この連休、いかが過ごされたでしょうか?

被災地方面の方…夜がくる度に思っておりました。



でも、思ってばかりでは先に進まない。



それ以外の場所で経済(といっていいのか?)が動き、

思いを形にする歯車が動かなけりゃ意味がありません。



普通に生活できる事に感謝し、小さな節約を繰り返し、

小さく貯めた小銭でも繰り返し義援金箱に入れないと。

(箱は選びましょう!!←と、アドバイスされたけど)


小さなお釣りがでると、コンビニの募金箱にチャリンッ!

ちりも積もれば山になるですよ。



そして、現地に向かう某集団にあれやこれや持っていってもらいました。

これはいつもの行動。物、そろうの早いです。


ごく一部にしか届かないけれど、ないよりいい。

同じ燃料使うなら、手ぶらよりいい。

重いのは我慢しろ…です。




「かの地を思って笑顔を運びます」

「頑張れって応援の気持ちを届けます」


「悲しくて悲しくて眠れません」

「被災者を思うと、ご飯も喉を通りません」



そう言っていて、大変な方達が暖をとり、

満足な環境で生活でき(プライバシーがあり、一息つける家で)

今後の心配も悲しみもなく、

お腹いっぱいになれて、毎日お風呂に入れて…



言葉だけでそれが出来るなら、“言葉”もいいかもしれない。



でも、言葉や遠い地でため息ついているだけじゃ

何の役にも立ちはしない。



悲しむのが悪いといっているわけでないです。

決して…





けどさ、ため息でお米は買えないですもん。

その息の暖かさはかの地には届きませんもん。





この週末の土曜日、我が家の三女ちゃんが卒園式。

これまでの6年間、辛い事もあったけれど、

言葉の優しい(けど気は強い)女の子に育ちました。


普通のお式、普通の喜び。

でも、その喜びを感じれる事に感謝して。


卒園式の後は子供達含め「謝恩会」。

お弁当を食べ、出し物を子供達・先生・親が見せる。

それだけの謝恩会だけれど出来る事に感謝して。


問題はその後の親だけの「さよなら会」

いわゆる打ち上げ。


これに賛否両論あったらしい。

直接は聞いていないのだけれど、

不謹慎…そういった意味の反対意見だったのだろうか。


多分。


これには父母会の一応役員である自分も唸った。



どういうものでしょう?

それを不謹慎ととるか、“通常”の生活ととるか。



私は

「酒が入ると財布の紐が緩む」

ととりました。



ええ、えげつないです。

自分!



口ばかり達者な人は、かなりの確立で手も金もださない。

寡黙で物事を見抜く人ほど、いざとなると助けも手も出す。


これ、案外と言い得ている。


でもって口達者はいいカッコしいでもある。



「会費を当初予定より安くして、

安くなった分を義援金にしようって駄目?」




それから父兄に多数決をとり、さよなら会はひっそりと決行。

そして卒園児からとして義援金をしよう!と決定。




結果、結構な金額となった予感←ここら辺、日本人なので書かないけど




お金があれば、それが的確に使われれば一番の助けになる。


今、色々な有名人も募金活動をしていて“偽善”だとか

“売名行為”だとか言われているけれど、


お金に偽善も売名行為も関係ない。

100円でも多い方が役に立つ。



地獄の沙汰も金次第



あまりいい言い方ではないけれど、被災地は地獄です。

自分が見た場所は地獄でした。

その場に生きる人には生き地獄。


だからお金が必要です。



えげつない人と言われればそれまでですが、

「愛があれば貧乏なんて」ってのは奇麗事。



これからも出来る事は小さな事でも…

小さな事しかできないけれど、やらないよりマシ。


被災地が復興に向けて歩み始めても、

地球上にはいっぱい悲しい事がある。


だからいつもそういう事を心がけていく…

それが大事かもしれない。







とか言うけれど、現実は…


私の実家はすごく田舎で、少し雨量が多いと即効「陸の孤島」

おまけに崩れる、流される、家なくなる。

悲しい事に人も亡くなる。


自然災害で停電三日間なんて当たり前。

上水道が止まるなんてのは当たり前。

子供のことは上水道なかったし。


井戸水を手動ポンプでくみ上げるのは

3歳児でも出来るのが普通。

生鮮物が町の中で手に入らないのはいつもの事。


だから、“ない”事には何とか対応が出来る。

取り合えず物資が運ばれていきわたるまでの1週間くらいだけど。



でも、寒いのと家に帰れないのが辛い。

避難生活でプライバシーがない事はもっと辛い。


小さな子供はご飯がないのが辛い。

小さな飴一個でもおやつがないのが悲しい。


家族がいなくなるのは、発狂しそうに辛くて苦しい。



そういうのが身近で育ったから、色々な事がリアルなのかもしれない。

今の悲しい出来事には遠く及ばないけれど。




※今日の内容。

言葉が過ぎていたらごめんなさい。