新年度と言うことで,新しい人が増えたり,減ったりしたことと思います。
理澄です。
勝手に新人にどうでもいいスマホゲーを紹介して,「俺はやってないけどね」とか言ってみようかと思う今日この頃。
皆さんは,朝礼などで前に出て話しをすることってあるでしょうか?
私はあるのですが,普段の会話ならそんなに緊張することはないのですが,人前で一人で立って話しを一方的にすると言うことは苦手です。
カンペを見てやりたいなと思って,スマホをカンペにして,やってみようかなと思って,調べてたのですが,アプリはやっぱり数個あったのですが,どうしても検索サイトで目につくのは,「人前でスマホを見てると云々」みたいな書きっぷりが多いこと多いこと。
読んでみると,人前でスマホを使うことはもう礼儀としては変わってきてるのではないかと言う話しか礼儀知らずだと言う内容が多いです。
駄目だって言ってる人の理屈は,どうやら,一対一などの場で,スマホを弄ってるとこっちの話しを聞いていないようで腹が立つと言うことらしいのですが,感情的な理由で礼儀やマナーとしてではないようだ。
これが例えば手帳や予定表を読んでたらどうでしょうか。「ああ,この人予定を見て,この仕事に取り組んでくれる日を確認してくれてる」,「何か過去の事例などを調べてくれているのかな」と感じてくれることでしょう。また,名刺を見ていたら,「あ,つなぎをしてくれそうな方を探してくれている」と思ってくれるでしょう。
では,何が違うのでしょうか。感じたところとしては,基本的に「ゲームなどをしてるから自分の話は聞かないだろうと思ってる相手はスマホは電話とメール以外はゲームしてるんだろうと思い込んでいる」ことが原因のように思える。「自分だったら,周りが話してることの殆どがゲームだから,そういうものだ」と言う決めつけなのだ。
これではマナーや礼儀と言う話し以前で,感情以前の話しである。
別な比較としては私は専門書も電子書籍で売っていたのを見て喜んだ(値段もプレミアが付いて中古本でも値段が上がったりしないこともあるので)のだが,これがそれを本として読んでいる場合と,スマホで読んでいる場合でも周りの目は大きく違っているように思えるので購入をしないでいる。
決めつけの原因は何なのかと思ったら,よくよく考えると反感を買わない,若しくは反感を買っても理由が明確になっているものは,ゲームはゲームの見た目,本は本の見た目,辞書は辞書の見た目,名刺は名刺の見た目,資料は資料の見た目をしていることだった。
スマホは何の形にもなっておらず,電話としての機能はあるが,周りはもうそういう認識ではいてくれていないと言うことだと気付いた。疑わしきは罰すると言う形である。
かといってだが,仕事でも使える内容としては,鋼材のデータベースなど本で購入したら良い値段するものもあったりするし,辞書だってある。ポケトーク(小型翻訳機)に相当するアプリもあるし,手帳アプリやメモアプリなどのワーキングアプリも随分充実してきた。
もうそろそろ決めつけはしないでほしいと思う。真摯に仕事を熟そうとする人ほど便利に最新器機を使いこなしている。何故なら便利だから。ゲームは本来その便利な使い方を利用しているだけなのだ。使いこなせてない人ほどそういう批判をするのだなと大きく感じてしまった。
むしろそんなところでゲームするような人は普通に出世自体出来ず,淘汰されていく。(その会社で出世したいと思ってない人もやってるかもしれない。)黙って,使いこなしてる人のことを見守って欲しいと感じた一件だった。
そうそう。そうですよ。今の若いもんはスマホばっか弄ってるってばっか言って,ゲームやってたり,カメラ機能くらいしか使い熟せてないのにスマホにしてる経営陣,課長部長の貴方方のことですよ。