ずいぶん遅くなりましたが、明けましておめでとうございます・・・・・・。

今年のお正月は、例年になく雪のない穏やかなお正月を過ごしています。


お正月とはいえ、おせちを用意するわけでもなく、お雑煮を元旦に家族でいただくというようなドラマのような光景はなく、ダラダラと夜ふかしをして「寝正月」を楽しみます。


依存症を抱える家族にとって、お正月ほど鬱陶しいモノはないと思うのです。

世の中がどことなくうかれ気分で、「御神酒」だとか、なんだかんだとアルコールが溢れまくり・・・。

何かをしでかしたところで、「お正月なんだから・・・・・。」なんていわれて・・・・。


年末の「紅白歌合戦」見ながら、「年越しソバ」ならぬ「年越し蕎麦焼酎」・・・・。

気を失ったまま年を越し、何となく酒を飲み、二日三日は、家族はどこかに緊急避難と言う名目で実家へと・・・・・。


箱根駅伝が終わった頃には、孤独感と体力の限界で自己嫌悪・・・・。


何度こんなことを繰り返したことか・・・・・。


 今年何年ぶりかに家内の実家に行ったのですが、記憶の中にいる姪っ子たちは小学生。

ところが、大学生とか、就職が決まったとか・・・。もう立派なお姉さんになっていて・・・・。


なんだかんだと今年も生きています。

最近、ある著名人が書き残した「エンディングノート」が話題になっているようなので、とある書店に立ち寄り「エンディングノート」を買い求めてみた。

自分の「葬儀」をどうして欲しいとか、どんな、「供養」がして欲しいからではなく、今までの生きてきた事柄を家族にも話してみようと思ったからである。


幼稚園の頃から始まり、各学校ごとに区切ってあるのでそれとなくかみ始めた・・・・。


10代20代・・・。と年齢ごとにも書き込みやすくなっていたのだが、20代の半ばから記憶が曖昧になってしまっている。


その頃から、お酒をお酒としてではなく、アルコールという「薬物」として「使用」していたということが明らかになる。


こうして、自分がどれほどの愛情を受けて生きていたかということに気づくこともできる。


「しあわせになる」ということだけを求めて、仕事に打ち込んでいるフリをして、見た目ばかりを気にしていた頃、何かが少し狂っただけなんだろうと思う。


 お酒をまだ、「お酒」として楽しんでいた頃は、「あこがれ」だとか、「目標」が確かにあったということ、「プライド」もあったし、「責任感」もあった。


 

 お酒が止められなくて、孤独で、言いようのない不安感の中でもがいていて、なんとか「お酒さえ止められたら・・・。」なんとかなると漠然と思っていたのだけれど、その過ぎ去った時間の中で、失ってしまった多くの事柄から、少しづつ普通の生活を取り戻そうとするのだけれど、そこには、「不信感」という水がいつも流れていて、埋め合わせをしようとすることを流してしまう・・・・。




携帯電話がなる・・・・・。

一度、教会に来てことのある苦しんでいる仲間からの電話である・・・・。


弱々しい声で、「どうしたらいいのかわかりません。・・・・」から始まり、一通りの不満を漏らしながら切れてしまう。


今夜も、かかってきた・・・・。


悲しいことだけれど、私たちはいつもの時間に、教会の部屋を暖かくして、苦しんでいる仲間を待つことしかできない。



気が付けば昼時をとっくに過ぎていたのだけれど、コンビニによってお弁当とお茶を購入し、天気も良かったので近くの公園で気分転換も兼ねてランチタイム・・・・。


そこまでは何も感じなかったけれど、秋の日差しに中でいろんなことを考えてしまったわけです。


公園を掃除している初老の男性を見て、「この人も定年まで働いて、会社ではそこそこの立場のいたのかなあ」とか、「家族はあるのかなあ」とか、どうでもいいことを考えたり、駐車場の会社名の入った車を見て「営業がうまくいったかなあ」、「サボっているのかなあ」とか・・・・。


最近思うのです、このままでいいのかなあ・・・・。みたいなことを、将来の不安みたいなものでもなく、ただ何となく自分がどうしたらいいのかなあ・・・?みたいな感情の不安定感を感じているのです。


ケータイがなって用事を言いつけられることもなく、下手したら夜の遅くになるまでここでこうしていても・・・・。

世間から阻害されているわけでもないのだけれど勝手に疎外感が襲ってきたり、誰も見ていないはずなのに世間の目が気になっているという自分がいるのです。


気分転換に立ち寄った公園のベンチで「マイナス方向」への気分転換になってしまったという感じなのです。



家族に対して長い間「アルコール」に逃げるという行為をしてきて、言いようのない苦しみだとか情けなさ、平穏な時間を奪って来たという事実は、どれだけ時間をかけてはなしをしても、言い訳にしか聞こえないであろう。


飲まない生き方の中で、はじめの頃どうしても自分に自身もなくしているし、こうなってしまたことがうまく理解できないというか、現実を受け入れるということができないでいた。


依存症特有の「否認の感情」が出てきて、アルコール以外の事に逃げ道を探してみるのだけれどその生き方も行き詰まってしまう。


どうしても、変なプライドだとかしがらみだとか、周りからどう見られているのだろうかというようなどうでもいいことが、気になってしょうがない自分に気がついた。


最近わけあって「履歴書」を書かなくてはいけないことがあった。

ごく当たり前の履歴書で担当者は何を信じてこの一枚の紙切れを見るのだろう。

まず、字が綺麗かとか、学歴だとか見てこの人が会社の戦力になるかどうかを判断するのだろうか。

職歴の掲載が多いとか、提出する方は少しでも気にいられようとしている。


この履歴書が白紙になればどんなに楽だろう、そう感じたのでもう一度「履歴書」を見つめなおしてみた、学歴にしても、自宅から一番近い公立高校を平凡な過ごし方で卒業して、夜間部に進学、アルバイトはしていたけれど、仕送りもしっかりあてにしての苦労知らず。

自慢できることなど何もなくて、趣味なんてあるはずも無く、アルコール依存症なんてかけるはずもないし・・・・。


そうしているうちに、自分が思っているほど大した生き方もしてきていないことが分かってきた、ただひとつだけ言えることは、「家族を愛している」ということは自信をもって言い切れる。


たしかにいつでも家族に接しいるときは「酔っぱらい」の状態なので正しい愛しかたも出来ていなかったし、子供たちの求める父親ではなかったことは認めるけれど、いつでも「この子達のために、妻の笑顔が見たいから」そう思っていたのは間違いはない。


幼い頃の子供たちの求めていた愛情と、押し付けていた愛情の間には埋めることのできない「ずれ」があるだろうことは想像出来るけれど、毎日のふれあいの中でわかり会える日が来ると信じている。