今日はおかんの誕生日。夜中にメールしておいたぴかぴか(新しい)
年をとるのはいやだと思っていたけど、誕生日をまた迎えられるって素晴らしいことやね。
私は今年の誕生日、病院でもいいから迎えられるかな?
手術できるようになったとはいえ 危険性も高い手術だし、一時期は余命が1ヶ月だったからね。。。
いつまで生きられるか、ちとびびってる。

今となってはもっともっと生きて欲しかったけど。
でも、濃い人生だったことはとても感謝しているよ。
誕生日まで生きたいって言ってたね。
 
さて昨夜は輸血が長引いて2時に寝たのに、採血は朝6時。
今日から入院で、朝ごはんが再開されてほっ。
 
昨日、咳がでて気になることを伝えたらレントゲンを撮りました。
今日はまし! 
今日が手術前日でおふろに入れるのは今日まで。
朝は湯船をためて浸かりました♪
 
オトンがくれた、店に咲いたシャクヤクを撮りましたぴかぴか(新しい)

おとんも店へ帰り、おかんだけ残りいさと3人
屋久島の話を聞く
 

手術前日ということで、また動脈から採血して血中の酸素濃度を測る測定をした
先生が右の足のつけねの動脈から採血、
何度も針をさしたけど量が取れないということで左でやり直しげっそり
痛かったー!
左は1回でとれたけど、逆に針を抜いたあと出血がどばーときて
看護婦さんが慌ててガーゼを取りに走ったあせあせ(飛び散る汗)
先生は「針1つ刺したくらいでこの出血はこわいなあ」と言ってた。
明日の手術、どうなることやら・・・
無事すんで、出血が少ないといいな。

ほんまに血が止まらなかったね。
若い看護婦さんの慌てようが毎回毎回で。
ちょっと不安とゆうか大丈夫か?って気持ちがどうしようもなかったのを思い出す。
 
右胸はぐるり囲むように切り取るらしい。
資料のためにデジカメで先生が上半身裸の写真を撮った。


また夜にみんな合流して8時すぎまで雑談。
甘いイチゴを食べた。
いさは腰痛が痛くてつらかったみたい。

座ってるのが・・・つらかった~。
すずの足元のスペースにいつも寝そべってたね。
邪魔やった?ごめんな。笑
 
午前中からテンポよく点滴したので(いつもとおり透明2こ、dicのお薬リコモジュリンと抗生物質)黄色い血小板のと赤い輸血1パックずつ。
午後8:45に終了。
 
そのあとお風呂に入る前に自分でも写真を撮っておいた指でOK
改めて写真に撮るとすごい怖い・・・
目で見ると慣れてしまってるんだけど、写真て現実をしっかり映すからかなあ。やっぱりおばけみたいだった。

僕も見たよ。
自分が亡くなったら見て欲しいって僕に残してくれた写真。
ホントに良く頑張った。
写真を見て並の闘いじゃなかったことを改めて感じたよ。
ほんとに君は強く優しい女性だと思う、
そんな状況にありながらしっかり向き合って一緒に生きてくれたことは最高に誇りに思うよ。

 
でももう、明日でこれともお別れだね。
レントゲン検査も問題なかったし。
 
夜10時すぎ、下剤と睡眠薬を飲む。
下剤は8時間くらいで効いてくるから、翌朝効くみたい。
睡眠薬は一番弱いやつらしいんだけど、最後のお手紙を書いていたらぐわんぐわんと目が回ってきて、きたーーー!!!
睡眠薬ってこんなん??すごい。
最後まで書かなくっちゃ・・・と思うも、ぐわんぐわん目が回ってるので大変。字がいがんでる・・・
寝る前にトイレ行くのも酔ってしまって、ちと吐きそうだった。

いさに「睡眠薬効いてるから寝る、ゴメンね」ってメールして爆睡でした。

↑ってここには書いてるけど~支離滅裂で何書いてるかメールも意味不明やってんで~。笑
でも、がんばれー!!って毎日応援してた。
オレも家で寂しかったから、病院にで寂しかったんちゃう?
こころはガッチリ繋がってたから平気やったかな?

兎にも角にも。。。
手術の前日まで漕ぎ着けたね。
ここまで良く頑張ったよな。

手術日の事はまた今度思いだそう。


そや、あしたはすずの誕生日やね。


おめでとちゃん。
虎とケーキでも食べときな。
オレは二人のこと思いながら食べとくわ。
今回のブログは僕には胸に来るキューが強すぎて、なかなかアップできなかった部分です。
妻の、すずのココロの奥の想いが書いてあります。
何度読んでもココロにズシンと響きます。


すず、遅くなってごめんな。
なかなかココロが整わんかってん。
わかるやろ。
ほんま、なかなかに寂しいで。想像以上にな。
オレそんなに強くないしなー。
でも、半年経って少しは強くなったやろ?
たまにしか泣かへんし。
強なったとこちゃんと見てくれてるか?

やっとこの日の日記アップしようって思えたよ。
なんにも付け加えんとアップするわな。


伊勢旅行から帰って病院で採血、輸血

 
「余命1ヶ月の花嫁」を途中まで読んだ。
この人は乳がんで、私は血管肉腫だけどすごく病気は共感できる部分がある。
ただ、この人は余命の告知を拒否していて病気自体を受け止めていたか?については違うかなと思う。

  
●これまでの病気のことを書いてみようと思う●
 
1年前、右胸が痛くなって半年前にはゴルフボール大のしこりを発見。
乳腺専門医のいる○○○○○病院へ行ったけど、「乳がんじゃないから半年放っておいたら治ります」と言われ半年様子を見るが3月、4月にどんどん大きくなった。
別の個人病院を受診、「診た感じ良性だと思うけど、念のため」とした細胞診の検査では注射針に白い液体が採れたけど、成分は血液で先生も「なんだろう??」と
 
大きい検査をしようということで、再び○○○○○病院
前回誤診をした先生じゃなく 個人病院の先生が診てくれたから一安心
MRIを撮る前にした血液検査でひっかかり、とにかく数値が悪いので明日から緊急入院に。
病気のことも訳もわからず 血液内科と乳腺外科のある○○病院へ入院。
 
最初はやらずにすむなら、と輸血も敬遠していたけど先生の話でそんなことを言っているレベルではないと理解。
そもそも私の場合、DIC(炎症部分、この場合は腫瘍に血小板などがどんどん消費される)を起こしていて輸血しないで助かる方法はないとのこと。
すぐさま輸血が施される。
輸血にアレルギーがでてアレルギー用のお薬を入れながら、量を適量に減らしていく。
 
腫瘍に太い針を入れてパチンと細胞を採る検査は、出血のリスクがあるから敬遠していたけどやらないと何もわからない、とのことで強硬突破。
意外と出血は無事止まった。治りが悪かったけど。
採れた細胞はほんの少しで、中がスポンジのようで5回するもきちんとした細胞が採れず、出血のリスクを考えこれで終了。
他の機関にまわす。病気がわかる場合と、わからない場合があるとの説明を受ける。
 
入院中、DIC治療の点滴は24時間いれたまま。足がむくみ、腹水がたまり、体重は+7kg増。
咳がでて、苦しくなり酸素を使うようになる。どの態勢でも苦しく、眠れない。
5月6日が手術日で、前日に撮ったCTでひっかかり先生が告知にくる。
「肺にも胸にも水がたまってて、転移してて、もう手術できない」
先生いわく、腫瘍をとる手術自体が痛いだけで何も意う意味を成さないと・・・
転移部分はどうにもできないと・・・何も治療はないと。
 
「先生の見立てでは、あと余命どれくらい生きられる?」と聞くと
「・・・・数週間・・・・」
あと1ヶ月もつかどうかくらいだと。
危険なのは
・腫瘍が破裂する危険性
・肺がどこまでもつか
ここまで転移が進んだ肺では酸素を送ってもいつまでもつか・・・と
突然1人で聞いた話のわりには冷静に的確にいろいろなことが聞けたと思う。

 
いさと家族は別々に先生に話を聞き、さすがにいさの前では泣いてしまった。
この人を置いていかなくてはいけない、私がいなくなったあとのいさの人生を考えたらかわいそうで泣けてきた。
 
この日から、これまでしていた手術に向けてのDIC治療という入院名目はなくなり
延命に切り替えられ、外泊許可がでた。
2泊の外泊許可がでたので、気分転換に有馬温泉へ行くことに。 

 
肺や胸にたまっている水に圧迫されて息があまり吸えていないとのことで、家には酸素を置いてもらって、移動用の酸素ももらって一安心。
いさいわく、背中をさすったら背中も腫れていたとのこと。
足のむくみはマッサージすると静脈に戻って水分が出ていくとのことで、いさは暇さえあれば1時間でもマッサージをしてくれた。
そのおかげで、マッサージ中にどんどん尿意をもよおし、また先生が処方してくれた利尿剤の効果もあって水分は順調に出ていった。
10分おきくらいにトイレに行くときもあった。とにかくどんどん出すようにした。
 
有馬では、酸素も車椅子も使うことなくゆっくりだけど自分で歩いて、美味しくて体にいいものを食べて、温泉でゆっくりした。
いさと改めて話し、いさは「奇跡」を望んでいることを知った。
人間の生命力だけで延命できるなら、がんばろう!!!がぜんやる気がでた。
 
病院へ戻ったときにはすっかり水が出て元気になって、輸血してまた外泊許可で家へ帰った。
オトンやお姉がいろいろな病院へかけあってくれて、資料がほしいと先生に頼んでいたら
先生から電話があり「腹水もなくなって、体調がいいなら、もう1回CT撮ってみよう。積極的な治療ができるかもしれない」と提案が。
 
病院でCTを撮ると、なんと腹水ばかりか胸水や肺の水も抜けていた。
右の肺に5mmの影があるものの、前回のCTとは全然違う。
前回のCTは右の肺が完全に白い影に覆われていた。
今回のはすっきりしている。
腫瘍に圧迫されて右の肺が沈んでいるものの、生活には支障ないレベル。
 
先生は「あのDICの治療でこんなふうになる人はいないんやけど」と不思議がっていた。
良くも悪くも、私にはそれが起こってたまたま水がたまって
利尿剤やマッサージで排出されたから、手術可能なレベルになったってこと。
すごいね。
 
今回のCT結果を見る限り、腫瘍を撮る手術は可能とのこと。
もちろんDICを発症しているので手術自体に危険は高い、全身麻酔すら危険。
でも以前のように水はみられず、大きな転移もみられず、
希望するなら腫瘍を撮ってインターロイキン2を投与する治療も可能とのこと。
インターロイキン2とは、血管肉腫に使用される薬で
私の場合はDICを起こしているのでこの薬しか使用可能な薬はないらしい。
白血球の数を増やしてガンと闘わせるお薬。
副作用は、高熱の発熱など
抗がん剤ではないので、毛は抜けないし嘔吐もあまりないとのこと。
ただ、これも効くか効かないかわからないし、治る見込みは可能性としては低い。
 
先生に聞いてみた
「今の状態だったら、何もしなかったら余命はどれくらい?」
先生「半年はもたないと思う」
それを聞いて、「1ヶ月が半年になった!」と思った。
思ったと同時に、迷いがでた。
 
いさと2人で相談した。「どう思う?」と・・・
ひとつは、治療せずに(もちろん輸血などは受けながら)このままいけるとこまで生命力でいって、苦しい思いをせずに家で楽しい思い出をつくるって手もあるよ。
 
そしてもうひとつは、治るかわからないけど治療に専念して、入院して、手術して、インターロイキン2で何ヶ月も治療して、完治を目指して闘うか。どう思う??
 
結果・・・やっぱり、希望にかけようと。
このまま何もしなかったら、やっぱり半年後には死んでいるかもしれない訳で
もちろん治療の道を選んでも 死期が早まる可能性もある。
インターロイキン2を投与してどんな反応がでるかわからない。
転移があるのか、ないのか。
闘った結果、体がどこまで弱るのか。
せっかくの残った時間をガンに費やして、いさや家族に苦しむ姿を見せるのか。
楽しい思い出を作れる時間をなくしてしまうのか。
 
 
いろいろな葛藤はあるけど、「やってみたい」「闘ってみたい」
希望の道があるなら。
 
先生にそれを伝えると、先生は3ヶ月先まで手術はいっぱいだけど、来週の木曜日にできると言ってくれた。
手術日、決定。5月20日。
 
 
これが、ここまでの道のり。
 
とにかく、いろんな人が動いてくれた。
 
先生は、何かできないかと文献を探してくれたり積極的に治療をするというチャンスをくれた。
自分も治療をして失敗するのはこわいだろう。
でもチャンスをくれたことに感謝。
 
オトンやお姉はとにかくいろいろ病院にかけあってくれて、 
オカンや妹は暇さえあればお見舞いに来てくれる。
お店もあるのに。
でも、見舞い率が一番高いのはお姉かな。笑
 
オトンの知り合いの○○さんには気功の先生を教えてもらったり、
オカンの友達の店長の知り合いには遠隔ヒーリングでパワーを送ってもらったり、
義理のお兄さんは願掛けでボウズにしてくれたり、笑
がん封じのブレスレットやお守りをもらったり。
○あちゃんはがん封じのお寺へ参ってくれて。
お姉は特にいろいろ動いてくれて、旅行のことを調べてくれたり、お金が苦しくなったら私が出すと言ってくれたり、病院を探してくれたり、私にとっ て良い方角のお水取りのことを教えてくれたり、とにかく持ち前のバイタリティで動いてくれてケーキを持ってきてくれたり病室を明るくしてくれる。
いさは腰痛にもかかわらず体を起こしてくれたり、ワンコの世話や家のことを全部やってくれて、入院から仕事も休んでずっとそばにいてくれて、足がむくんだときはマッサージを沢山してくれて、とにかくあったかい。とことん頼りにしてる。
 
みんなに、感謝、感謝です。
いろいろな東洋医学やパワーを知ることになったのも病気になって新たな発見でした。
失った信仰も取り戻しつつあります。
 
ガンになった原因は、ストレスが原因ともあって・・・・
それはすごく思い当たる。
出産、死産でとにかく胸に抱えこむ思いが強くて
虎ちゃんの出産後は、とにかく子供を見るのも嫌で向き合えなくて、今にも爆発しそうな思いがずーっとあった。
そんなことも病気になった原因の1つだったんじゃないかと思う。
 
でも、不思議なことに
病気になった今。
命がものすごく有難くて、今ここにいることがとても感謝の連続で、
子供のことも すうっと嫌な腫れものが取れたみたいに 嫌な気持ちがなくなった。
「どうしてこの人には子供がいて私は授かれないの」って妬みは、自分自身に命を与えられること自体が素晴らしいことなんだって。
失いかけていた、いさとの2人で歩む人生が続いていくだけで、とっても感謝の気持ちでいっぱい。
人をどうとかこうとか、そういう思いはなくなりました。
まだ、生まれたての赤ちゃんは見れるかわかんないけど・・・ でも、今までとは別の視点で見れると思うな。
こういうのも、病気になって良かったこと、得たものののひとつ。

これからは、病気を乗り越える試練を受けたいと思う。
がんばるぞ!!!
今日は伊勢旅行の日♪

行ける時に行こうっ!てみんなに無理行って仕事休ませてもらい想い出旅行に向かったね。
ほんま喜んでたなー。
2人で遠出旅行無かったもんな。

ワンコたちの世話をしてホテルに向かった。

案外近かったかな、3時間ちょいくらいで着きそうだった。
ホテルのチェックインがまだ先だったのでこのまま先に伊勢神宮へ。

初めて行く伊勢神宮。
神道?
よくわからないままだったけど厳かな雰囲気。
すぐにふざける癖がある僕・・・・。
入る前に真剣な真顔で・・・・
スズにめっちゃ釘をさされる。苦笑
「ふざけたら絶対あかんで!」って。。。

携帯で手順を調べていざ外宮から。
神様が真ん中を通るから、左側通行だそう。
車中、いさに「こうするんだって~」ということを軽く教えておく。

鳥居を通る時にペコリ。ペコリ。ペコリ。
周りの人もペコリ。ペコリ。。
なかなか忙しい。。
日本人の本質が出るような場所やな~と一人感心した。

晴れてたけど神宮の中は木々の影になり少し肌寒い。。

まずは、お水で両手を清め口をすすぐ。

足元は小さい玉砂利、樹齢何百年かという大きな木がいっぱい!
エネルギーを少し分けてね、と両手をあてて心の中で話しかけていく。

この時の君の姿は印象深かった。
ほんとにスーッと木と話してるかのようなそんな印象を受けた。
木にもココロがあるんやろね。
あの時余命が伸びるように、2人の時間が増えるように少しずつエネルギーくれたんやと思う。
違うくてもそう思いたいなー。

白い絹越しの神様へは日々の感謝を述べ、
個人的なお願い事を聞いてくれるという神様へは体からガンという毒素がでますように。とお願いを。
三ツ石にもパワーをいただく。

初めて見た。
神が住む家?社?なんて言うんやろ?
ビミョーに中が見えない。。
案の定・・・・
見ようとする僕を・・・・。
ツンツンと横からつつくスズ。
見ると・・・・
あきれ顔やったね~。
子供すぎる自分に少し反省。
でも、中見たかったなー。
 
その後、車で移動して内宮へ
こちらは、内宮の鳥居




内宮は人が多く賑やかな感じ!


こちらは右側通行だそう。鳥居をくぐるときは、軽く立ち止まり頭を下げる。
鳥居をくぐると、いさが「頭がキーンとしてきた~」と。
普段、頭痛なんてないから変な感じ?
「毒素が出てるんじゃない?わーい(嬉しい顔)」と言い50mほどてくてく歩いていたら、
「あ、おさまった。」
「腰痛も、おさまった。腰が全然痛くない」と言って不思議がっていた。
ふしぎ!!
出たときは腰をひきずるように歩いていたのに、「いたくない!」と言ってスキップしてたよ。。。笑
 
「パワーなんだね、毒素でたんだね。すごいね~」って言って歩きました。

いや・・・
これすごかったね。
なんなんやろか?
それまで腰痛で足引きずってたのに。
入ったらス~っと痛み無くなった。
妙にうれしくなったよな~。
「きっと効くよな~っ」て喜んだよな。


内宮の神様も、絹越しの神様へは日々の感謝を述べ、
個人的なお願い事を聞いてくれるという神様へは体からガンという毒素がでますように。とお願いを。
そしてまた石が祀られていたので、パワーをいただけるよう手を合わせて帰ってきました。
 
神社へお参りに行く ということは自分の意思で個人的に行ったのは初めてで、とても良い経験でした。
たのしかった~。

確かに。
どことなく元気になったような。
気の問題かもしれんけど行って良かったと思う。
ココロを整えるにはいいものだと思った。

その後、内宮のすぐそばにあるおかげ横丁へ。
ここでは食べ歩き!!
冷やしきゅうり、びっ栗パイ、一味せんべい、豆乳ソフトクリーム、豆乳ドーナツ、しぐれ豚まん、しあげに本店で できたての赤福をお茶と一緒に。
おいしかった~~
カメラの充電が切れちゃって写真がないのが残念。

うまかったねー。
全部もっかい食べたいな。
一緒に食べたから美味しかったんかな。
そう思うと1人てちょっとさみしいわー。苦笑

そしてホテルに着いたら、ホテルの人が「平元さま、いらっしゃいませ!歓迎の銅鑼でございます」と言って銅鑼をごわ~んと。笑
 
チェックインし、ロビーでお茶をいただいて立ちあがったら
「あ、腰痛くなってきた・・」
早っ!!
効果切れちゃったんだね、もったいない冷や汗

しゃあない・・・・
中を見ようとしたからかな・・・。
 
ホテルは天蓋付きベッドで素敵。姫がテーマだもんね。笑

 
今日着る浴衣を選んで、お部屋に入ってくつろいで。
露天風呂は温泉じゃないのが残念だったけど、お湯ためて写真撮ってみたらオーブ?みたいなものが・・?
光加減かどうかわからないけど、お伊勢さん帰りだから神聖な気持ちが続いているから良い気をもってかえれたのかな~??



浴衣が着れなくて、いさに着つけてもらったぴかぴか(新しい)
なんでもできちゃうんだね~。
心がウキウキする♪


うーん、ガン患者(正しくは血管肉腫だけど)には見えないね。
前回の有馬旅行よりも格段に調子が良く、しゃきしゃき歩きました。

かわいかったなー。笑
着付けなんて知らんかったけどオカンの見てて見よう見まね
案外上手くいった。。
よく似合ってた浴衣。


今日のごはんは浜焼きで、伊勢エビが豪華!あわびやサザエもあったよ。




ほとんどいさがたいらげた。笑

そやなー。
おかげで太った。。。笑
おいしいもんいっぱい分けてくれてありがとう。。
 
おみやげに料理長からさんま寿司をいただくという、粋な計らいがぴかぴか(新しい)

夜食に貰ったさんま寿司なんかのTV観ながら食べたね。
ほとんど僕が。笑

 
ごはんの帰りに、夜の中庭を眺めながら
絵の具で絵をとんとんして書くやつをやった。
2人とも水分が多くて失敗たらーっ(汗)
あしたもっかいやろう!!とリベンジを誓う。

こんなん好きやったな。
ステンシル?って言うんかな??
明日は上手くいくのか??笑
楽しみに取っておいたね。
  
露天風呂は夜はライトアップ。
ライトがつくのは角のお部屋だけらしくてラッキー☆


お部屋でゆっくりして、就寝。
いさは腰が痛かったみたいで少し起きてたみたい。
私はぐーぐー寝てしまいましたが。。。。

よく眠れたみたいで良かった良かった。
伊勢旅行1日目。
楽しかったね。
想い出いっぱい。
やっぱり無理にでも旅行行って置いてよかった。

2日目も想い出いっぱいできた?
それはまたこんど思いだすよ。

朝から病院へ
CTの検査。
検査待ちのあいだに昨日買った本を読む。
 
「苦難の乗り越え方」
病気のところは読むとやっぱり少し救われる。
 
いさは江○さんが嫌いだし
宗教観も違うから理解しにくいだろうけど、
私が今回の病気になって思ったことはいろいろあって
 
それはおそらく今までとおりの生活をしていたら気づかなかったこと、変われなかったこと。
 
だから病気になってみんなに心配をかけて申し訳ないと思う反面、
良かったこともあったなと思ってる。
 
まずは、家族みんなが思いやりをもてたこと。
仲良くなれたこと。
いたわりの心を持ったこと。
 
家族のあり方が、食事をするだけじゃなくてみんなで旅行にいけるのもうれしい。
わだかまりなんてちっぽけなことで、生きてることが素晴らしいのだから
生きてるうちに伝えなくちゃいけないこと、綺麗なものも見て今のうちに経験を積んで
できることはなんでもやって。

そして矛盾してるみたいだけどこの世への執着をなくしていく。

犬の世話も以前と違い託している。
ワンコのことはこれから託していかなくてはいけないのだから。

病気になって。
残された時間が無くて。
家族とゆう絆が凝縮された。
なにも問題が無い時にそうできていればもっと幸せだったんだろう。
でも、
人ってわがまま。
なかなか上手くいかないね。
ほんとに切羽詰まった時に。
思いだすんだ。

ほんとに

大切なものを。

そんな思いを大切にすることを命をかけて教えてくれた。
ありがとう。
家族仲良くすること。
君の思いとは裏腹にうまくいかないこともある。
ごめんよ。
生きていくとは時にほんとに難しいね。

時間はかかるかもしれないけど修復できるように努めてみるよ。
君が命をかけて教えてくれたことみんなに伝えないとね。
挫けそうな時、力が足りない時はどうか僕を助けてな。


CTの結果がでて、オトンお姉私いさで話を聞いた。
GW前に撮った状態よりよくなっていて
腹水、胸水、肺の裏?に貯まってた水も抜けているとのこと。

肺の小さな影はあるものの5mmくらいで前回と大きさは変わらない感じ

DICは入院前、測定不能だったのが今は高いやら低いやら数値はよくはないものの、測定できるレベルにはなったとグッド(上向き矢印)

このまま余命を生きるか、一か八かの治療にかけるか

どうする?と言われた。


今の状態では余命半年はもたないと言われたけど、余命一ヶ月より延びて良かった!

余命を生きるならおそらくどこかには転移して蝕まれていくんだろうけど、治療の苦痛もなく最期もあまり苦しまずに楽しく思い出を作れるだろう。

治療するなら屋久島にも行けず、入院生活になり手術、苦しい副作用に耐えることになる。
DICにリスクがあるので手術自体にリスクがある。
内臓からの出血や全身麻酔のリスク。

手術が無事すんだら、インターロイキン2を6週間(月~金)投与する。

転移がみられなければ成功だけど確実な保証はない。
つらい治療をしても治る可能性は低い。

話を聞いていさと二人どうする?と話し合った

結論、みんなで力を合わせて頑張ろうと。

食事療法もして内側からも免疫力をあげようと。


繋がりそうな命。
でもそれは本当に亜麻の灯心のごとく弱く儚い命。
何の保証もない未来。
あるのは山積みのリスクだけ。

それでも積極的な治療をしたいと言った君の顔。
忘れないよ。
リスクを承知で

二人のため

みんなのため

一歩踏みが出した日。
何の保証もなかったけどその一歩が踏み出せた

ほんの少しの希望と、ここまでたどり着けた感謝の日だったね。

一時は無理だと言われた希望を再度引き寄せることができた。
そのあとのことはまた思いだすね。


そうそう!君が植えたいっていってたうちのユキヤナギ。
今、ほんとに綺麗に咲いてるよ。
また見においでね。

朝から店に行って、車乗り合わせで阪大病院へ
ぷく、もーもー、小梅にひさびさに会う

実家のワンコ達に会ってちょっと元気出た?
いろいろと心配してたもんね。
特に小梅はスズが大好きやったから。
今はちょっと寂しがってるかな?
でも、ワンコは見えるって言うからもしかしたら僕らには見えないけど会ってるかもね。
 

阪大病院はめちゃ込みで、駐車場がなかなか停められなかった
いさはレクサスの後部座席がめちゃ狭そうでかわいそうだった冷や汗

いつも僕の心配ばっかり。笑
ありがと。
そんな君が好きやったよ。

結局、阪大では乳腺の先生に話を聞いたけど
そこでは有益な情報は何ひとつなくて、
若いペーペーの医者で何もわかっていない感じ。
 
少しでも病気についての知識をつけたかったのでがっかりだった。
予想はしていたけど。
みんながっかりしてしまって、オトンは泣いてしまった

医者ってほんとにヤル気のある人とそうでない人の温度差が激しい・・・。
自分の患者じゃなかったら結構テキトーと言うか。。。
一日に何人も見て現実知るとあんな風になってしまうのかな・・・。
寂しい現実とどうしようもない現実。
やるせなかったな。。
 

その後、せっかく近くまできたから昨日のはりの先生のところへ
おトンはここで解散、帰宅
 
「昨日よりだいぶ気の流れがやわらかくなったね」と言ってもらった
昨日より少し長めの時間やってもらった。
今後はこれるときでいいけど、できるだけ多いほうがいいみたい。
 
「い○みの会」とびわの葉のお灸を教えてもらったのでやろうと思う。
なんでもいいことはやろうと思った。

ビワの葉温灸。
背中や痛む箇所にやってあげたの思い出すよ。
あったかくて気持ちいい~って言ってたね。
できることなら、またやってあげたいよ。
 
お姉に店まで送ってもらい、時間があったので映画館へ行った
キャメロン・ディアスの「運命のボタン」
すごくブラックな映画であんまり体によくない。。。あせあせ

うん・・・・
確かに・・・・。
ボタン・・・・押すなよって2人して顔見合わせたね。苦笑
思いだすな~。
 
でも、焼きたてチュリトスとポップコーン。
隣にはいさ。楽しかったね。

チュリトス!
大好きやったね。
焼き立てじゃないと美味しくないからショーケースに在庫が無いのを確認してから注文してた。笑
焼き立てのシナモンチュリトス。
ほんまにおいしかった。
ポップコーンはLサイズ!
2人でパクパクしながら映画。
僕らの至福の時間やったね。
叶わないとわかっているけど映画デートまた一緒に行きたいな。

帰りにオークワの本屋さんへ
 
「余命1ヶ月の花嫁」
「苦難の乗り越え方」江原さん
「パパ、ママ、あいしてる」6歳で脳腫瘍で亡くなった女の子
「済陽式食事ノート」
どれも今、読むべき本
 
今、本屋さんへ行くと自分が必要としてる本がわかる
導かれてる感じ。

このころから人生の意味をほんとによく考えるようになった。
生きることの困難さと生きることの素晴らしさ。
そんなことを確認できる本をずっと読んでたね。

 
今日は少し肺がしんどくなった
これは機の流れが変わったせいか、ポップコーンの塩分のせいか、病気の進行かわからない。
 
夜寝る前、いさがうれしそうに「また映画いこう」って言った。
「一緒に映画みれてうれしかった」って。 
 
一時期、水がたまってむくみがあったときは映画にいくのはとても大きなチャレンジに感じたもんね。

したいと思った時にする
やれる時にやる。
言える時に言う。
ぼくらには時間が大切だった。
1日が、1時間が、1分が、1秒が・・・・
絶対無駄にできない。
無駄にできなかった。

今度、、、、また、、、、できるって保証はなかったから。
命は大切。
命を大切だと気付かせてくれたのは残された時間だった。
できることなら力づくでも伸ばしたかったな・・・・・。
 
明日は病院、CTもある。
気になることは、進行してるのかってことと
ほかにも転移があるかも。ってこと。
 
右のリンパがすこしひきつれる感じがする。
右の子宮もたまにしくしく。


心配も不安も体調の変化も山積み。
でも、毎日2人で居ることで

共に支え合い。
共に負い合い。
共に分け合うことができた。

愛っておっきいな。
愛ってつよいな。
愛って安心。
愛ってすごい。

愛って心地いい
愛ってほんまあったかい。
愛ってほんまにいいもんや。



愛って何でできてるんやろ?


君に捧げていた愛。。。
今は行き場を失ってすこし困ってるよ。苦笑
こんな僕を見て微笑んでるんやろ~。

たまには夢に出てきてよ。


今日はこれぐらいにしておくね。
また君の事思いだすよ。


今日もぐっすり睡眠をとれた。
病院から外泊許可がでてから、フラットに寝るようにしているけど案外苦しくない。
病院では腹水もたまり、足もむくみ 咳もでて大変だったけど。 
今は元気、元気。
今日なんかは起きあがっても咳もでないくらい。
おかげさまで、いさも私を自由に見放してくれるようになった。笑
他に転移がないことを祈る。。。

ただ寝るだけ。
ほんとに生きる上での最低限の事も普通にすることが大変だったね。
やっぱり病院に居るより自宅に行けたことが良かったね。
君が安定しているな~って感じた時は僕もゆっくり眠れた気がするよ。
  
お昼にオトンが家まで迎えにきてくれて、途中オカンをひろい伊丹の気功の先生のもとへ。
いつも店にくる柴○さんおすすめの先生。
 
服を薄着になり、ベッドに寝ると先生登場。
おそらくほとんど目が見えていない。
いろいろ病状などを話しながら手で触ってくれる。
脈のあたりをさわったり、肩、おなか、あし、胸
押すでも揉むでもなく こしょこしょと触るだけだけど なんだか有難い。
 
先生は右を行ったり左を行ったりきたりして
気の流れを良くしてくれているのか?
「左は触らなくてもいいぐらい健康だね」
「右は、確かに病気はエグイけど他は元気だから、なんとかしたいね」
「肺はまだ大丈夫なところもあるよ」
「安請け合いはできないけど、あなたの場合は他が元気だから・・・なんとかならんもんかなあ」
と言ってくださった。

「小さい粒を体に5か所貼ってあるから。これはコマみたいなもの」
「もしかしたら、患部が柔らかくなったり体積が減ったりってことが起こるかもしれない」
「今日、明日は悪いものをだそうと体が戦うから、すこし微熱がでたり、咳がでたりだるくなったりするかもしれないよ。でも、それは僕が触ったせいだと思ってね」
と先生が言った通り、触られてる後半ぐらいから頭がぼーっとしてきて
10分くらいで終了、車に乗るときはもう軽い頭痛がしていた。
 
いつも頭に毒素がたまる体質だから(なんとなく自分でわかる)ああ、出てるなと感じた。
 
代金はオカンが払ってくれて初診は3500円、次回からは2500円だそう。
いさも一回受けたらいいと思う。

お父さん、お母さんにはいつもお世話になっていました。
この後何度となく気功の先生のところへ行きたいといっていたスズ。
自分に合っていたのかな?
最後のほうは体調が優れず行けなかったけどできることはイイと思うものはなんでもしようと家族一致してた。
すずのご家族にはほんとにお世話になりました。
ありがとうございます。
家族の絆ってほんとに大事だと身に沁みました。
 
帰りの車の中で主治医の先生から電話
「前回のCT撮ったときより、水がひいたりして体調が良いなら、積極的な治療ができるかもしれない」とのこと。
木曜日に病院へ帰ることを伝えると、木曜日に造影剤を入れてCTを撮ることになった
ただ、CTのスケジュールが満タン入ってるから 入れるときに撮ってもらうから 朝から待機しておいてほしいとのこと
先生も動いてくれて有難い。
どう転ぶか分からない体の状況で、「治療しましょう」っていうのは怖いと思う。

主治医の女医の先生はほんとにいろんな面で積極的な先生でした。
自分の病気の事を徹底的に調べ医者と対等に話すスズを全力で支援してくれたように思います。
患者側の病気に対する取り組み思いそんな強い思いが医者を動かすんだと勉強させられました。

治療への道が開けるかもとの希望でほんとにすこしやったけど前途が明るくなった気がしたね。
 
オトンが言っていた「インターロイキン2とタキソールって治療があるらしい」
ただ、それは効果があるかどうかわからない、副作用は結構強い。
元気な体に投与するのは迷いどころ。

抗がん剤の副作用。
この時はできるかどうかもわからなかった。。
ぼくも色々調べ副作用を軽くする方法はないのかいろいろとしらべたなー。
 
中百舌鳥のサンマルクでお姉と合流
オトン、オカン、お姉、いさ、私でごはんを食べる
病気になってからやっと家族のつきあいができている気がする。
こういうところは、良かったことの1つかな。
お姉が白浜や鳥羽の露天付部屋の旅館を調べてくれて
私が「屋久島に行きたい」というと「みんなで行こうよ!」と。

家族の絆ほんとに強くなったね。
もっともっと家族したかったな。
それは少しココロ残りやけどでも家族として病気に立ち向かい協力できたことはほんとによかったよ。
 
 
家に帰ってから4時間ほど眠り、(疲れたのかまだ寝たりなかったけど)
隣に晩ごはんをもらった(たこやき!)
 
夜、いさが腰痛でダウン
最近元気なので安心したのか、先に2階に眠りに行ったので
インターロイキン2とタキソールについて調べてみた。
血管肉腫の治療としては、この薬しか治療法がないみたい。
もちろんそれも副作用が強いわりに効果がある人、ない人にわかれる。
 
それでもインターネットで血管肉腫で治療を受けている人はこの薬。
余命1ヶ月と言われているのが少しでも延びるならいいんじゃないかと思う。
 
生きることに価値がある。
 
私の今後の治療の希望は、
とりあえず右乳房の腫瘍を完全切除
その後、インターロイキン2とタキソール投与で再発防止の治療
肺の転移はおさまらないのかな。。。?
 
おっぱいがなくなっても、毛が抜けてカツラになっても、
生きていることに意味があると思うよ。
 
余命、1ヶ月。
今月中。
主治医の先生の話では、何週間。
それじゃあまりにも短すぎる。
 
せめて、1ヶ月が2ヶ月に…
2ヶ月が3ヶ月になれば…
 
仕事をずっと休んでくれてるいさには申し訳ないと思う
仕事のことも気がかりだろう。。。
いつまでも休んでいるわけにはいかないだろう
でも、目を離したときに突然逝くかもしれない怖さもあるんだろう
 
最近のいさの口ぐせ
「なにかあったらすぐに呼んで」
 
おふろや洗面所にいるとき、ドサッという音にとても敏感で倒れたんじゃないかとすっ飛んでくる
いつも気をはってるんだなと思う。
 
夜、お姉からメール
17(月)、18(火)で屋久島の直行便を予約したとのこと
病院の都合がわからないから輸血日を調整しなきゃいけないけど、行けたらいいな
楽しみ。
 
屋久島行く前に病院で輸血して、気功の先生のとこも行きたいな。


自分の病気の事を調べることそれはほんとにつらいこと。
この病気を発症したほとんどの方が亡くなっているから。
生存率が極めて低い病気。
そんな現実と向き合わないといけないのに、そんな恐怖を抱えながらも自分と向き合ったその精神力には感服するよ。
手術と抗がん剤に自分の未来を託す。

代償は女性として失うにはとてつもなく大きいものだったね。
それでも、君は生きることを選んだね。
この時聞いたね僕に、
「どんな状態になっても好きで居てくれる?」って
どうやったやろ?
ぼくの好きは最後の最期まで君に届いてた?
今となってはそんなことも聞けなくなったよ。

僕の前では容姿が変わってしまったことで涙なんか見せなかったけど、
でも、見てないところで泣いているの知ってたよ。

でもな。
すず、
君がどんな容姿になろうと僕は大好きやったよ。
出会った時と全く変わらず愛してたよ。

生きるその姿はほんとに綺麗だったよ。

生きるための思い。
生きるための絆。
生きるための代償。
生きるための治療。
生きるための希望。
生きるために・・・。

これからいろんな「生きるため」が繋がり広がりを見せたね。

余命一ヶ月・・・・。
生きるためにぼくらが選択したことはまた次の機会に思いだそう。





今日もぐっすり眠れた。
途中、暑くて目が覚めて窓をすこし開けて川の音を聞きながら寝たら寒かったあせあせ
朝、目覚めてもやっぱり夢じゃなかったんだなぁと思った。 

この病気が夢ならどんなにいいか。
ほんまに夢ならよかったのにな。
毎朝起きるたび2人で現実を噛みしめ、受け止めたね。

昨日いさがくれた手紙、あの気持ちが嬉しかったから一日でも長く生きたい。

こないだ君のバッグを整理していたら。
ぼくが書いたその手紙が大事そうに、ほんとに大事そうにバッグの片隅にしまってあったよ。
何度も読んでくれたんやね。紙がしわくちゃになるほど何回も。

生きてほしいこと。
ただひたすら生きてほしいことを・・・
わがままな子供のように生きてくれることをねだってた。
奇跡を信じ前に前向きに生きようって。

そんなぼくのわがままを嬉しいと感じ、生きてくれたこと側にいてくれたことは、
今、ぼくの生きる力になっているよ。


朝ごはんを食べて

オルゴール館へ

 

 
おみやげを買ったよ。

家族にこれが最後かも・・・って言ってオルゴールのお土産を選んでたね。
まだまだ最後なんかじゃなかったやん。
でもいい思い出になったよな。

 

その後、病院へ
午後についたので輸血が終わったのは夜9時すぎ。
それでも今日もみんな来てくれたし、なによりお姉は病院の予約にいっぱい動いてくれて感謝、感謝。

旅行に行って、私が目指す方向が定まった!

生きる。
 
1日でも、2日でも、3日でも多く。
 
こんなに必死になって動いてくれるみんなのために、大事に思ってくれるいさのために。
 
生きよう!って思ってから、とっても体の調子が良い。
 
腹水もお薬で出せるし、熱も36度台に下がったし むくみもなくなって、まだ息切れはするけど酸素は使ってない。
いっぱいしゃべれるし、ごはんは半分くらい食べられるし ゆっくりだけどしゃんしゃん歩いている。
 
本当、生きるって気持ちをもつのって 大事なんだ。
 
前向き!前向き!がんばるぞ!

そう!
その意気!!!
笑って生きよう。笑って生きた!

綺麗事は一切なくいつ終わるかもしれない。
でも、生きようと決めた後のほんとに貴重な日々は

愛する者のため生きることの意味と貴重さを

愛する人がくれる大きな力と限りのない愛の深さを

未熟な僕たちが知るための道のりの始まりだったね。


生きると決めたこの日からどんな日々を過ごしたのか続きはまた思いだそう。

ぐっすり眠れた。
朝ごはんを食べて
ひと眠り。
疲れて眠れると安心する。

有馬はマイナスイオンがたっぷりなのかすずの体調は良かったね。
よく食べてよく眠っていたね。笑

昼から六甲牧場へ

羊がいっぱい!
お馬さんもいました




この時はまだ携行用の酸素をレンタル出来ていなかったから薬局で売ってる酸素を6本くらい持って牧場に行ったね。
途中酸素吸いながら。。。
周りの人も不思議がってたね。
一見はめっちゃ元気やったから。

羊触ったり牛を撫でたり馬と写真撮ったり。
二人とも動物好きやったかた楽しかったね。



似顔絵描いてもらったよ
いさ、似てる~~




描いてもらってよかった!!

この絵は今も飾っているよ。
上手やったよね、似顔絵書いてくれたお姉さん。
描いてもらってたときに通りがかりの人たちが・・・
「兄ちゃんそっくりやん!笑」って人だかりになって楽しかったね~。
この絵の時と比べると今のオレ・・・だいぶ痩せてしまったよ。


呼吸はちょっと苦しかったけど楽しかった~

肺進行してるのかな、心配になる。
一ヶ月よりもっと一日でも長くみんなのために生きたいけど…
なんとか延命できないもんかなぁ。

この時は想像もしなかったぐらい闘ったね。
めげずに生きることだけ考えて!
そんな勇気に今はみんな励まされているって。
いっぱいメッセージくれるよ。
スズの生きた道。
みんなに愛されてるよ。
よかったな~すず。

夜ごはんを食べて(食べてるのはでっかいカレー味のアナゴです。。。)





露天風呂に入って
夜眠る前にいさにぽつりと言った
「朝、目が覚めたら全部夢ならいいのに」
「どうにもならないことなんて、めったにないのにね」
そうしたらいさが手紙をくれた。
「旅行いく前に書いてずっとポケットに入れててん」と言って。
読んだら感動して泣いてしまった
いさのためにも奇跡を起こさなくちゃ。


どうにかしてやりたかった。
なんとかしてやりたかった。
でも・・・
どうにもならないから、ありったけのココロを手紙に込めるしかなかった。

君に手紙を書いてよかった。
君のココロに届いてよかった。


奇跡?
このあと想像超える奇跡何回起きたのを見たよ。

また順番に思い出そな。




体調もよく夜中トイレは2回だけ。
枕を病院から持って帰ったことと、いさが工夫してバスタオルで重い胸を支えてくれてるのと、疲れてたのが良かったみたい。
久しぶりに夢も見た感じがした。
夢が見れると、生きてる感じがする。
でも夜中呼吸が浅くなってた瞬間もあった。
いさは久しぶりにぐっすり眠れたみたい。

少しでも休んでほしい。
眠らせてあげたいその一心だったよ。
君の呼吸を夜中に何回も起きて、息をしているか確かめた。
この日はホントによく眠れた見たいやね。
オレも安心したのかよく眠ったみたい。


腹水、足のむくみが前より取れたから前より呼吸が楽。
肺がいつまでもつかが勝負。

緊迫した状況には変わりなかったけど呼吸苦がすこしでも和らぐと少し安心できた。
肺の出血がとても怖かった・・・。


前は、どうせこの病気で死ぬんなら迷惑をかけないうちにいった方がいいんじゃないかと思ってた。
でも、愛されているから一日でも長く生きたいと思う。
いつか死ぬことはみんな決まっている。
おそらく何がどうなって死ぬのかも。
ただ、それが早いか遅いかだけの話
それなら一日でも長い方がいいよね?
 

愛し愛されたからこそ少しでも長らえることができたのかな。
ほんとはもっと生きてほしかったよ。
産まれて死に向かうんじゃない。
産まれたから愛され生きないと。
早いか遅いか言うのは簡単やけど。。。
早く逝きすぎだよ。
でも、こうして少しでも長くオレの側に居てくれたことはほんとにありがたいことやったよ。


体調が悪くて病院に行ったら数値が悪くて即入院、
入院中にいろいろ検査して
数値は上がったけど病気は進行、
肺に転移 スピードが早い
手術もできなくなり
打つ手立てはなんにもなくなった。。

肺に転移したことで手立てが無くなり。
手の施しようがないと医師から告げられた。
ほんとに驚くほど進行の早い病気で恐ろしさを実感した・・・。


闘病ができるわけでもない。
ただ、毎日病気の進行と自分の体調を実感しながら
残った時間を生きるだけ。
病院にできることは、数値をあげて延命することだけ
回復するための治療はない。
残った時間、できるだけ長くみんなに思い出を残せるように生きたい。

この時、君はどんな気分だった?
オレには辛い顔見せなかったよね。
回復する見込みがなく死の淵を歩かないといけない毎日が来ることをどんなふうに感じていたん?
残された時間なんて31歳の人間が考えることじゃないやん。
オレは君を支えることができていたか?
十分に気持ちを負ってやることができてたか?
残された時間に気付いて毎日をホントに大事に生き始めた。
命の大切さ。
普通がとてつもなく幸せなこと。
時間を無駄に生きないこと。
君の生き方、考え方からいろんなことに気付かされたよ。

 
今日はいさが温泉に行く手配をしてくれた!
嬉しい。嬉しいな。
酸素なしでいつまで動けるかわからないから、早目に行きたくて
いさに無理を言ってしまったけど楽しみ!

ギリギリの状況で決めた旅行。
この時は、これでもう最後になるだろうと思っていたよ。
旅先での、もしもの時のため主治医に紹介状を書いてもらったね。
温泉だったけど二人での旅行にほんとに喜んでいたのを覚えているよ。
やりたいことはやれるときにやろうと思った時にしないとあかんって学んだね。
いつでもできるなんて誰にもそんな保証無いねんから。


新婚旅行。
結婚してから1回も行ってなかったもんね。  
すこしでも多くの思い出をつくろう!
有馬温泉へ出発、意外と早く着き庭で写真を撮った


ぷらぶらお土産探し、蒸したてまんじゅう食べたよ。


美味しかった!
てっぽう水サイダーも飲んだわーい(嬉しい顔)
旅館に戻ってごはんを食べた



お肉があまっちゃったから犬用に持ってかえるかな?って焼いたけど…
結局2日後だから捨てるかなあせあせ(飛び散る汗)
温泉に一緒につかったぴかぴか(新しい)
畳に布団しいてもらってぐっすり眠れた。


楽しかった思い出いっぱい。
新婚旅行が有馬なんて・・・昭和かっ!!て笑ったね。
この有馬の旅館は古かった~。
でも行き先なんてどこでもよかった。
一緒に想い出つくり時間を過ごせたら。

何回も休憩しながら散策したこと。
てっぽう水の炭酸に苦しんだこと。
温泉まんじゅうを6個もたべたこと。
みんなにおみやげで炭酸せんべいを山ほど買ったこと。
旅館までの帰り道おんぶして帰ったこと。
いろんな想い出オレの胸にしっかり詰まってるよ。

しんどかったはずやのに笑ってたね。

どうしようも辛い時、しんどいとき、腹が立つとき、やりきれないとき。
すべてを受け入れ、生きた君を思い出すよ。
最後の最期まで笑顔でいてくれた君を思い出すよ。

それを思うとオレのしんどい、つらい・・・なんてちっこすぎる。
今もオレを成長させてくれてんだね。

ありがとう。


続きはまた別のときに想いだすね。


久しぶりに少し寝れた。
腹水も減ってきたように感じる。
シャワーしてヨーグルトを食べた。

背中とお腹に溜まった腹水。
完全に寝ころべず夜通し体勢を変えるの手伝ったね。


久しぶりの雨
GW前から晴れてたからこの雨の感じ、久しぶりだなぁ

犬は最近いつもおとなしい
何か感じているんだろう
可愛くてたまらない。

ワンコたちもただならぬ様子を目の当たりにしたのか何かを察知したのかとてもおとなしい。
この時ばかりはほんとに助かりました。


今日も生きているけど
家に笑顔が少なくなって申し訳ないな。
話すのが苦しいから会話が短い単語になる
いさもあんまり笑わなくなった
虎をなくした時みたいに、悲しみを抱えた目をしてる。

すずに笑顔が無くなり・・・
明るくしようにも死と隣り合わせの毎日。
今思えばもっともっと明るくいてやればよかったなと胸が締め付けられます。
こんな気持ちにさせていたことほんとに後悔。
後悔なんてしない全力でやったんだと思っていたけど全然だった自分に腹が立ち情けなくなる。
いつ妻を亡くすのか。
そのタイムリミットが見えず。
息子を亡くした時の顔を妻にまた見せてしまっていたことはほんとに申し訳なく思う。
なんでもっと笑ってあげられなかっったんやろ。

すず、ほんとにごめんな。


昼に病院へ、採血して
いさに送ってもらい気をつかって外へ
お姉が来てくれて一緒にパイナップルのムースを食べた。
先生に破裂についてきくとまだ大丈夫そうとのこと、もし破裂しても滲み出るような感じでそんなに怖いことにはならないみたいで安心した。
血圧は130 80で私にしたら高かった。
息はちゃんと吸えてるみたい。
オトンオカンもきた。
6日が手術予定だったからもともと臨時休業にしてたみたい。
輸血中結構長居して帰った(笑)
その後、妹が帰ってきたからまた連れてくるとのことで、ばぁちゃんが使っていた車椅子があるか聞いたらオトンが持ってきてくれた。

ご家族の支えもスズやぼくにとって大きな助けでした。
ほんとに感謝の念でいっぱいです。
こんな家族に守られ過ごせたことは僕ら夫婦にとって幸せなことでした。


血しょう板が20万もあり数値が安定してるの2泊3日外泊していいですよとの事
どこか温泉にでも行きたいな。
今日は気分もよく息も吸えてるし食欲もあり調子がよくて特に夜にかけてよくしゃべれた。
私が明るいといさも犬も明るくなる。
今日は全員おとなしくなかったあせあせ

君は照らす光だったからね。
外泊許可が出て喜んでいた顔はいまでも忘れないよ。

明日体調がよかったら旅行にいくことになった。

急きょ旅行に行くことに。
新婚旅行にも行っていなかったからね。

どんな旅になったのかそれはまた別の機会に