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昨日午前3時 母が永眠しました。

電話で呼び出され
急いで駆けつけましたが
間に合いませんでした。。

最期は眠るように逝ったそうです。

享年64歳でした。



1/31 日中も苦しそうで辛そうだった
元気はなく
辛うじてヨーグルトとゼリーを食べたけど
いつもより食が進まなかった
受け答えもあまりのはっきりしなかった
タルセバも飲めなくなった。


2/1 朝行くと 本当に苦しそうで衰弱していた苦しくて 途中何度ももがいてマスクを外してしまった。
氷もうまく食べれず 咳き込んで危ない

その落ち着いたので急いで旦那に娘たちを連れてきてもらった
苦しかっただろうに 精一杯笑顔になってくれた
みゆがちいばにゼリーをスプーンですくい
ちいばの口に入れてあげた
『みゆちゃん おいしおよ ありがとぉ』
と食べてくれて みゆは嬉しそうに
もう一回あげると言ってゼリーを食べさせた
なんだかとてもうれしかった

みゆが自転車を買いにいくんだというと
『いいなぁ ちいばにも見せてね』と
笑顔で応えてくれた

お母さんは黄色が大好きでひまわりが大好きでした 元気になる色だと
"みゆも、最近黄色が大好きなんだよっ、
お母さんと一緒だねぇ "と話すと
すごく嬉しそうに ニコッと笑ってくれた。

歩き回るななの姿を探して
『どこ行った??あっ、いたいた』
と笑ったり



話しもしくれた。
あの看護士さん達が、可愛くて優しくて好きだとか
じゅんに似てる看護士さんか3人いるだとか
あの人はちょっとツンとしてて苦手だとか
その人私も好き~とか 苦手~とか
好みが全く一緒で なんだか嬉しくて笑い合った。
PTA の役員て高学年になると大変なんだよねぇ~低学年のうちにやったぁ?とか聞くと
『そうそう誰かから聞いたのぉ?』って笑ってた。
意志疎通もしっかり出来て 会話ができた。



その間も 苦しくてもがいたりもした、

途中 眠りそうになったとき
下顎で息をした。。

下顎で息をしだしたら あと数時間…
そう書いてあった…
もしかして…
でもまだこんなに会話できてる…
きっとあと数日後なのかな…

そう思って  微かな希望をもって
つよく 強く 祈った。。


そして
『また明日来るね ゆっくり休んでね』
『ありがとぉ 』


最後の会話から10時間後

2時53分
兄から電話  病院から呼び出されたと

走った 。走った

20分後

病室に駆け込むと 次男と父がいた

母の元へ駆け寄ると

兄が
『だめだった…誰も間に合わんかった…』と



うそ…うそ…

泣き崩れた

手を握ると   顔に触れると
すごく すごく、温かかった。。

ただただ、寝ているように。


泣きながら
母の胸に抱きつき
母の頬に顔を合わせ
お母さんの 最後の温もりを
自分の体に染み込ませた
何度も 何度もなんども。
お母さん…



その後 長男が到着し…
先生が呼ばれ
2月2日 午前3時44分  
家族5人が集まり
母の死亡確認がされた。


月がとてもきれい見える
寒い冬の夜でした


感謝の気持ちを込めて  
丁寧に体を拭いて  
やさしく着替えさせて
きれいにお化粧してあげました。

娘としての 最後の親孝行ができました。





母は最期まで
本当に本当に強かった。

とても話のできる状態ではなかったはず
食べれる状態ではなかったはず。
笑顔になることだって。。




お母さん すごいよ
がんばったね お母さん

お母さん
最期まで私達に素敵な時間を作ってくれて
たくさんの幸せをくれて
本当に本当にありがとぉ


私達の 大好きな 大好きなお母さん
ゆっくり ゆっくり休んでね