この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。





シャラシャラ……

シャラシャラ……


不思議な涼やかな光の雨に
光の粒子を撒き散らして開いていく塔の先端。


その飛散をまともに浴びて
闇を統べる蛇は
その面を袖に覆ったまま消えていく。




 …………勝った……。


    もう
    こいつの出番はない……。



高遠は、
消えていく秦に凱歌を上げるというより、
不思議な理解に打たれていた。




〝返事をしてはいけません。〟

音楽室で、
水澤は
ピシッと制した。


〝級長〟の優しい声は
ドアの外で
戸惑うように繰り返された。
瑞月ちゃん
瑞月ちゃんやと。
そして、
音楽室から
それに応じる言葉はなかった。



幻影は音楽室に現れたが、
それが実体となることはなかった。




だが、
今回は違った。



秦は招待されて会場にいた。
幻想の異界ではあっても
秦は実体をもっていた。

……瑞月を凌辱しようとするほどに。






〝巫は
    何も知らぬことが
    肝心です。〟

水澤はきっぱりと語った。
海斗は表情も変えずにそれを受けた。
高遠は微笑むと決めていた。




〝きっと
    きっと勝つの!!〟


高らかな瑞月の宣言が
あったからだ。





信じたら疑わぬこと。
ふっと川上が浮かぶ。





 どうして
 そんなに走れるの?

たどたどしい甘い声に
川上は薄く笑った。


 まず信じる。
 自分を信じて飛び出す。
 飛び出したら
 自分を走らせてくれる全てを信じる。
 それだけだ。


ひょろっと立ち上がると
川上は瑞月の頭を撫でたっけ。



あの事件の数週間前、
春浅い朝、
川上は手を振って寮を後にした。




 川上……すまん。
 何て言ったらいいか分からなくて
 さよならも言ってなかったな。


 だがな、
 川上、
 俺は信じるってことを学んだぜ。
 本当に学んだ。
    
    瑞月を失った。
    もう一度巡り会えた。
    そして、
    愛した。
 命を賭けて愛した。

 だから、
    わかった。

    信じることが
    力になる。
    心が揺らがなければ
 それは自分も人も支える力になるんだ。


    


〝心を揺らさなければ
 そこは
 生きるそれぞれの場所になる。〟


高遠は、
今、
それを噛み締めていた。





高遠は空を見上げる。
近々とある月。
その月を背に瑞月がその腕を広げ
海斗へ
海斗へと舞い降りる。




出会う前
互いを知らず
ただ剥き出しの魂となって
ここに放り出されても
二人は互いを求めた。




〝巫は
 何も知らぬことが
 肝心です。〟


闇の中にあり
泥にまみれてのたうつときも
その魂は汚れることがない。


そして選ぶんだ。
自らの半身を選ぶ。
その選択は
無知なればこそ尊く、
魂の叫びとなって力をもつ。





ただ光しかない。

舞い降りる翠の輪は
真白き衣を翻す天人を抱き
地より発する光の矢に導かれて
真一文字に目指す。



地を統べる長は
その天人の意に叶い
それを待ち受ける。




塔より降り頻る光の雨の中に
けざやかに立つ王がいる。

その剣は
その盾は
王自らだ。

王が発する輝かしい力のオーラを
その玉座の証として
王はある。



勝った。
それは、
今の二人の知らぬことだ。
知らぬからこそ闇は打ち砕かれて
二人は光の中にある。





 結ばれる
 そのときが来た



そこは現実から遥かに遠い。
だが、
高遠は真実を見ている自分を感じていた。


 
海斗の腕が
天へと
差し伸べられている。





 ああ……。
 闇の砦が…………。


ざざざざざざーーーーーっ
音を立て
一気に土の塔は崩れる。



地に落ちては水のように
波紋を広げる流砂が
海斗の足を浸しては流れ過ぎ、
そして星瞬く空の如く地を光が満たしていく。


ふぁさっ……。


瑞月は海斗の腕に抱き止められ
その肢体は
その胸に安らいだ。


ひらひらと面が
抱かれた瑞月の胸に落ちる。


そして、
その額に印は浮かんだ。
日の長が捺した封印は今解かれる。


見上げた瑞月の眸が
輝きに満ちるのを
高遠は胸が痛くなる愛しさに耐えて
見つめた。





…………え?

眩しい日差しに
高遠は
思わず片手をかざした。


その手の先に日は高くある。



 ぴいいいいいいっ
 ちちちち……ちちちち…………


日を受けて輝く梢が
風に揺れている。
その木々に羽を休める小鳥たちが鳴き交わす囀りが
頭上を賑わしている。




高遠は
思わず周りを見回した。


新緑の森が広がる。
吹き抜ける風が爽やかに渡り、
その社の内とも見える草地には
見事な松がその枝を広げていた。



「やれ
 めでたきことじゃ
 重畳 重畳
    のうお若いの。」


やけにのんびりした声が
すぐ背後から上がる。
高遠は思わず飛びすさった。


ざざっ
足下の草が揺れ、
バサバサッと頭上の枝から
驚いたように鳥が飛び立つ。



そして、
目の前には
小さな小さな老人が
ちょこんと高遠を見上げていた。



目にはふさふさの眉がかぶさり
口許は白い髭を揺らし
まるでサンタクロースを小振りにしたような風情が
どこか可愛らしい。




口角は上がっているし、
何と言っても
嬉しそうに弾む声に
ウズウズと中から込み上げる喜びが感じられる。



「失礼しました。
    自分の姿は見えないものと
    思い込んでいました。」

高遠は笑い返す。
そうだ
目出度かった。
闇は退けられ、
巫は長の腕に抱かれた。



「見えるとも。
    ほれ
    お日様がおいでになる。

    お日様の領分の者は
    皆、 
    動き出しとるよ。」


小さな老人が
ピョンと
跳ねてパタンと右に傾いて
高遠の後ろに手を振る。




「さて、
 あとは待つだけ。

 そうですね、かっちゃん。」


「はい!」



半白の髪を肩先まで伸ばした初老の男性が
それは明るい顔で
自ら手を伸ばして枝を支えて
ヒョイと森を抜けてくるところだった。


痩せぎすの青年が
さらに嬉しそうにその後に続き、
跳ね返る枝に頭を叩かれそうになって
慌てて踞っている。


「かっちゃん
    すみません!

   久しぶりで加減が分からなくて。」


水澤が膝をついて
渡邉を抱きおこした。




「水澤先生!
 かっちゃん!
 
 よかった
 無事だったんですね。」



高遠は
走り寄り、
水澤の手を取った。



「先生!
   ……あの…………目が見えるんですか?」

「そうだね。

    今だけかとも思うが…………、
    だいぶ前に受けた手術の成果かな
    とも
    思っているよ。

    なぜ視力が回復しないのか、
    神を呪った不心得者に
    今
    その時が来たのかもしれないね。」


水澤の眸は
はっきりと高遠に焦点を合わせ、
そして、
温かかった。



水澤は
抱き起こした渡邉を覗き込み、
己の手を握る高遠を見上げ、
莞爾と微笑んだ。



「ああ 
    思った通りだ。

   描いたままの君たちが嬉しいよ。
   目を失って得たものが
   確かにある。

   本当に大切なものは
   目に見えない。
   星の王子様の言う通りだ。

    盲しいていたからかそ
    深い出会いがあった。

    渡邉さん
    高遠君
 出合えて幸せだ。
 また日々出会おう。」


水澤の声の力強さに
その眼差しは
温かい。

少し潤んでいるようだ。
その込み上げるものに打たれ
高遠は
水澤の手を握り締めた。


「きっと
 きっと治ったんです!
 信じます!
 信じます!!
 俺
 信じます!!!」


渡邉が目を見開いて
こくこく頷く。
頷いて
そして水澤にしがみついた。


水澤は
おいおい声を放って泣く渡邉に
もう教師の顔を取り戻す。


その背を擦りながら
コホンと
照れ臭そうに
高遠に笑いかけた。


「目を得て
 私が盲しいていく様子が見えたら
 遠慮なく言ってほしい。

 ちょっと
 そうだね
 調子こいているよ。」


あはははは
声を上げて笑い出した声が
晴れた空をお日様へと昇っていく。




師の姿にほっとし、
動ける自分に安堵し、
高遠は
改めて老人が気になり出した。




青草の匂い、
森は薄緑に葉を繁らせ、
その葉脈は陽光に透けて瑞々しいばかりに命を謳歌している。




小さな影を揺らして
白装束に長い髭の老人は
ふんふんと
松の周りを満足げに回っている。




勝負はついた。
安全にちがいない。
そうは思うが、
高遠は落ち着かない。


「先生、
 あの……二人なんですが……。」




ふふっと
水澤は笑った。


「見えていましたよ。
 心配ありません。
 今は
 きっと必要なことをしています。

 高遠君は照明担当でしたね。
 もう心の準備はしておきましょう。
 私たちは舞台に戻るんですから。」



水澤は
それきり口をつぐみ、
再び光を得た目を静かに上に向けた。


高遠も思わず
その後を追って見上げる。




松は大きかった。
その幹は子どもなら四、五人で
手を繋いで囲めるほどだろうか。

最後に残る不思議は
その松の巨木と老人だった。



   ……すごい。
   樹齢どのくらいなんだろう。
   200歳?300歳?
   まるで千年は生きてきたみたいだ……。




瑞月と海斗に必要なこと、
それが何かは
切ないほどにはっきりしていた。



面は
瑞月の胸に落ちた。
その瞬間に
己も解放され
こうしている。


   もう記憶は
   取り戻しているんだろうか。




ちくり
胸が痛むのは
仕方がない。



高遠は、
頭を振って切り替える。



小さな老人が
くるり
振り返った。




「長が戻られるよ。
    もう
    すっかり
    準備は万端じゃ。」


こくこくと頷く。

眉も白く
髭も白く
その面貌が何とも判然としない。
だが、
どこか飄々とした憎めない風情が
誰かに似ていた。




〝……おじいちゃん?〟

ふと
そんな思いが
高遠の頭を掠めたとき、
ピョンと老人の肩に黒猫が飛び乗った。



「おお
    そうかい
    そうかい

    そりゃ
    綺麗じゃったろう。
    わしも見たかったのう。」


老人は機嫌よく
猫に応えている。



「ご老人、
    そちらの松の主様と
 お見受けします。

 我らが長は
 主様方の気を頂いておる者、
 いつもお守りくださり、
 感謝申し上げます。

 で、
 おそらくは、
 場もお借りしているのでしょう。
 重ねて御礼申し上げます。」


水澤は、
面を改めて
膝を折り
頭を下げる。


深水としての昔のままの水澤だった。


頭を上げ、
最後の口上は続く。


「お使い女の様子では、
 首尾よう契りも交わされた様子、
 お別れの前に
 一つお聞かせ願えましょうか。」


その眸は
ひたと老人を見つめる。


「何かの?」

機嫌よく老人は笑った。


「我らが主様方に力を得ておるように
 闇も何かに力を得ておりましょう。

 何に力を得ておるのでしょう。」


その問いは
水澤が深水の頃から
繰り返し問うてきたものだ。


老人は
小首を傾げる。

「そうよの。
 まあ
 気を操るのは同じかの。
 じゃから巫が欲しいのであろ。」



水澤が静かに
老人を見返す。


「…………同じですか。」

声に落胆はない。
違いはある。
あると確信しての探求を重ねてきたのだ。


力の源が同じなら、
その違いはどこにあるのか。
それを見極めるだけのことだ。


そう思い定めた
探求の覚悟を水澤はもっていた。



にゃあああああ……。

老人の肩の黒猫が
そっと
その頭に身を擦り付ける。




「……鏡かもしれぬの。
 人の鏡。
 鏡は何でも映しとるからのう。」



にやり
老人が笑った。




いやーーーー
ひーさーかーたーのーーーー

歌声は朗々と響き渡る。
渡邉のふっと女声かと紛うばかりの透き通った歌声が
新緑の森を
そして
客席を渡っていく。


はっ
高遠は
何度もシュミレーションしてきた動作を
決然と行った。


おおっ……。


舞台は新緑の森となり、
あえかな巫の姿が
シャン!
鈴を鳴らして見えを切る。



新緑の息吹を呼び起こし
その恵み寿ぐ舞いが始まっていた。


画像はお借りしました。
ありがとうございます。



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