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すがわら あや のブログ☆

シンガーソングライターすがわらあやの日常♪


一年生になる時に、家族から死ねって言われてきた。
もともと虐待家庭だったから、いつも愛されたくて家族がお互いに愛していてほしくて、
それが悲しくて私はとても泣き虫だった。

車の中では有名な海外のアーティストの曲が流れていて、
走る車内で空を見ながら音楽に浸ることが当時の楽しみの一つだった。


小学生で曲を作りはじめた。
中学生の時は必死に形にしようと、テストの裏や机に歌詞を残して、
高校生のときは、当たり前に曲を作ってた。
週に3回は事務所のレッスンで築地に通って、
滑舌や呼吸法や演技を学んだ。
関係ないと思って辞めちゃった。

事務所に入って、
ロスに連れてって貰ったり、
昔車で聞いていたあの有名なアーティストさんを裏から見る事が出来て、
キラキラ輝く温かいオーラを知った。

でも苦しくて。
メジャーには向かないと辞めちゃった。

逃げたのかもしれないけど、
あのまま続けてたら恐らく私は今生きていない。

ちょっとしてから結婚を選んだ。
でも、心の中ではいつか離婚すると思ってた。
DVだった。
束縛がすごくて脅され続けた。


赤ちゃんが出来てた。

嫌だって言うのに足を引っ張って…赤ちゃんが出来てた。

小さな頃からいつもこんな感じだった。

人を信用すると、悲しい事が起きた。
だから、理不尽や不本意には慣れていた。

でも赤ちゃんは私の人生をかけても守るんだって誓った。
赤ちゃんはそれから私の命の恩人でかけがえない宝だ。


DVで音楽は出来ない環境だった。
だからこっそりシーンとした部屋で、時計の針の音で、曲を作った。
赤ちゃんを抱っこして寝かしつけながら、
時計の針の音で歌ったんだ。

音楽は小さな頃から私の救いだった。

能力のない私にも、
音楽はいつも優しく私を許してくれた。

まだ私が赤ちゃんのとき、
いつもおばあちゃんが来てくれたけど、
たまに父がMY WAYを歌って寝かしつけてくれたことを覚えてる。
母はきてくれなかった。


結婚して5年が過ぎた頃から音楽が出来る環境になった。

そういう環境に作った。
4カ月の次女を抱っこして、3歳の長女の手を繋いで、
足の悪いおじいちゃんと協力して、
おばあちゃんの終末期をともに過ごして、

おばあちゃんを励ましたい一心で、動いていた。

オーディションにも受かってインディーズに所属した。



それから、
離婚したり、おばあちゃんは天国に旅立った。


今私はCDを作っている。

限定CD以来だけど、
あの時、1カ月という短い予約期間にも関わらず63枚も巣立ってくれた。

だから、ちゃんと作りたい。

曲によって、一曲一曲、人格?があり命がある。

そう思って、ずーっとやってきた。

だから、苦しくて苦しくて、
その裏にある快楽?のようなもので苦しみを手放せなくて、

声が出なくなったり、
倒れたり…


聞いている人は果たしてそれでどう思うのかまで考えてなかった。

ただ、表現したかった。


生活が穏やかになってきて、
私の曲作りのスタイルもライトになった。

歌うことも苦しみじゃなくなった。


これからは楽しくやる時期が来たんだと思う。

やっと、楽しく出来るんだ。


だから、昔の曲を歌うことは難しい。
でもなかった事にはしたくない。

昔の曲と向き合って、
調整していく時期に入ったのかな…

やっぱり、
音楽はいつも優しくて、深くて、広い。