ある日、母と電車でお出掛けした時のこと。

地元の駅に戻ってきた時間が、出張先から帰ってくる父を乗せた新幹線の到着と同じ頃でした。

父の到着より少し前に着いた私たち。
母が父と一緒に帰るというので、新幹線のホームから在来線へ移動するエスカレーターの下で待つことに。

「まだかな?まだかな?」

新幹線の到着時間を過ぎてもなかなか降りてこない父にやきもきしながらも、「いつ降りてくるか」と、何となくわくわくした気持ちでいました。

その時、はっ!と気づいたのです。

「必ず来る」と分かっているから、なんの不安も心配もなく待てるのだ、と。

そして、待つ間の姿勢も大切である、と。
つまり、どうせなら不安がったりイライラして待つよりも、「来る」までの過程をわくわく楽しんで待つ方がずっと有意義な時間を過ごせるということ。

私にはずっと望んでいるけれど叶わないことがあります。
それは人の力では、どうにもならないことで。。。
望んでも、望んでも叶わない。「来ない。」

それで時おり不安になったり、絶望的になってしまうことも。

でも、今日、分かりました。

★ まずは「必ず来る」と信じることが大事。

★ 来るまでの過程をゲーム感覚でわくわく楽しむこと。
(ちょうど今日、父を待っていた時のような感覚で待つ)

結果はもちろん大切なのですが、それよりも、その過程(今)が大事なのだということ。

そうなると結果に対する執着が薄れてきます。
来ても、来なくても、どちらでも楽しめる。

結果に対する執着を手放し、「今」を楽しめるようになることによって、始めて結果がついてくるのではないでしょうか。

執着は心も体も固く、収縮させる傾向にあると思います。

一方、わくわくすることや楽しむことは、心も体もリラックスし、「今」を最高に受け取っている状態です。

固くなってると、願いも叶わない気がします。

さあ、「来ない」とくよくよせずに、いつか「来る」その日を楽しみに、その過程を全力で楽しみましょうか!
ある日の朝のこと。

車で走っていると、前方に若い、二人乗りの男の子たち。

ブルン! ブルンブルン!
ブルルン! ブルルン!
とバイクのエンジン音を激しく撒き散らせて走っていました。


それを見て、「何だか楽しそうだねぇ。」と主人。

「青春って感じだね。」と私。


眉をひそめ、不快に感じる人もいるだろう、この光景。

こんな会話を交わしたら、何だかほほえましく見えてくるから不思議。


「この人と結婚してよかった。」
そう思ったのでした。
西宮の器ギャラリー・空庵さんで、みつゆき先生のハープレッスンを受けてきました。

今日は、
「間違い」というのはない。
という先生の言葉が印象に残りました。


ハープは、ピアノとは異なる弾き方をします。

まず楽譜上のひとまとまりの音の弦にそれぞれ指を置き、それから弾きます。

置いた指の一音目を弾いたら、その他の弦はもう見なくても弾けるので、視線を次のひとまとまりの音の弦に移しておくのです。

弦を見て➡指を置き➡弾く
その繰り返しです。

見たら自然にその弦に指が運ばれます。
ですから、もし、違う音を鳴らしてしまった時は、違う所を見ただけだ、ということなのです。

このことから、ハープは「見る」ことが大事だというになります。

「見る」といっても、ただ目で見るだけではありません。
何度も弾いて、弦を弾く指の感覚で弦の位置を覚え込ませるのです。

つまり、ハープは視覚と触覚(指先の感覚)で弾くということです。


「間違い」というものはない。
先生がそう仰ってくださるので、違う音を出してしまっても気にせず、安心して弾くこと(見ること)に専念できます。

リラックスして、何度も何度も弦と指の感覚を覚え込ませていきます。

すると、だんだんと楽しく、なってきます。
更に、弾きたい弦が浮き上がって見えてきます。

こうなると、体の力みも緩み、ますます楽しくなり、良い音が出るのです。

また、
ハープは練習するものではなく、弾きたい音を楽に弾くための「確認作業」なんだ。
そう先生は仰います。

練習だと思うと「しなければならない」と辛いものになってしまいますが、確認作業だと思うと、気軽にできる感じがします。


「間違い」を「間違った」とネガティブに捉えるのではなく、「違う所を見ただけ」とポジティブに捉えることで、楽しく楽にうまく行く。

ハープを通して今日も大切な事を学ばせていただきました。