8月21日
朝食時に食堂で初老の日本人夫婦と出会う。聞けば、僕が滞在しているアルバニー市に住んでいるという。奥様は旅行業者でニューエイジやスピリチュアルなものに興味があるという。CIIS(カリフォルニア・インテグラル学院)、スピリット・ロック(リトリート・センターの一つ)などにも出かけているという。パートナーの男性は、サンフランシスコのジャパンタウンでソーシャル・ワーカーとして働いているという。奥様のようにスピリチュアルなものに関心がないのかと尋ねると、「仕事柄、死の現場を見てきているので、あえてスピリチュアルなものに手を出そうとは思わない」という返事が返ってきた。
その話を聞いて、自分が昨日感じた生と死の同居する厳しい自然というとらえ方にむしろ響いた。逆に、スピリチュアルなものに強く関心を抱き、シャスタを、エネルギーや、美しさという「生」のほうに解釈することの一面性をどこかで感じている。
さて、今日はどこに行くか。迷う。車に乗り込んでからも迷う。プルート・ケイヴに行くか、町のショップなどで人と話すか。今日はシャスタをあとにする日。帰りのことも考えて、また本来の研究の趣旨も考えて、町に行こうと決意する。
ところが、道を間違えてしまい、プルート・ケイヴに行く方向に向かってしまう。こういうのを「呼ばれた」と言うらしい。あとで、この話を人にしたら、やはり「呼ばれましたね」と言われた。
大きなフリーウェイから出て、何もない「高速道路」だか「一般道路」だか分からない道を行く。アメリカにはこの両者の区別があまりない。何もないところは自動的にフリーウェイとなる。これは、道の途中の開けた場所でとったパノラマ写真(Photoshopで加工)である。
ここにはジュピター・ヴァレーという名前がついていた。プルート・ケイヴといい、同一の人が名前を付けたのだろう。ここに宇宙を感じたのだろうか。もちろん、名所にもならないような荒涼とした土地だが、広さに圧倒される。
ここは砂漠なのか、砂漠ではないのか。どうにもよく分からない場所だ。恐ろしく強い太陽、ほとんど雨の降らない夏、雪の降る冬。こういう極端な気候のなかで、乾燥した地面に力強く根付く植物という興味深い組み合わせが育まれている。
道は分かりにくい。しかし、例のガイドブックに書いてある通りに行けば大丈夫。車の走行距離を睨みながら、指示通りのマイルを進んだところで曲がり角を見つけ、迷わずにたどり着いた。ナビもないのに自分としては珍しい。やはり呼ばれているのだろうか。
シャスタ山とプルート・ケイヴの立て札。
砂漠のような土壌に生える植物。針金のような茎。小さな蝶。
たったまま焦げ付いた木が多い。落雷だろうか。
僕の足音に驚いて岩陰に飛び込むトカゲ。
針葉樹にブルーベリーのような実が。ブルーベリーの味はしなかった。
駐車スペースのところで白人の老夫婦に会った。トレイルの入り口のところにあるケースのなかに置かれている説明書きを読んでいる。「洞窟まで3マイルもあるなんてとても行けないよ」と言っている。よく見ると、それは読み間違いだったので、それを指摘して、「僕も行くんだけれど、もし長くかかるようだったら途中で引き返すことにしたらいいのでは?」と提案した。僕が先に行って、彼らが恐る恐るついてくるという形になった。途中に赤いリボンが木の枝に結びつけられている。ときには赤いスプレーで矢印が木の幹に書きつけられている。こっちに進めばいいのだろうか、少し戸惑いながらその通りにする。持ってきたガイドブックの指示をメモしてきたものともいちおう符合する。結果として、戸惑いつつも、また迷わずに着いた。普通なら絶対に迷うところだろう。
小さな丘になったような、乾いた植物が生い茂るところに、洞窟の穴はあった。周りに何か目印があるわけではない。ふと、ぽっかりと穴が開いている。
これは秘密の場所だなあと思わされる。最初に見つけたアメリカ・インディアンは、何かそう簡単に足を踏み入れてはいけない場所だと感じただろう。もしかして落ちてしまった人もいたかもしれない。その場所についての言い伝えを聞いた人たちは、やはりそう簡単に近づこうとは思わなかっただろう。また、近づこうとしても、どこにあるかを探し当てるのは難儀だっただろう。
少し引き返して、老夫婦の様子を見に行く。そして、「こっちの方に洞窟がありますよ。でも、中に入るのはとても危険だと思います」と行って、また穴に向かった。
洞窟とはいっても、鍾乳洞とはまったく違う。水分がまったくない。砂漠のような砂にまみれた岩があるだけ。どれも渇いている。そのため、かえってすべりやすい。
入るやいなや、いきなり転落しそうになる。
思考が止まる。
見渡せば、巨石と砂ばかり。
「ああ……」と思わずつぶやき、一人で来たことを後悔する。もちろん、家族連れが子どもなどを連れてくるのはとうてい無理だろう。よく、観光名所になる鍾乳洞には階段や足場が整備されているが、果たしてこの洞窟にそのようなものを作ることが可能なのかどうかさえ定かではない。現代人の技術では不可能ではないにしても、これらの石を取っ払って、固定できる岩盤を探し当てる必要がある。しかし、誰がそんなことをしようと思うだろうか。よっぽど面白いものがあるわけでもないし。まず、観光地化は無理だろう。しかし、それがかえって、この洞窟から人を──いや、この洞窟を人から──遠ざけている。
またもやPhotoshopを使って、写真を合成して洞窟の大きさを表現しようとした。しかし、合成してしまうと、逆に小さく見えてしまう。このパノラマは縦2枚、横3枚の写真を、広角レンズでとったものを合成し、四角くなるようにトリミングしたものである。この作業を書けば、なかなかの大きさだと分かるが、書かないとかえって小さい穴と思われてしまうだろう。
慎重に下りてゆくと落書きがある。「IEKA TRIBE, No. 53, impd O.R.M., Sept. 8, 1917」
アメリカン・インディアンの残した落書きだろうか(?)。このときにはよく分からなかったが、あとで調べると、イエカ族というのはあるらしい(IKEAが引っかかってしまい調べにくかったが)。そのあとの「impd O.R.M.」は、「Improved Order of Red Men」という友愛団体のことらしい。この団体は、アメリカへの愛国心と民主主義の理念を尊重する「ネイティヴ・アメリカン」をサポートする団体のようである。
http://www.redmen.org/
つまり、1917年9月8日に愛国主義に燃えるイエカ族の人がここに自分たちの存在を主張したわけである。組織名なので、複数の人々によって落書きがなされたと考えられる。ブロック体の文字をペイントするためには、あらかじめ塗装するためのマスキングとなる型紙を用意しなければならない。ただこの落書きのためだけに複数の人々がここに来たとは考えられにくい。何らかの集会が開かれたのだろう。では、なぜここに? それはここが特別な場所だからである。しかし、われわれがつい考えがちな、白人に占領される前の独自の文化を持ったインディアンのスピリチュアルな儀礼などではないだろう。むしろ白人たちの提唱するアメリカの民主主義の理念を賞賛することで、かえってインディアンの部族を位置づけ、存続をはかろうとする政治的な運動の一部と見るべきである。
なお、ガイドブックにはここでは出産をおこなっていたともある。それをわざわざ特記するのは、洞窟=子宮=女性性を連想させるためであろう。
そんなことより(笑)、動物臭がすごい。気になる。身の危険を感じないといったらうそである。だが、動物の姿はまったくない。夜行性でないことは確か。コウモリの糞というわけでもない。砂はさらさらで糞は見当たらない。第一コウモリは夜行性だから昼間は洞窟の中で眠っていなければおかしい。一体どんな動物?
ガイドブックにも動物臭のことは書いてあるが、どんな動物かは書いていない。「気になるけれども、いちおう人が行けるところだし」とのんきに構えつつ、わざと「ああー!」と大きな声を出して見る。
無音。
耳を澄ますけれども、何の反応もない。多分、動物はいないだろう。匂いからして哺乳類と思われる。何だろう。やっぱり気になるが分からない。危害を加えない小動物であることを祈る。
あるネット上の写真共有サイトで書いている人によると、周囲に多数の熊の足跡を発見したとある。そして、大きな音を立てながら中に入っていったという。それを知っていたら、もっと動物の足跡に注意を払っていたし、何より一人で来ようとは思わなかっただろう。
http://www.flickr.com/photos/matthigh/sets/72157605441074464/
しかし、熊のような巨大な動物の糞はまったく見当たらない。いや、熊あたりになると自分の家で糞はしないか。やはり、どんな動物かは謎。とにかく、夜帰ってくる動物で、小型のもの。小型動物の糞は見かけたし。糞の形状は鹿のようなもの。そうであると願いたい。
入るやいなや、温度はがくんと下がって、持ってきたコットンのカーディガンとナイロンのウィンドブレーカーを着込む。懐中電灯もとり出す。
洞窟は、三つ天井に穴があって、暗くなったり、明るくなったりを繰り返す。それで説明書きなどには四つの洞窟があると書かれているが、正確には、一つの洞窟に、天井が崩落した部分が三つあると考えるべきだろう。
最後の洞窟まで来た。もうこれ以上は無理、暗闇の中、懐中電灯を片手に、残りの片手だけでロッククライミングをするようなもの。ヘッドランプだったら、もっと行けたかもしれない。
戻って、光と闇の中間のところで、座れるところを見つける。いちおう瞑想してみる。
右が闇、左が光の状態だ。
(パノラマ、向きが違うので左が光になっている。闇は暗いところ。写真では、闇は表現できない。)
せっかく来たのだから、ここでは瞑想をするべき。このときはそう考えていた。だが、どこかで、いったい自分は何をしているのだろうという疑問も持っていただろう。
瞑想らしきことを続けても、洞窟ならではの不安がどこかぬぐえない。今、考えると、それならば、恐怖と不安と悲しみの感情を見つめ、増幅させ、振り返る瞑想も「あり」だったと思う。
実際には、ただ、何も考えず瞑想に入って行った。
まったくの無音。
しかし、「音がない音」がする。今でも、あの「無音の音」の感覚は思い出せる。一番似ているのはひっそりとした夜の音。しかし、昼間の熱気がどこかから忍び寄ってくるので、それとも違う。
かすかに空気が流れる音だろうか。音とは言えない音がする。それと合わせて声を発してみる。低いと思ったが、自分には出せないほど高い音だった。そこで、それより1オクターブ低く発声してみる。しかし、声を止めると、この音は自分の声とはまったく似ても似つかない音だということが分かる。
無音の音に耳を澄ませる。
頭に色々な映像、次々に映像が浮かぶ。
雑夢(取るに足らない記憶にも残らない夢)のような感じがする。
やがて収まる。
ちょっと寝そうになって身体がぐらつくが、不安定なところに座っているので、居眠りしたら転落する恐れがある。それで、しゃきっと目が覚める。まるで禅の警策のようだ。いや、心理学の実験にある、ノンレム睡眠をしようとすると水に落ちるので、ノンレム睡眠をすることができないように仕組まれた猫のようかも。
しばらくして、ふと、右の闇のほうから〈小さく渇いた音〉がする。
何かいるのかと思って身構える。小石が落ちた音にしては、ちょっと上のほうだ。いわゆるラップ音の音に近い。
声を出してみる。
反応なし。
ラップ音だろうと思って、瞑想に戻る。
頭頂部から硬い冷たい鉄がズドーンと、しかしじわじわと流れてくる感じがする。
今まで感じたことのない感覚だ。
しばらくして、突然左の耳だけ、強い高音の音が貫くように発される。
思わず目を開けて、その方向を向いてしまう。
耳鳴りとは違う。聞いたことのないような音だ。僕は健康診断で、高音の周波数域では「難聴の疑いあり」と診断される。そのよく聞こえないはずの帯域の音ではないだろうか。だから、聞いたことがないのだろう。
目を開けたまま、ふと洞窟の模様が目に入る。自分は何をやっているんだろう。
「お前は誰だ」という声が頭に浮かぶ。
「お前は仏陀か」と聞かれたような気がするので、
「いやそんなんじゃない」と即答する。それは僕の望む姿ではない。
そのまま洞窟の模様を見ながら、「さあ、ここを出て、人と出会おう」と、ぼんやりと思う。
光の方へと歩き出す。
徐々に目が慣れてゆく。
いったいこの体験は何だったのだろう。あの時、あの声と対話をし続けていたらどうなっていたのだろう。僕はその対話を拒んだのだ。僕は仏陀にもなりたくないし、アセンディッド・マスターにもなりたくない。では、僕は何になりたいのか。
「私は前世で身近な人を捨てて出家をしましたが、それを後悔しています。現世では普通の生活をしながら、普通の人々の霊性をはっきりとした言葉で表現したいのです。」
つい、そんな妄想が浮かんでしまう。
そういう妄想を思い浮かべると、なぜか心臓のところだけ、汗ばんだような暖かい感じがしてくる。
外界の光は強い。灼熱の枯れた草たちが、僕を迎えてくれた。
シャスタ山とプルート・ケイヴの入り口のセット