

勿論、興行する側も中止は断腸の思いだろうし、配信に切り替えたりして、工夫もしてくださってますけど、やっぱり生の舞台は何者にも変えがたい。

同じ気持ちでいてくれる人は、きっといることだと思います。

 

そんなこんなで観たプレビュー公演。

とっっっっっても素晴らしかった!

オーケストラの音出しが徐々に消えて、シーンとなり、すっと指揮者の腕が上がってジャジャーン!と音が鳴った瞬間のあの胸の昂ぶり。

感動のあまり、前奏が始まっただけなのに涙が出ました。

「独白」が終わった後の観客の嵐のような拍手に、皆待ってたんだ、と胸が熱くなって。

夢のような三時間でした。

プレビューなのに、この仕上がり。

きっと役者の皆さんも、幕が開く日を待ってたんだろうと感じました。

どの役も、本当に素晴らしかった。

我が贔屓・相葉さんは、元々自ら発光してるようなところがありましたが、更に更にまぶしく輝いてた。

至福の三時間。

生きてて良かった。

詳しい感想は、また明日以降、書いていこうと思います。

なにせ、今までと違って観劇後に誰かとお喋りするとか出来ないので、言いたいことが山ほどあって、パンクしそう(笑)

なので、またブログを再開しました。

今年も感染症対策に十分気をつけた上で、レミゼラブル、追いかけます。

 

どうか、東京といわず、松本の大千穐楽まで、無事に駆け抜けられますように。

 

 

ダンスオブヴァンパイア、以前から疑問だったことの一つに、クコールの死があったんですよね。

彼、死ぬ必要なくない?って。

だって、彼はせむしで醜い外見を持ってはいても人間の男で、吸血鬼じゃない。吸血鬼と分かっていて伯爵に仕えているのは非難される点かもしれないけど、それだけのことだ。

いやまあ、劇中では言及されていないだけで、もしかしたら城に住む吸血鬼たちの食料として生きた人間を攫ったり、伯爵を退治しようとしてきた人間を返り討ちにしたり、そういう悪事を働いたのかもしれないけど、そのへんは私たち観客には分かんないし。

なのになんで狼に殺されなきゃいけないんだろう。いくらなんでも可哀想じゃない。

そう思っていたんですよね。

 

それが5日に観て、あ、そうか、と私なりに腑に落ちたんですよ。

クコールは人間ゆえに死ななくてはならなかったんだ、って。

あの場面、時間軸的に言えば夜明け前というか未明ごろなんですよね。
真夜中に舞踏会が始まり、サラが登場して伯爵に嚙まれる→嚙まれたサラは少しの間気を失うけれど、すぐに意識を取り戻し、ダンスが始まる→ダンスの間すれ違いざまに、色々な会話が交わされ、最終的に鏡に映ったことで人間であることがばれて逃げ出す→逃げ出す際、教授が燭台を使って巨大な十字架を作り、吸血鬼たちが追ってこれないようにする→必死に十字架を壊そうとヘルベルトが燭台を掴むも、壊すことができず倒れる→唯一動けるクコールに「追え!」と伯爵が命ずる、という一連の流れと時間の経過、森の中で一息ついたアルフレートがいう「もうすぐ夜明けだ」という台詞、それらを考えると、クコールが狼に襲われ絶命した時間帯というのは、まさしく夜明け前の一番暗い時間帯だと思われます。
そう、夜明け前、なんですよ。
夜が明けてしまえば、吸血鬼たちは動けません。しかも大広間の出口には巨大な十字架があって、彼らを閉じ込めている。
その十字架を壊せるのも、昼間に動けるのもクコールだけ。
彼が生きていれば、もし教授たちが無事森を抜け出して逃げおおせたとしても、後々吸血鬼たちが追いかけることが可能になる。
そういう余地を残さないために必要なのはクコールの死なんですよね。
そしてあそこでクコールが死ぬことで、観ている私たち観客は、吸血鬼たちは城から出られず、この世で自由に動ける吸血鬼はサラとアルフだけだと思うことが出来るわけです。
いや、十字架が怖くない吸血鬼=シャガールがいますが、彼はマグダと共に入っている棺おけをクコールに投げ捨てられて早々に退場してしまい、以降カーテンコールまで出てこないし、どうもその言動からして伯爵の臣下ってわけでもなさそうなので、彼が他の吸血鬼たちを助けるとは考えにくい。
というわけで、演繹的にはクコールは死ぬ必要はなかった。が、帰納的にクコールは死なねばならなかった。
そういうことなんだ、と腑に落ちたわけです。
ま、あくまで個人的に、ってことなんですけどね。
 
 

11月5日、帝国劇城初日。

待ちに待った相葉アルフレートです。

浦井アルフは底抜けの明るさが、良知アルフは無邪気な間抜けさが際立っていましたが、さて、相葉アルフは…

 

夢見がちで真面目で頭でっかちで行動が伴わない、そういうアルフレートだと感じました。

セットや演出が変わったのもあって、一幕ラストの伯爵とのやり取りの最後、以前見たアルフより「魅入られた」って印象の強い表情だったようにも思いましたね。

それがあるので、2幕の途中の「彼はもう私のものだ」という伯爵の台詞がすんなり入ってきたような気がします。

その当たりの演技を、次はもうちょっとしっかり観たいな。

 

あと、教授の世話をやく相葉アルフを見てて感じたんですが、なんとなく、相葉アルフは自分がいないと教授は何も出来ないと思いたいんじゃないかなぁ。

教授は知性的で論理的でそういう面では尊敬しているんだけど、他の事、日常生活とかそういう点では赤ちゃんみたいになにもできなくて、だから自分がお世話しないと駄目なんだって思ってるような雰囲気が感じられたんですよね。

単に尊敬している目上の人っていうのではなくて、自分がお世話してあげることで生きられるんだぞっていう、奇妙な上から目線というか。

同時に、自分の優秀さとか見た目とか、まあ諸々に対して密かな自信があるんだけど、思うように周囲に認めてもらえなくて、それが学閥から無視されている教授の境遇と重なって見えてる風でもあって、なんというか、今までより複雑な人物像になった気がします。

ヘタレキャラとしては、知識や知性は十分にあるんだけど、それに行動が伴わないっていう方向のヘタレでしたね。

死んだシャガールや棺おけの伯爵に杭が打てないのも、知識としてはそうしなきゃいけないと知ってるんだけど、それを行動に移す度胸が全くない、って感じで。

なんていうか、机上の空論だけで生きてきた少年って感じ。

見た目は悪くないし理知的なので一瞬もてるんだけど、結局行動力のあるほかの少年に女の子掻っ攫われるタイプ。

それがサラに出会って、やっと行動しなきゃって気付いて歌ったのが「サラへ」だったのかなぁと。

ただ、他人との関係において相互の理解っていう点が完璧に抜け落ちてて、だから「サラへ」は一方通行極まれりな歌だし、教授の真意にも気付いてない。

教授の真意、ですけど、私は初めて浦井アルフで観た時から一貫して、教授は吸血鬼を滅ぼしたいのではなく、吸血鬼という存在を世界に知らしめて自分を無視した学閥を見返し、後世に名を残すことを目指していると見ているんですよね。

嚙まれたサラをつれて城を出たのも、アルフが嚙まれることを見越していたんじゃないかなぁと。

だって、嚙まれたら吸血鬼化するって、教授なら知ってるはずじゃないですか。

なのに「嚙まれたのに無事だ。助け出せる」なんてアルフに言って連れ出すよう指示するし、誰も追ってこないとなったら今度は頑ななまでに二人を見ず、アルフが嚙まれた後に喜びの声を上げるんですよ。

なんていうか、「全て計画通り」って快哉を叫んでるように見えてしまうんですよね。

つまり、二人を生きた(?)標本として城の外に連れ出し、世界に吸血鬼と言う存在を広める、その闇の生き物を研究する第一人者は自分なのだとを世界に知らしめること、それが教授の本当の目的なんだと、私は解釈してきたんですよ。

だから、あの世界で一番業が深くて恐ろしくて狂ってるのが教授だと思ってましたし、今も思ってます。

ついでに一番欲望が大きいのも教授じゃないかと。

まさに「欲望こそが世界を動かす」ですよ。

ずっとそうだと思い込んでたんで、今回、違う見方があることを知って目からウロコというか、思い込みって怖いなぁと思っている今日この頃なんですけど、もしかして、私が少数派というか穿ちすぎなのかしら……

けど、カーテンコール見たら分かるんですけど、あの舞台で吸血鬼化してないの教授だけなんですよ。

直接的には描かれなかったシャガールの女房レベッカも、カーテンコールでは牙と真っ赤な伸びた爪で吸血鬼として出てくる。

なのに、教授だけは牙も爪もない、ごく普通の人間としての姿で出てくる。

見事に象徴的な姿だと、勝手に思い込んでました。

 

多分、大きな演出上の変更がない限り、この思い込みは訂正されないと思います。

いいよね。観劇後の感想なんて人それぞれ十人十色なんだし。

私はそう思う、っていうことで。

 

 

 

全然話は変わるんですけど。

相葉さん、今回の役は見事に美少年だった!

私は10代の頃のテニミュ時代の相葉さんを知らないので、綺麗な子だ、美青年だ、とは何度も思ってきましたが、美少年というには些か年齢的に外れていたんですよね。

それが、今回のアルフレートは、役柄と衣装と演技の妙で、見事に美少年でした!

そらヘルヘルも迫りたくなるよね~。

植原ヘルヘルがこれまた妖艶なので、二人のシーンはかなりドキドキします。