やあやあ、皆さまごきげんよう。

そしてお久しぶりでございますず。



少し前に
「あ〜やっとあったかくなってきたー
もうダウンも閉まって春服出して
そろそろ桜見に行きたいなー(うきうき)」
って、思った瞬間に冬が帰ってきてキレそうでした。


衣替えしなくていい収納ください。(そこ?)



春は春でくしゃみ地獄なんですがね。
冬の寒さに比べればなんてこたーないです!!

どっちかっていうと秋の方が凄いし…


季節の話をして思い出したのですが(急に)
皆さんは好きな季節や思い出の季節ってありますか?
(良かったらコメントで教えてください( ¨̮ )




私にはあります。

好きな季節は夏です。
理由は寒くないから(笑)
1年中夏ならいいのにとさえ思うくらい好きです。


ですが、思い出が多かったり
ふと過去を振り返る瞬間が多いのは
秋です。


あの、だんだんと冬に向けて
緑が紅く染まっていく過程が
異様にセンチメンタルだからかもしれません。




そして秋になると必ず思い出すのは
高校生の頃のことです。


私の高校生時代は一言で言うと「自由」そのものでした。
学校自体そこまで厳しい方ではなかったので
のびのび自分らしく毎日楽しく過ごしていました。


当時は今と違いなんでも先頭に立ってやりたいタイプの人間で
そのおかげでか担任の先生にクラス委員を任されたりしていました(えっへん)

どちらかというと問題児の部類に入っていたのですが
赤点で補習になるのは怖いから課題はちゃっちゃとやれるし
小学生の頃からやっぱり文章書くのは好きだったみたいで
高校に入ってからも作文大会は入賞していました(えっへんpart2)


今では絶滅危惧種になるかもしれない
「ギャル」というものをやっていたので
見た目ギャルの学級委員長で、今思い出すと
(´<_` )フッと笑えてきます。



のびのびし過ぎて先生に迷惑をかけたこともありますが、、
今となっては時効でしょう!(笑)



あの頃は学校外でバンドを始めたのですが
文化祭では校外の子を呼んでライブが出来ないと言われ
「なんと!!!」それはまずいということで
急いで学校に軽音楽部設立を申請したのですが
あっさり却下されました。(笑)
過去にあったそうですがその頃の部員の素行が悪すぎて廃部になったそう、、

それ私関係ないやないかい!!(急に関西弁)
ということで、どうしたものかと考え
諦めきれない私はとりあえず部員集めを始めました。
やはり青春をバンドに捧げたかった高校生は多いみたいで
学年の壁を超えて、すぐ5、6人集まりました。
それからどうやったら文化祭でライブ出来るか
どうやったら体育館借りられるかなどなど考えているうちに
一人の先生が私たちの頑張りを見ていてくれたようで
職員会議でかけあってくれることに!

そして「軽音クラブ」として設立することが叶いました。

それからは学年主任の先生や
担任の先生も応援してくれるようになり
文化祭でのライブに許可がおりました。
それも体育館で。

そこにたどり着くまでに時間がかかったので
練習が中々出来ず、、
それにいくら許可がおりたとはいえ
音楽室は基本吹奏楽部が優先なので
私たちは外部のスタジオを借りて練習するしかありませんでした。
メンバーはアルバイトが無い日は集まって練習。
機材が多かったので担任の先生が
学校からスタジオまで送迎してくれたりと
協力してくれたおかげで当日を迎えることが出来ました。


当日は人が集まるか心配でしたが
ステージに立つと体育館が埋まる程の人が見に来てくれました。
後々、先生にどのくらい居たか聞くと
「300人くらい見に来てたよ〜」と。
ぎょえ〜!!

ライブハウスでライブはしていたけど
キャパ50人くらいの小さなとこだったので
今考えればあれが初の大舞台でした。


3曲披露したのですが、
終わってから担任が
「3曲全部暗記してるの凄いね!
その調子で授業も集中してくれたらいいのにー(苦笑)」
と、言っていました。

やっぱり優等生ではないのだなーと再確認しました(笑)


そんな音楽一色の高校生時代。
音楽は続けたい、けど将来の夢にするには自信がない。



私は過去にSNSやこのブログでも
なりたいものや将来の夢みたいなものを書いたことがあるのですが
歌を歌うお仕事は小さい頃からずっと憧れてはいたけど
人に話したり、夢として語ることは出来ませんでした。



進路もだんだんと考え始めなければいけない高2の秋。
学校終わりに友達と駅前で遊んで帰ろうとしたとき
一人のシンガーソングライターの方が路上ライブしてるのを拝見しました。

あまりにも衝撃で、勝手に足が止まりました。

気づくと最後までライブを聴いていて
ついには話しかけていました。
その方は私の地元の方ではないそうなのですが
仲の良い路上仲間がこっちに居るので
時々歌いに来ているとおっしゃっていました。

今度近くのホールでその路上仲間の方たちと
対バン形式でライブをするとのことで
見に行ってみることにしました。


感想は「感無量」そのものでした。
路上で聴くのも素敵でしたが
ホールで響き渡る彼女の歌声は
それはそれは美しく力強く
人の歌声で涙が出たのは生まれて初めてでした。

そして私はあの日のライブを見て決心しました。


「ステージに立って歌い続けたい」と。
漠然と、闇雲だったけど。
東京に行って勝負したいと。




最近アルバムを出したとのことで即購入。


特にその中の一曲がとにかく大好きになり
その日から私のiPodは
ずっと同じ曲が流れていました。






崩れる音/ヒグチアイ








私がステージに立って歌う仕事をしたいと思えたのは
間違いなくアイちゃんに出会えたからです。

私と年も3つくらいしか離れていないのに
やりたいことが明確でまっすぐで
本当に本当にあの頃からかっこよくて
あの日からアイちゃんは
私の「憧れの人」になりました。


あの日あのとき、歌を聴いていなければ
私はきっと歌うことをやめていたと思います。
何にも挑戦しなかったと思います。
今まで出会ってきたみんなとも
出会うことはなかったと思います。


それから残りの高校時代はより一層音楽漬けになりました。


アイちゃんが路上ライブしに来る時は
学校終わってすっとんで行ってました(笑)
それでも間に合わない日があって
着いた頃にはライブは終わってしまいガッカリしていると
「このあと公開ラジオに出演するから見においで!」
と教えてくれて、見に行きました。


そしたらなんとラジオで一曲披露となり
サプライズで崩れる音を歌ってくださいました、、涙

いち女子高生になんてスペシャルサービスしてくださるんだと胸いっぱいでした。


それから月日は流れ、私は高校を卒業して
東京の音楽の専門学校に行きました。


もちろん得られるものもあったけど
現実の厳しさに耐えられないことの方が多かったです。


ほんのひと握りのその中の更にひと握りしか光れないのだと。
壁にぶち当たることばかりでした。

以前も書いたことがある気がしますが
専門の先生に「あなたの歌声は耳障りなのよねー」と言われたことがあり
しばらく人前で歌えなくなることもありました。

(本当にあの先生の顔と名前は一生忘れないと思う。笑)


でもくじけそうなとき、
やっぱり助けてくれるのも音楽で
やっぱり最初に流すのはアイちゃんで。

私は彼女の歌声に何度助けられたか分かりません。



たまたま下北沢に居た時、
アイちゃんのライブが近くであると知りました。
行こうと思ったけど金欠で…諦めようとしたら
「ゲストで入れてあげるからおいで!」と言って下さったことがありました。

高校時代にラジオでサプライズ以来の
胸いっぱいエピソードです。

そして金欠なのにアルバムを買って心配されました。(笑)


東京から地元に戻ることになったときも
まだやっぱり未練はあったと思う。


正社員で一年働いた頃
専門で仲良かった同級生とアイちゃんが
私の地元で対バンすることになったと知り見に行きました。


久しぶりにアイちゃんを見て
「また歌いたい」と強く思ったのを覚えています。


また別の機会で

同級生とアイちゃんの対バンが
同級生の地元であることを知り
そのときも見に行きました。
ライブハウスに入ろうとしたとき
たまたまライブ前のアイちゃんにお会いして
とっても優しくハグしてくださり写真撮って頂きました涙



載せている写真がそのときのものです。
(古いスマホ時代の物なので画質粗め)


また別のときでは
私が友達とある駅で待ち合わせしていたら
たまたまアイちゃんが目の前を通って
「すずちゃん!」と声をかけてくださったこともありました。


私はアイちゃんの歌声も、作る楽曲も大好きですが
何より、私みたいないちファンに対しても

名前を覚えていてくれたり
とてもあたたかい対応をしてくださったり
そういった心遣いや、優しさ、素敵な人間性に惹かれて
大好きになったのだと思います。


そしてあれから月日は立ち、
ジャンルは違えど 私はステージで歌うお仕事が出来ました。



自分のやっていることに自信が持てない時は
アイちゃんの「まっすぐ」を聴いて

東京でやっていくことに不安を感じた時は
アイちゃんの「東京」を聴いて

初心にかえって考えようと思うときは
アイちゃんの「崩れる音」を聴きました。


私が特に好きなアイちゃんの曲です。



とても偉そうなことを言うと
高校生の頃から「アイちゃんは私が思う売れなきゃおかしいアーティストナンバーワンだよ!」と周りに豪語してました。(ほんとになんて偉そうに笑)


深夜に何気なくつけたテレビ。
闇芝居というアニメがやっていて
怖いのは苦手だから流して見ていたら
エンディングでアイちゃんの歌声が聞こえました。

好きなバラエティで有名な芸人さんが「ヒグチアイ」と呼ぶ場面を拝見したこともありました。

音楽番組で紹介されているところも見ました。



何が言いたいかというと、
当たり前だけど私だけじゃなくて。
気づいてる人は気づいてるし
売れていくのは必然だったのだと思う。



物凄い才能で、それは昔から変わってなくて

それに気づく人がどんどん増えていったのだろうなと思います。


アイちゃんの歌は今も昔も変わってないもの。



以前ライブで「東京」をカバーさせて頂いたことがあります。
アイちゃんみたいに上手には歌えなかったけど、
高2の秋にアイちゃんの歌声を聴いて
「ステージに立って歌う仕事がしたい」と夢見たあの日から


夢を現実に。


ステージに立って歌う仕事をして
憧れの人の曲をカバー出来たことは
本当に本当に感慨深くて幸せに思います。





初めて聴いたあの日から
約12年と半年。




大好きな進撃の巨人。
ファイナルシーズンのアニメのエンディングから聴こえたのは
紛れもなくアイちゃんの歌声でした。

「悪魔の子」という曲です。

進撃の巨人の為に書き下ろされた曲のようで。


アイちゃんの歌声と歌詞と、
そして本当に雲の上の存在になったのだと。

生の歌声でもないのにまた泣いてしまいました。

(アイちゃんの歌声に弱いみたいです…笑)



以前「売れる前から応援していたアーティストが爆発的に売れて悲しい」と言っている知人が居て
「なんで?応援してる人なんだから売れた方が嬉しいに決まってるじゃん!」
と、返したことがあるのですが
今ならなんとなく分かります。


どこかで今でもあのときの気持ちのままだと思っていたかったのだと思う。
私はずっと変わらず応援してるよって。


けど、もう私一人が応援しようがしまいが
そんなに大きなことではないんだなって。
何千、何万、何百万の人が聴いているなら
応援しているなら、と。
そんな寂しい気持ちが少し理解出来ました。


それでもやっぱり嬉しい気持ちの方が大きく
家で夫に「進撃の巨人のエンディング!アイちゃんだよ!アイちゃんだよ!私ずっと昔からファンなの!古参だよ!!」と自慢しています(笑)

夫も「すずちゃんが前から言ってた人だ!車でかかってたし、カラオケで歌ったりしてるもんね!凄いね!」

と、言ってくれて更に嬉しくなりました。


そして夫からファンレター書いてみたら?と言われ
手紙はなんだか恥ずかしいと思ったので
悪魔の子のMV公開の日に思い切って
メッセージを送ってみることにしました。


私がアイちゃんに出会ったことがきっかけで音楽の道に進んだこと
つらいときアイちゃんの歌声に助けられたこと
ライブでカバーさせてもらったことがあること
好きなアニメのエンディングが大好きなアイちゃんの歌声で胸がアツくなったこと
そして、これからも変わらず応援しているということ。

本当にお忙しいだろうし返信は期待せず
ただ、読んでくれることを願っていた矢先
なななんと!!返信、頂きました😭😭😭


アイちゃんは私がアイドルをやっていたことも
ライブで「東京」をカバーしていたことも

SNSを見てくださったようでご存知でした。


ずっと応援してくれてたことも知ってるよって。
曲を大切にしてくれてるんだなあって思って嬉しかったって。

そう言ってくださいました。

そして結婚したことも知っててくれたようで…
「高校生のときあんなにギャルだったすずちゃんが綺麗な花嫁さんになっててびっくりしたよ!」
と、おっしゃってくださいました。

私だけが覚えていると思ってたけど、、


そうじゃないんだ!

私はただのファンだけど、
アイちゃんもちゃんと覚えててくれたんだ。

そう思った瞬間少し前まで思ってた
寂しいという気持ちは吹っ飛びました(単純なので)


ライブに足を運んで応援してる方で
こんなに長い年月ファンでいるのが
アイちゃんしか居ないので

これからも更新し続けようと思います。


もう少し世の中が感染症に慣れてきたら

是非夫も一緒にライブに参戦したいです。


長々となりましたが、久しぶりのブログでした。


一人の方に焦点を合わせて書こうと思ったきっかけは
リアルタイムで拝見出来なかったのですが
アイちゃんのスッキリ生出演でした。


勝手なイメージですが、

アーティストの方によっては
ライブハウスメインに活動していた時と
テレビメインに活動始まってからと
歌声や歌い方が変わる方がいらっしゃる様な気がしていたのですが…


スッキリの生出演見て思いました。


アイちゃんは歌い方も歌声も
私が高校生のときに聴いたときから
変わらない素敵な歌声だと。


テレビに出ようがブレない
ヒグチアイちゃんはこれからも私の憧れのひとです。


ただ、それを伝えたかったんです。



ご清聴ありがとうございました。