毎日ツラいと思いながら生きていた。
自分には向いていない仕事がツラい。
苦手な人とのつきあいがツラい。

もっと楽に生きられないものか?
現在の仕事やめて、他の仕事をはじめようか?
苦手な人たちと関わらなくてもいい仕事はないか?
マンション売って、どこか、引っ越そうか?
もっと、割のいい仕事はないか?

そうやって、いろんな嫌なことから逃れることが出来れば、
このツラさから解放されて、もっと楽に生きられると思っていた。
仕事を変えれば、
苦手な人を避ければ、
引っ越せば、
一時的には、ツラさから解放されて、楽になることが出来る。
でも、長続きはしない。
また、同じツラい生活がやって来る。

嫌なことから逃げることを肯定していた。
逃げなければ自分は、精神的に潰れてしまう。
だから、逃げるしかない。
逃げることは正しいのだと。

でも、逃げることなど出来ないものから、
自分は逃げようともがき苦しんでいたと気づいた。
自分にとって得意で、自信を持ってやれることだけやっていればいい仕事などどこにもない。
仕事でも、プライベートでも、苦手な人がいない人付き合いなんてあり得ない。
だから結局、どうすればいいのかわからなくなってしまう。

答えは一つ。
逃れることができないのだから、もう逃げようとしないこと。
その現実を受け止めて、腹をくくること。

自分をツラくさせているものは、
苦手な仕事や、苦手な人ではなく、
その仕事や人間関係がうまくできないというコンプレックス。
自分自身のコンプレックスが原因なんだと。

だから、今よりもっと楽に生きるためには、
そのコンプレックスを少しでも少なくすること。
苦手なものを、少しでも、苦手ではなくすること。
苦手なものが、苦手ではなくなった時の良いイメージを持ちながら、
あえて、苦手なものに前向きに取り組むこと。
そうするほかない。
そう覚悟を決めれば、
自ずと自分が何をすべきか見えてくる。
やっと、このことに気づいた気がする。
私は一応、元高校球児なんだけど、今年の夏の甲子園はあまりテレビ観戦することがなく、気がついたらもう決勝だった。
という感じであまり印象に残ったものがない。
そんな中で唯一釈然としないものが残った。
花巻東の千葉君のカット打法についてだ。
試合後も議論が続いているようだ。

問題は、審判が試合において、ルールに基づいてカット打法をバントと見なし、スリーバント失敗とジャッジしたのではなく、
準決勝前に、審判団が「次やったら、アウトにしますよ。」と事実上圧力をかけてカット打法を封印させたこと。
しかも、審判団が通告した動機が、ルールにあるカットの動作が問題だからと言うよりは、ルールにはない、あまりにもたくさんカットするからというのが本当の理由だと思われるからだ。

高校野球特別規則「バントの定義」には、
「バントとは、バットをスイングしないで、内野をゆるく転がるように意識的にミートした打球である。自分の好む投球を待つために、打者が意識的にファウルにするような、いわゆる“カット打法”は、そのときの打者の動作(バットをスイングしたか否か)により、審判員がバントと判断する場合もある。」
と、ある。
つまり、判定の根拠は「打者の動作(バットをスィングしたか否か)」であり、たくさんカットしかた否かではない。

しかし、大会本部が花巻東に通告した動機は、千葉君の動作がスィングしていないとみなしたからではなく、あまりにもたくさんカットするからだと思われる。

一つ一つの動作だけを見れば、千葉君のカットは、スィングしていると見なすのが常識的だ。
スィングかバントかの基準がルール上明確に定義されていないと言っても、多くのプレイヤーがどういう動作がスィングで、またはそうではないかは、概ね共通認識のうえで野球が行われている。
そうでなければ打者は2ストライク以降どうしたらいいかわからないし、野球そのものが成立しない。
そういった多くの野球関係者の共通認識からして、千葉君のカットはスィングしているとみなされるはずだ。
実際にこのことが話題になった後の、プロ野球選手等のコメントでも、「スイングしている」というコメントか、「判定は審判がする」というコメントのみで、「スィングしていない」とするコメントはみあたらない。

もっと言うと、2ストライク以降、スィングしていない動作で打球がファールになっても、スリーバント失敗が宣告されることはまずない。

例えば、打者は最初はストライクだと思って打ちに行って、途中でボールだと思い、バットを止めたが、ボールが当たってしまい、ファールになるということがよくある。
わざとではないが、審判は打者の意図がどちらかを判断することはできない。

さらに、例えばストライクからボールになる変化球に対応する場合、打者はまともなスィングはできず、当てるだけで精一杯といった動作になる。

高校野球規則特別規則のバントの定義を根拠に、打者の動作がスイングしたか否かを判断基準として、花巻東の千葉君にスリーバント失敗のジャッジをするとなると、
公平にルール適用をするならば、上記のようなプレーもスリーバント失敗とジャッジしなくてはならなくなる。

さらには、他の選手によるたった1球のカットでも、その動作が千葉君のカットと同じ程度のスィングでしかなかったならば、同様にバントと判定しなくては公平ではない。

甲子園の準決勝で、急にそんなことを始めれば、千葉君だけの問題ではなく、全選手にとって、これまで普通に行われていたプレーが突然スリーバント失敗でバタバタとアウトになり、大混乱となる。
だから、審判は試合で千葉君のカットをスリーバント失敗とジャッジすることなんてしたくないし、出来なかった。
だから、審判団にとって最も穏便な方法は、千葉君にカット打法をやめてもらうことだったはずだ。

だって、そもそも大会本部は、千葉君のカットがバントくさいから問題だと思ったのではなく、あまりにもたくさんカットするから問題だと思ったのだから。
しかし、繰り返し言うが、たくさんカットしてはいけないというルールは無い。

さらに、スリーバント失敗はアウトで、スィングによるカットはセーフだというルールは、バントでカットすることは比較的容易だが、スィングしてカットすることは難しく、そう何球も続けてカットし続けることは出来ない、という認識のもとにルールがある。

おそらく野球未経験者だろうが、カットは簡単だとか、卑怯な戦術だとか、みんながカット打法ばかり使ったらどうするんだ、とかといった書き込みが見られる。
千葉君のカット打法は、まねしようとしたって、そうそうできるもんじゃない。
カットを何球か続けるうちに、大抵フェアゾーンに入ってボテボテの内野ゴロになってしまうか、ファールフライになってしまったりするもの。
千葉君が修得したカット打法の技術は、相当高いレベルにあることは確かだ。
野球経験者であれば、千葉君のカット打法がどれだけ高度な技術かがわかるはずだ。

体格に恵まれない千葉君が、
普通にやっていたら、おそらく強豪校でレギュラーになることは出来なかっただろう。
カット打法を修得し、驚異的な出塁率を稼ぎ、レギュラーを掴んだ。
その磨いてきたカット打法の動作が、ルール違反だとジャッジされたのではなく、
あまりにもカットが上手くて、たくさんカットしすぎるから、大会本部から封印させられた。
それも甲子園の準決勝まで来て。
今後の千葉君の進路はわからないが、もしかしたら、本格的な野球の最後の試合になってしまうかも知れない。
その無念を思うと、胸が苦しくなる。

東京地裁は9月26日、いわゆる陸山会事件及び西松建設事件に関し、政治資金規正法違反に問われた元秘書3人に対し、有罪判決を言い渡した。

検察による捜査段階の供述調書が大量に証拠不採用となったことなどから、無罪判決が出る可能性が高いのではと予想していた私は、いかに自分が甘かったかを思い知らされた。

このような判決が下されたという事実は、「不当判決」とか「司法の危機」とか、もはやそういうレベルではない。裁判所と検察はすでに制御の効かない極悪機構と化し、日本を巣食う既得権者たちの手先となり、彼らにとって疎ましいと狙われた人物は、ほんのわずかでも法に触れる可能性があれば、証拠が無くても犯罪者に仕立てられ、社会から抹殺されてしまう、そんな恐ろしい社会に私たちは暮らしているのだと、あらためて受け止めざるを得ないと悟った。

twitterではこの間多数の書き込みをしたが、若干思いつきで書き殴っている部分もあるので、ここであらためて頭の中を整理するつもりで、久しぶりにブログに書くことにした。

まず、今回の判決では3つの訴因と、2つの背景事情の事実認定という問題がある。

この裁判はあくまでも、政治資金規正法違反に問われたもので、収支報告書に虚偽、あるいは不記載があったというものである。

西松建設事件においては、実態は西松建設からの献金であったものを、新政治問題研究会と未来産業研究会からの献金であったと、虚偽記載したこと。

陸山会事件においては、04年分の収支報告書においては、4億円借入の不記載。
さらに、土地購入に際しては、04年であったものを05年に記載した期ずれ、である。

この裁判の最大の問題は、以上の3つの訴因に関連して、訴因に無い、本来ならば訴因よりも重大な犯罪が、あくまでも背景事情のまま事実だと認定されてしまったことである。

西松建設では、いわゆる公共工事入札時の「談合」が繰り返し行われており、しかも小沢事務所の秘書が「天の声」として本命業者を指名していたと認定され、独占禁止法及び談合罪である。

陸山会事件では、水谷建設から、胆沢ダム建設工事受注に絡み、お礼として5千万円を2度、計1億円受領したと認定され、贈収賄にあたる。

背景事情というのは、訴因が起こった理由として挙げられたものに過ぎず、そもそもこの裁判ではその事実関係等について争うものではない。
したがって、その事実関係については、検察側からの証拠提出や、弁護側からの反論が十分に行われないままに、最後に裁判所が一方的に「あった」と認定してしまった。

しかも、訴因にある政治資金規正法違反にあたる事実よりも、談合や贈収賄の方が悪質で重い罪に問われるべきものである。にも関わらず、これらはいずれも立件されていない。
しかも検察は立件しようとして、十分な証拠を揃えることが出来なかったために、見送られた案件だ。

例えて言えば、殺人事件で、アリバイ工作に協力したとして犯人隠蔽罪だけが問われて、判決でその背景事情として親しい人が犯した殺人が認定されたにもかかわらず、その殺人そのものは立件されないようなもの。
こんなことはあり得ない。

こんなあり得ない判決が出たにも関わらず、大手マスコミは、「元秘書3人有罪」さらには「水谷マネー・天の声認定」などと、あたかも、裁判で贈収賄や談合の事実関係が争われ、それらの罪について有罪判決が出たかのような報道の仕方である。
一部には詳しい解説記事や、判決要旨なども報道されるが、それをじっくり読む人はごくわずかに過ぎない。
大半の人は、テレビニュースでキーワードをつなげた短い説明や、新聞の見出しと、冒頭の要約文くらいしか見ない。

せめて、判決要旨をしっかり読めば、この判決を異常だと受け止めることは、一定の常識なり、理解力・判断力がある人であれば当然のことだと思うのだが、この間繰り返し「政治とカネ」というキーワードで、「小沢一郎(秘書も含めて)は悪いことをした」と刷り込まれている人たちがあまりにも多くいる。
そのことが残念でならない。

 2月7日、陸山会事件の初公判が開かれた。
 小沢氏が1回目の検察審査会の起訴相当議決を受けた後に、石川氏が検察から再聴取された際に、録音していたものの文字起こしを、以下のサイトからダウンロードできる。
http://bit.ly/eEfQgd

 これを読んでまずは、あらためて検察にとって標的は小沢氏であり、石川氏はそのための踏み台でしかない。しかも、真実を明らかにしようとする姿勢は皆無であり、小沢氏にとって不利な供述を維持させようとすることだけに注力していることがよくわかる。

 しかも、この田代検察官は、なんともお粗末なロジックで、石川氏の供述を維持させようとしている。

 この検察官の主張するロジックは、
「石川氏が拘留中の(陸山会の収支報告書の虚偽記入を小沢氏に説明し、了承を受けたという)供述を全面否定する」
→「小沢氏が石川氏に供述を全面否定するように圧力をかけた」
→「検察審査会の委員にとって、小沢氏が“絶対権力者”のイメージがより強くなり、2回目の起訴相当議決、よって強制起訴となる」
→「小沢先生が強制起訴にならないためにも、拘留中の供述を維持した方がいい」

 それにしても悪質なのは、この聴取している検察官自身が、不動産取得の期ずれについては、4億円を隠す目的ならば意味が無いとし、水谷建設からの裏献金についても証拠が無い、と認める発言をしながら、いずれも逆の調書を取ろうとしていることである。

 不動産取得の期ずれについてこの検察官は、こんなことを言っている。
「12月だろうが3月だろうが変わんねーからさ、また変わると、なんでじゃあ変わったのってなっちゃうからさー。めんどくせーからさ。」
「16年を17年にずらしたって、17年も工事あるからね。あんま意味ねーんじゃないかって思うんだけどさ。」

 また、水谷建設からの裏献金については、石川氏のもらっていない、という発言に対して、検察官はこう言っている。
「そりゃいいんだけどさ、そこは誰も気にしてないのよ。」
「汚い金だっていうのは、検察が勝手に言っているだけで、そんなのは水掛け論になるから、相手にしなくていいのよ。証拠ないんだから。別に。」
「そこのところ(石川氏が裏献金を受け取っていないということ)は、ちゃんと理解しているのは、俺と吉田正喜(東京地検特捜部副部長)しかいないと思うんだよね。」
「吉田正喜もずるいから、そういうところは絶対公にいわないんだけど。」

 これはまさに、意図的に冤罪を作りだしている犯罪的行為だ。
 特に、相手の立場に立って、あたかも自分は味方だみたいな言い方をして油断させておいて、結果的には不利になるような調書を作り、署名させている。
 これが検察の取り調べの実態なのだろう。
 この検察官が特に悪質なのではなく、検察という組織が、こういうやり方が当たり前になってしまっている腐敗した組織であるということ。
 その腐敗した組織が異常に強い権力を持ち続けて、社会を歪めていることに、あらためて、強い恐怖と怒りを感じる。

 なお、文章は若干の編集をしているので、できれば原文で確認してもらいたい。

 陸山会の収支報告書の問題は、事実と異なる記載や不記載があったとしても、刑事犯罪と言えるようなものではない。虚偽記載は、その裏にある裏献金や贈収賄といった悪質なものを隠すものであったことが証明されない限り、単なるミスであり、毎年百の単位で行われる訂正と何ら変わらない。

 このことを前提としつつも、陸山会の収支報告書を眺めると、説明の付かない不自然な箇所がいくつかある。(陸山会政治資金収支報告書の要約

■借入4億円が4億円の定期預金に

 陸山会の収支報告書を素直に見てみると、どう見えるか?
 平成16年では、小澤一郎氏個人からの借入4億円によって収入が大きく増え、同時に4億円の定期預金が組まれて資産が増えている。
 土地購入というまとまった資金が必要なため、小澤氏個人から4億円を借り入れ、一旦これを定期預金にしておき、翌年1月の土地代金支払いに備えた。
 平成17年1月には、繰越金と定期預金を一部解約したものを合わせて、土地代金約3億4千万円を支払った。小澤氏個人には、平成17年と平成18年の2か年にかけて借入金を返済した。と、解釈するのが自然だろう。

 しかし、実際には、土地代金は小澤氏個人の資産を原資とする資金から平成16年10月の時点で全額支払い済みだった。
 さらに、陸山会及びその他の小沢氏関連の政治団体から集めたお金をもとに、4億円の定期預金を組み、これを担保に同額の融資を小澤一郎氏個人が受けて、これを陸山会に転貸したという。
 この収支報告書から単純に想像されることと、実際のお金の流れの食い違いが、検察から疑惑の目で見られることとなった。

■新たに定期預金を組み、これを担保に借り入れする動機は何なのか?

 元秘書の石川氏は、平成16年10月に、わざわざ新たに定期預金を組み、これを担保に同額を借入している。
 こうすれば、定期預金による受取金利を上回る支払い金利を負担しなければならないので、損をしてしまう。
 もともと定期預金があり、一時的な借入をするのならばわかる。定期預金を解約すると受取金利が減るし、一時的で借入期間が短ければ支払い金利は少なくてすむ。しかし、報道等から判断する限り、陸山会のとった行動は、そうではないようだ。
 
 小沢氏は、「当時陸山会の経理を担当していた秘書から各政治団体の資金をかき集めればなんとかなるが、そうすると各政治団体の活動費がほとんどなくなってしまうので、私に何とか資金調達できないかと言ってきました。」と説明している。
 つまり、運転資金が足りなくなるかも知れないから、小沢氏の個人資産から陸山会に貸し付けたと言っている。にもかかわらず、陸山会に集めた現金や普通預金をもとに新たに定期預金を組み、これを担保に借り入れるという行為は、運転資金として使える金額はプラスマイナスゼロであり、定期預金の受取金利より多い借入の支払い金利を負担するという、あえて損をする行為なのである。

 つまり、普通に考えれば、かき集めたお金をそのまま運転資金として使えばいいはずだ。
 あるいは、定期預金を組むにしても、借入は必要な分だけ最小限の金額を借り入れれば支払い金利は最小限で済むはずだ。定期預金を担保に借り入れる場合、銀行は全くリスクが無いので、すぐに借入ができる。

 この記事を書く際にも参考にさせていただいた、細野氏のレポートでも、この借入について「運転資金確保のために利息を払っても借入をするというのは、きわめてまともな事業の常識」と言っている。しかしこの常識は、例えば土地を担保に借入するなど、使える運転資金を増やすことができる場合である。陸山会の場合は、陸山会にもともとあった資金から新たに定期預金を組み、これを担保に借り入れているのだから、使える運転資金は全く変わらない。常識的な資金繰りとは言えない。

■運転資金として、なぜ4億円も借り入れたのか?

 平成16年に小澤氏個人から借り入れた金額は、実質的に4億円である。陸山会名義の定期預金を担保にした借入4億円は運転資金として使えるお金はプラスマイナスゼロなので、運転資金としてはカウントできない。
 小沢氏の説明では、土地購入代金は、各政治団体の資金をかき集めて何とか足りるが、運転資金が足りなくなるから、4億円を一時的に貸し付けたとある。
 しかし、小澤氏個人からの借入を記載していない収支報告書で、資金繰りは十分回っている。ただ、平成16年中に土地代金を支払ったとすると、確かに一時的に足りなくなる。しかし、平成17年に「小沢一郎政経研究会」から陸山会に1億5千万円資金移動(寄付)することで、足りている。

 一時的に運転資金が足りなくなるとしても、4億円も借りる必要がない。
 平成17年の陸山会の支出から、土地購入代金や、小澤氏への借入金返済を除くと、1億4千万円程度である。通常の年間支出額の3倍にもあたる4億円を、運転資金として借り入れたという説明には無理がある。

■小沢氏の個人資産からの借入は、立替なのか?

 郷原氏や細野氏の解説にあるように、小沢氏の個人資産から陸山会への貸付を、土地代金支払いのための立替だと見れば、借受金であり、収支報告書にも記載する必要がない。
 したがって、収支報告書の誤りは、検察審査会の議決にある「4億円の借入れをしたのに、平成16年分の収支報告書にこれらを収入として記載せず」ではなく、「4億円の定期預金は小澤氏個人のものであるのに、陸山会の資産として記載した」こととなる。
 もし定期預金4億円を、平成16年収支報告書の資産に計上しなければ、この4億円は仮受金として処理されたのであり、収支報告書としても適正で何の問題もない。

 しかし、小沢氏の説明では、陸山会が土地代金を払ってしまうと運転資金が足りなくなるから、個人の資産から貸し付けたとされている。であれば、土地代金を支払ったあと、しばらくは運転資金として陸山会に置いておくお金が必要ということである。
 さらに、4億円の定期預金の原資には、小澤氏個人からの借入4億円うち、土地購入代金を除いた約5千万円のうちの一部を使わないと、資金が足りないはずである。

 例えば、何かまとまった入金予定が土地代金支払いの直後にあったというのならばわかるが、そうでなければ、小澤氏の個人資産からの貸し付けは、短期的な貸付ではあったと思うが、いわゆる立替とみるのはかなり苦しいように思う。
 少なくとも、土地代金を実際に支払った平成16年10月29日の時点で、定期預金を組むことで、小沢氏に立て替えてもらった4億円を返済したことにはならないはずである。
 実際の資金繰りとしては、平成17年になって、「小沢一郎政経研究会」等の政治団体からの資金移動をもって、運転資金が充足している。収支報告書に記載されていないので、実際にいつこのお金が返済されたかわからないが、年度を超える立替は認められないだろう。

■「不自然」=「偽装工作」とは言うべきではない

 これまで述べたように、陸山会の資金の流れには不自然なところがいくつかある。しかしだからと言って、検察審査会の議決にある「偽装工作」と言えるのだろうか?
 議決では、「小沢氏は本件土地購入の原資を偽装するために、銀行から陸山会の定期預金4億円を担保に小沢氏個人が4億円を借り入れる」としている。
 偽装が目的ならば、定期預金を簿外にして、収支報告書に記載しなければ、収支報告書上矛盾が無かったし、あるいは、銀行からの借り入れを直接陸山会が借りれば、これもまた矛盾がない。にも関わらずそうしていないのは、作為的な偽装工作になり得ていない、つまり単なるミスと見るべきである。

 ここであらためて私のスタンスを説明するが、私は何も小沢一郎氏をなんとしても擁護しようとする立場ではない。検察やマスコミの不当性を批判することに主眼がある。
 もともと東京地検特捜部は、小沢一郎氏を狙っていた。収支報告書にこのような不自然な点があり、疑われたから、強制捜査が行われた。その結果、確たる証拠が出てこず、不起訴になった。
 そうしたら、これで終わりにしなくてはならない。強制捜査されたことをもって、「離党しろ」、「議員辞職しろ」、「証人喚問だ」と、さらには検察審査会が、「強制起訴して裁判で決着つけろ」として、小沢一郎氏の政治生命を奪おうとすることは不当である。

検察審査会の2回目の議決。1回目の被疑事実にないにもかかわらず、2回目の犯罪事実に突然出てきた、小沢氏からの4億円借入の不記載。
 1回目にはない犯罪事実を含む2回目の起訴相当議決が有効なのかという問題は大きいが、マスコミの報道等ではこちらの問題の方が大きく取りあげられていた問題でもあり、この重要なテーマについても整理しておく必要があるだろう。

 ただ、マスコミの報道やネットからでは、正確な情報がなかなか把握できない。これだけ膨大な量の小沢バッシング報道がされたにも関わらず、不思議なくらい事実関係を正しく整理した報道やネット上の情報を見つけるのに、非常に苦労する。
 また、私は会計の専門的知識を持ち合わせていないこともあり、重要なテーマでありながら書くのが遅くなってしまった。

 そこでなによりも、政治資金収支報告書そのものを見なくてはならない。
 過去2年間については、報告書そのものが総務省のサイトに掲載されているが、それ以前のものとなると、官報に掲載されたもの概要版を同じく総務省のサイトで閲覧することができる。
 肝心の平成16年の陸山会の政治資金収支報告書もここで閲覧できる。

 マスコミやネット上では、今回の陸山会の収支報告書の問題を、さもわかったように語る人たちが多いが、どれほど収支報告書そのものをしっかり見た人がいるのだろうか?
 実は私もはじめはどこで閲覧できるのか、探すまで時間がかかり、さらに、実際に見てからも、マスコミ等で報道されたことと、収支報告書の記載内容との照合、さらに実際にお金の流れがどうだったのか、理解するのに苦労した。

 さらに、収支報告書には、時系列的にお金の流れが記載されているわけではない。年末時点での1年間の収入と支出と資産が記載されているだけなので、実際のお金の流れは、報道された内容等から推察するしかない。

 平成15年から19年における、陸山会の政治資金収支報告書の要約を表にまとめ、ここに掲載した。

■4億円不記載とは何か?


 2回目の議決には、犯罪事実として「陸山会が、平成16年10月初めころから同月27日ころまでの間に、被疑者から合計4億円の借入れをしたのに、平成16年分の収支報告書にこれらを収入として記載せず」とある。

 収支報告書には「借入金 小澤 一郎」とあるので、さらにこれとは別の4億円の借入があったという主張である。つまり、合計8億円を小沢氏個人から借り入れていたのに、このうち4億円しか記載しなかったとして、犯罪事実として書かれている。

 平成22年1月23日付けの小沢氏からの説明でも、個人の資産から貸した4億円と、定期預金を担保に小沢氏個人が借り入れ、陸山会へ転貸した4億円があると思われる。
 収支報告書を見ただけでは「借入金 小澤 一郎」としかないので、これがどちらなのかは判別できない。しかし、検察及び検察審査会の主張としては、個人の資産から貸した4億円の方が記載されておらず、だからこれは不正なお金を隠蔽しようとしたものだと主張している。

 小沢氏の説明では、「個人の資産の4億円を一時的に陸山会に貸し付けることとした」としているように、経理上どう処理するかは別にして、貸し付けたと説明している。
 一方、定期預金を担保に小沢氏個人が借入れ、陸山会に転貸したことについては、借入のための書類に署名したことは認めているが、具体的には「関与していない」と説明している。

 ここでややこしいのは、担保にした定期預金は陸山会名義であり、銀行からの借り入れは小澤氏個人がしている。普通はこの両者は同一でないとおかしいが、この形で銀行が貸し付けたということは、銀行としては、「陸山会」=「小澤一郎」であると同一視し、担保として有効と認めたから貸し付けたのである。
 さらに言えば、法人格を持たない陸山会という団体よりも、政治家小澤一郎個人に直接返済義務を負ってもらった方が、銀行としては安心できるということではないだろうか。

 銀行の立場はさておき、収支報告書上は小澤一郎氏個人と、陸山会を明確に分けないとならない。しかし実態としては、このあたりが曖昧になってしまっていたのであろう。

 小沢氏の説明では、2つの貸付のうち、個人の資産から貸し付けた方が、貸し付けた意識が強く、銀行からの転貸については、あまりはっきり認識していないように伺える。

 それもそのはずで、もともと陸山会等の資金管理団体の資金をもとに、陸山会名義の定期預金を組み、これを担保に陸山会の運転資金のために借り入れたお金なので、実質的には陸山会が借りたお金である。単に借入が陸山会の代表者である個人名義だったということであり、小澤氏個人の口座にこのお金があったのは、ほんの一瞬でしかないはず。お金の流れの順序としては、小沢氏個人からの貸し付けだとしても、小沢氏個人としてはそういう認識があまりないのも当然である。

 つまり、小沢氏の認識としては、実質的に貸し付けた金額は4億円なのであり、8億円ではないはずである。
 したがって、収支報告書に「借入金 小澤 一郎」と記載されているのであれば、この報告を受けたとしても、特におかしいとは思わない方が自然であろう。
 石川氏が小沢氏に報告し、了承を得たとしても、小沢氏までも虚偽記載の罪を被せることはあまりにも無理がある。

■1億8千万円の不記載
 
 小沢氏個人資金からの借入4億円以外にも、他の政治団体からの資金移動1億8千万円の不記載問題もある。これも報道されたが、何故か4億円の方ばかり強調され、省略されることが多く、2回目の検察審査会の議決にも、このことについては触れられていない。

 実際に土地代金を支払ったとされる平成16年10月29日、午前中に土地代金を支払い、同じ日の午後、他の政治団体から1億8千万円を陸山会に資金移動し、残っていた陸山会の資金と合わせて、4億円の定期預金を組んだとされる。

 小沢氏個人からの借入が、定期預金を担保にしている以上、借入を除いて資金が4億円以上なくてはならず、この1億8千万円がなくては資金が足らず、定期預金を組むことができない。

■説明の付かない不自然さ

 陸山会のお金の流れや経理処理には、不自然なところがいくつかある。検察審査会の議決のように、「偽装工作」だなどと言うのは不当だと思うが、これらの不自然さは否定できない。いろいろ考えたが、説明が付かないのである。
 この不自然さについては、次回以降に書きたいと思う。


 2回目の小沢氏の起訴相当議決をした第5検察審査会は、審査員の任期満了時に11人全てが再任され、1回目と全く同じ構成だったのではないか? という仮説が、発表された平均年齢から推測できることを前回述べた。

 もし本当にそんなことが起きたとすると、理由はただ一つ、この11人は、小沢氏を強制起訴するために作為的に選ばれた人たちであり、また彼らも、なんとしても小沢氏を強制起訴に持ち込みたいと、強く願う人たちであるか、あるいは起訴相当議決を強く願う首謀者に対して、丸投げ状態の特段の意志を持たない人たちであるかのいずれかである。

 この作為的な審査員の選定を行ったのは、検察審査会事務局であり、最も権限を有するのは事務局長である。一方審査員が選定された後は、審査員の中から検察審査会長が互選され、最も権限を有することとなる。
 さらに、法第26条に「検察審査会議は、これを公開しない」とあることを悪用すれば、越権行為を行ったとしても隠し通すこともできる。 

 つまり、検察審査会事務局長と検察審査会長の2人が、小沢氏の強制起訴を強く望む人物であり、タッグを組めば、審査員の人選、会議の招集、さらに議決と、かなりのことができてしまうはずである。
 そして、小沢氏を強制起訴するために、2回目の起訴相当議決をするのに最も確実な方法は、全員一致で起訴相当議決した1回目の審査員を再任させ、全く同じメンバーで議決をすることである

 なお、審査員の再任については、検察審査会法には明確に規定されていない。
 しかし、法第13条には、「検察審査会事務局長は、毎年十二月二十八日までに第一群検察審査員候補者の中から各五人の、三月三十一日までに第二群検察審査員候補者の中から各六人の、六月三十日までに第三群検察審査員候補者の中から各五人の、九月三十日までに第四群検察審査員候補者の中から各六人の検察審査員及び補充員をくじで選定しなければならない。」とあるので、素直に読めば、四半期ごとに必ず新たに審査員をくじで選定しなければならないと解釈でき、再任は制度上あり得ないとも思える。
 このあたりはやや自信がないので、郷原信郎先生@nobuogoharaにツィートした(10月16日)ところ、「審査員の再任の可否、何らかのルートで確かめてみます。」との返事をいただきました。

 もし、本当に1回目と2回目で11人の審査員が全く同じだとすると、検察審査会の他の謎についても、ある程度理屈の通る説明も可能となる。

 1つは、補助弁護士の選任が遅れたことなどから、2回目の議決も遅れると見られていたにもかかわらず、非常に短期間で議決が行われたこと。目を通すべき捜査資料は膨大であることから、時間が短すぎて、ろくに資料も見ずに、審査も不十分ではないか? といった意見も多く見られた。
 しかし、もし審査員が1回目と同じならば、今回新たな捜査資料などほとんどないことから、審査に時間をかける必要などない。会合を開けば、すぐに議決すべき、ということになるのも当然だ。

 もう1つは、議決日から20日も遅れて公表されたこと。1回目の議決の時は即日公表だったことからも、あまりにも遅い。しかも遅れた理由については何も説明されていない。
 公表が遅れた理由として考えられることの1つとして、実は9月14日の議決には何かしらの不備があり、再度会議を開いて議決を取るべきかなど、どう対応すべきかを模索していたのではないだろうか?
 それが結果的に再度議決を取ることを断念せざるを得なくなり、無理して9月14日の議決を有効扱いし、10月4日に公表したのではないだろうか?

 では不備とは何か?
 考えられることとして例えば、9月14日の議決直後に、審査員のうち1人が、法的に審査員になることができない不適格者であることが判明したなどが考えられる。
 その不適格者というのが、当初の平均年齢を計算するときに、除かれた37歳の人物であっただとか?

 11人のうち1人でも法に定める不適格者であれば、その議決は無効である。今回の議決だけであれば補充員から新たに審査員を追加し、会議を再度開催して再議決すれば済む。しかし、この不適格者である審査員が再任されており、1回目の議決の時も審査員だったとすると、遡って1回目の議決も無効になってしまう

 もしこのような事態となったら、どうすればよいかすぐには決断できなかったであろう。結局20日後の決断は、審査員1名が不適格者だと判明したことは、「無かったことにする」ということ。小沢氏強制起訴をめざす首謀者(検察事務局長と審査会長など)にとっては、これしか選択肢はなかったであろう。

 また、1回目の議決の際には、11人中11人、つまり全員一致で起訴相当を議決したと報道された。しかし2回目の議決の際には、「11人中8人以上」だったという、つまり起訴相当議決をするのに必要な要件を満たしていると言っているだけで、正確に何人なのかを伝えていない。
 そもそも検察審査会関係者は、「11人中8人以上」とは言っていなのではないか? 単に「起訴相当議決をした」とだけ言い、これを具体的な数字を伝えたいマスコミが、すなわち法に定めのある「11人中8人以上」と報道したのではないか?(少なくとも私が記事を探した限り、この表現しか見つからなかった)
 何か、正確な数字を言いたくない事情があるようにも思えてならない。

 と、いろいろと謎を解くストーリーを想像できる。だだ、ここまで書きながら、想像がエスカレートしてしまいそうで、自分でも根拠がちょと弱い話かな? とも思う。
 まあ、捜査権もない一般庶民の私には、得られた情報をもとに推測するしかないのだが。
 このまま書き進めると相当つっこまれそうなので、あくまでも例えば考えられる話として、今日のところはこのくらいにとどめておこう。
 
 2回目の小沢氏の起訴相当議決をした第5検察審査会の議決には、謎がいくつかあるが、そのうちの1つ、審査員の平均年齢が異様に若いばかりか、発表された数字が2度も訂正されたことに注目したい。

 10月4日、初めは、30.9歳だと発表された。

 ところが、10月12日になって、33.91歳に訂正された。
 その理由として、「平均年齢を計算する際、担当職員が37歳の審査員の年齢を足し忘れ、10人の合計年齢を11で割るなどしていた」と説明された。

 さらに、翌13日には、議決時点では34.55歳だったと、再訂正された。
 つまり、以前公表した数字は、審査員就任時点の年齢だったということ。

 参考までにこのことについては、畠山理仁のブログに詳しく書かれている。

 これを単純に読むと、11人の平均年齢を計算するという、簡単な算数もできない職員がいて、それを誰もチェックせずに、そのまま公表したということになるが、これまで公表された平均年齢の数字は、ミスがあったにせよ、何らかの数字をもとに計算した結果出てきた数字であり、そこに隠された事実があるように思える。

 当初発表された30.9歳だが、これに審査員数11を掛けると339.9、つまり、11人の年齢合計は340だったということになる。
 10月12日訂正の説明どおりだとして計算し直すと、以下のとおりとなる。

(340+37)÷11=34.27 → つまり34.27歳
 これは、4月に議決された1回目の検察審査会の審査員平均年齢と全く同じである。こんな偶然はあり得ない。審査員が全く同じだったと考える方が自然である。

 しかしだ。この日訂正された新たな平均年齢は、33.91歳だ。計算が合わない。この理由として検察審査会事務局は、「そもそもの数字が間違っていた」と説明した(畠山理仁のブログ)。
 検察審査会事務局は、他のミスについては何らかの説明をしているが、これがどういう計算ミスだったかを説明しようとしない。もしこれが4月の1回目の議決時点での年齢だとすると、これは決して言うことはできないはずである。

 しかし、全くデタラメな数字だとも思えない。ではこの数字はどうやったら出てくるのか?
 12日の再訂正の際の説明にあるように、33.91歳は「審査員就任時の平均年齢」ということだ。
 この33.91歳と最終的な34.55歳の年齢合計の差は7歳。つまり審査員は就任後7人が誕生日を迎え、1つ歳をとったことになる。

 しかし、審査員が6ヶ月で改選されているとすれば、6人の審査員は就任から4ヶ月半、5人の審査員は就任から1ヶ月半しか経っていないはずである。11人中7人がこの間に誕生日を迎える確率は非常に低い。誕生日が偏りなく分散していると仮定した時の計算上の確率は2.9人である。

 では仮に、この11人は全て再任され2期目であり、6人の審査員は就任から7ヶ月半、5人の審査員は就任から4ヶ月半経過しているとすると、11人中7人がこの間に誕生日を迎えたとして、非常に妥当な人数と言える。同じく計算上の確率は8.3人である。

 11人全員が改選されていないとすると、1回目の平均年齢34.27歳は議決の4月27日時点の数字で、2回目の最終的に訂正された34.55歳は、その後3人が誕生日を迎えた9月14日時点の平均年齢ということで、これも非常に妥当な数字と言える。

 以上のことを時系列に整理すると、以下のようになる。

・2009年11月 1日 審査員のうち6人が選任される。
・2010年 2月 1日 審査員のうち5人が選任される。
(選任日の審査員平均年齢33.91歳、年齢合計373歳
・2010年 4月27日 1回目の起訴相当議決
  (議決日の審査員平均年齢34.27歳、年齢合計377歳、選任後4人が誕生日を迎える)
・2010年 5月 1日 審査員のうち任期を終えた6人が再任される。
・2010年 8月 1日 審査員のうち任期を終えた5人が再任される。
・2010年 9月14日 2回目の起訴相当議決。
  (議決日の審査員平均年齢34.55歳、年齢合計380歳、1回目の議決後3人が誕生日を迎える)
・2010年10月 4日 2回目の起訴相当議決を公表。

 以上のことは、私の推測に過ぎないが、仮にそうだとすると、審査員の平均年齢の謎の辻褄が合ってしまう。
 もともと選挙人名簿をもとに無作為にくじで選ばれるはずの審査員の平均年齢が、34歳代という著しく若い年齢であること自体が不自然であり、全員改選したにもかかわらず、またもやほぼ同じ年齢で、しかも、全員同じと仮定したときに説明がついてしまう年齢であることが、あまりにも不自然である。 これが偶然だとすると、統計学的には極めて低い確率であることだけは間違いない。

 また、審査員の再任についても、検察審査会法を読むかぎり、それが法的に許されるの、許されないのか、明確には記載されていない。記載されていないから、やってもいいのか、それも私には判断が付かない。

 東京地検特捜部が強制捜査すれば、必ず起訴し、必ず有罪にする。検察は巨悪を退治したヒーローとして、国民から拍手喝采を浴びる。
 もちろんこうなれば、検察は大勝利である。このことを前提とすれば、「小沢 vs 検察」などと言われ、秘書を起訴したものの、小沢氏を不起訴とした検察は、今回は敗北とも言われた。

 しかし、一方の小沢氏は全く勝ってなどいない。これだけ騒がれてすっかりダーティーなイメージを植え付けられ、とてつもなく大きな打撃を被った。起訴されて、結果無罪となり、社会的にも復権した村木さんとは大違いだ。
 このことがなければ、政権交代の折には総理大臣になっていたはずであり、その後の幹事長辞任や民主党代表選敗退もなかっただろう。

 つまり、起訴や有罪判決は必ずしも必要はない。ターゲットにした政治家の政治生命を衰えさせることが目的であれば。
 それまでは、強制捜査に入るには、起訴し、有罪に持って行けるだけの証拠を掴まなければならなかった。特捜部が強制捜査したのに、起訴さえできないなんてプライドが許さない。検事たちは、そのプレッシャーと戦ってきた。

 しかし、今回の小沢氏関連事件に対する特捜部の動きは、このプライドを捨てたようにしか見えない。そうした時の検察は、まさに「何でもあり」になる。誰かを狙っただけで、そいつを社会的に葬り去ることができてしまう。検察が牛耳る最も恐ろしい社会が出現する。

 検事たちの、こんな悪魔のささやきが聞こえるような気がする。

「証拠なんてなくたって、強制捜査しちゃえばいいんだよ。強制捜査しただけで、そいつは世間から悪者扱いされるんだから。」

「政治家に届かなく立って、秘書を別件逮捕して起訴しちゃえばいいんだよ。政治資金規正法っていう便利な法律があるだろ。重箱の隅つつけば、必ずミスが見つかる。それを「虚偽記載」って言えばいいんだよ。秘書を悪者にすれば、その政治家の責任が問われるんだから。やくざの親分と同じさ。」

「供述が取れなく立って、こっちでうまいストーリー作ってあげて、仲のいい大手新聞社の記者に聞いてもらえばいいんだよ。後でそれが嘘だったってバレったって、新聞は誰がリークしたかなんて言わないし、訂正さえしないんだから。」

「有罪とれそうになかったら、無理しないで不起訴でいいんだよ。あとは検察審査会が起訴相当議決してくれるよ。審査会にはこっちの筋書きに合った資料だけを親切に説明してあげればいいんだ。彼らにも悪党退治の気分を味わってもらえるよ。そうすれば一般国民が判断したってことになる。俺たちの責任じゃない。」

「ほら見てみな。あの政治家は、こんなにダメージを受けて、政治的に窮地に追い込まれただろ。」

「なあに、復讐なんて心配しなくて大丈夫さ。ダーティーなイメージってのは、そう簡単にぬぐえるもんじゃない。しかももういい歳だ。政治の表舞台、ましてや総理大臣になるなんてことは絶対ないさ。」

「そんなに心配なら、新聞社にいつものように、ネガティブキャンペーンを小出しに続けてもらえばいいさ。悪いイメージが風化しないように。「国民目線」とか、「国民の理解得られず」とか枕言葉付けて、社説でも書いてもらえば、大抵の国民は騙せるから。」

「これでしばらく俺たち検察も安泰だよ。可視化なんてことにならないさ。検察の特権もそのままさ。もちろん、検察辞めて、ヤメ検弁護士になっても、老後も安泰だ。俺たちの先輩たちが、こんなにおいしい仕組みを作ってくれたんだ。」

「だってそのために、こんなに頑張ってきたんだろう。何が何でもストーリー通りの調書を取り、苦労して取った調書もストーリーに合わなかったらなかったことにして、ターゲットの有罪を勝ち取ってきたんだろ。」

「ああ、前田検事の事件? 検察が起訴した案件が無罪になっちゃんたんだから、少しを膿を出しておかないと、世間が納得しないだろ。 何より検察が取った供述調書が大量に証拠採用されなかったことがヤバかったんだ。これが信用されなくなったら、俺たちの商売あがったりだろ。そうならないように、FDという物証の改ざん、証拠隠滅罪ってことにして、供述調書に世間の目が行かないようにしてるのさ。最高検はそのへんぬかりないから大丈夫さ。」

(悪魔のささやきの会話文は全て私の想像です)
 それにしても、小沢さんをキライな人は多い。
 何かでホリエモンも言っていたが、国策捜査というテーマで、なぜホリエモンや小沢さんが狙われたのかについてと聞かれたのだが、
「僕と小沢さんの共通点は、自分のことを一定数以上、キライな人がいること」と言っていた。

 これは一見抽象的だが、言い得ている。検察、特に東京地検特捜部という組織は、官僚の中でも非常に特殊な組織で、これほどまでにマスコミを賑わし、国民の目に触れる官僚の仕事は他にはそうそうない。だから、良くも悪くも国民目線が気になるだろう。
 国民から嫌われている人をターゲットにして、起訴して、有罪にする。こうすればまさに「ヒーロー」になったような気分なのかもしれない。

 でもこれは、子供のイジメによく似ている。
 クラスの中でなんとなく嫌われている子がいると、そのうち、「あいつならいじめても、他のみんなから責められることはない」というような雰囲気になっていき、さらには、「あの子をかばったりしたら、自分がいじめられる」として、その子を嫌いではない子まで、いじめに参加したり、見て見ぬふりをするようになる。
 小沢さんの問題は、そういう単純もの以外の要素も多いが、マスコミや検察の持つ体質として、子供のイジメと同質のものがあることも否めないと思う。

 ちなみに、うちのかみさんは、政治だとか、昨今の検察・裁判の問題だとか、ほとんど興味がない。でも、小沢さんのことは嫌いだそうである。どうして嫌いなの? と聞くと、
「ん・・・ん、やっぱり、顔がキライ。笑顔が本当に笑ってないように見える。」
だそうだ。小沢さんの人相といい、笑顔といい、あまり人から好かれるものではないかも知れない。さらに、
「進次郎君はかっこいいから好き。」だと。

 小沢一郎氏に対する、マスコミの偏向報道による誤解によってキライと言うのならば反論のしようもあるが、「顔がキライ」と言われては反論のしようがない。でも、こういう人もかなりいるのではないかと思う。
 ちなみに、うちのかみさんの趣味は、韓流スターを韓国ドラマで見ること。