双極性Ⅱ型 50歳 ♂ 振り返れば・・・
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今ほど就職難ではなかったが、私の頃もそこそこマスコミでは就職難と言われていた時代であった。
バブル景気は、私が25~29歳くらいのころだったと思う。

22歳 1つ目の会社・・・食品の問屋 
いわゆる、カップヌードルやケチャップ、マヨネーズ、缶詰とかの仲卸である。
大手の食品問屋とは・・・明治屋とか三菱系ではリョウショクなどが有名だということも調べずに
地元で潰れなさそうなところを選んで入社。

しかし、就職?就社して1年足らずで思ったこと→この商売 先がない!

30年まえといえば、コンビニエンスストアが、ぼちぼち出店を始めたころ
流通革命が叫ばれ始めの頃である 大手のスーパーはメーカーとの条件交渉を直接行い
帳合と物流を問屋に回してくれるが、もはや問屋の存在意義は薄いし同時に利益も極めて薄い。

問屋・・・の役割??? は、八百屋や魚屋に毛の生えたような個人店向けの卸になってしまう
というかなっていた。
しかも カップラーメンなどの卸値は大手スーパーの売値の方が安いという状況である。

入社1年目=商品知識修得のため倉庫と配送
入社2年目=外回りのルートセールス(個人経営スーパーや八百屋など)

入社1年目は躁状態だったと思う、、そのため同期では一番早く営業マンになった。
セールスになって4カ月程度で、「出社拒否反応」出現。

「うつ」状態になっていた、普通 2~3時間で終了できる記帳に倍以上の時間がかかる。
朝 起きられない・・・どんどんやる気がうせていく。

早くも 死にたくなった。

会社帰り バイト時代に教えてもらったスナックにフラーっと立ち寄り深夜2時までウイスキー(ボトル半分くらい)を飲む
なぜかしら東京方面に行きたくなり自家用車で高速道路を飛ばした。(泥酔運転=自殺行為)

浜松あたりで夜明けを迎え 何故かしら 出社しようと引き返す。

午前7時ごろ 高速道路走行中に居眠りをしてハッと目覚めると目前には「西濃運輸」
の文字がデカデカと飛び込んできた。
時速100キロくらいで急ハンドルを切った。

ガードレールにぶつかった私は3回スピンし 最後は追い抜いたトラックがかすっていった。

トラックの運転手さんが
「やっちゃたのか~おーい 死んじまったのかー」と叫びながら私の車に駆け寄ってきた。

私の車は一瞬にして廃車状態・・・何故かしら 私は 無傷だった。

運送会社の事故処理担当者の反応は早い・・・酒臭い私から、運送会社側にはなんら落ち度は無い旨の
念書を取り付け 午前8時半には現場から立ち去った。

私は飲酒運転のキップを高速警察隊からきられ、廃車となった車は、ユニック車を手配してもらい
高速バスのバス停までユニック車に乗せてもらい、膝の上には廃車する車のナンバープレートを持ち
わびしく帰途についた。

会社には電話で「高速道路上で事故をして出社できません」と連絡をいれた。

この時はまだ 死ぬ気まんまんだったが、二日酔いで朦朧としているし、
しでかした事がそこそこデカくて恰好悪い。

また 一度 就職したらその会社に定年まで勤めねばならないという思い込みが激しかったため
親に相談することもなく悩んでいたので帰宅して合わせる顔がないと思っていた。

手持ちの金が無くなるまで、パチンコしていた。
金が無くなったらどこか高層ビルからでも飛び降りて死のうと思っていた。

夜になっても、死に切れず・・・高校時代からの東京の親友に電話を入れた、お別れを言うつもり
だった。しでかしたことはハッキリとは伝えずに世間話をしているつもりだったが、

電話の向こうで親友は、
「なんかおかしい。オマエ死ぬ気だろ!ダメだぞ、いったい何をやらかした
 取り返しのつかないことじゃないんだろう?オマエの両親にはオレから電話してやる、いいな、
 絶対に家に帰れ 今すぐ 帰るんだ」
と諭してくれた。

気まずい帰宅・・・親友からの連絡、会社からの電話で訳がわからない状態になっていたのは母親
その後 父親とも話したが 何を話したのか?記憶がない。

無傷ではあったが、翌日は起き上がれないほど体中が痛かった。
外科に通い 10日ほど休職したのち 退職願を提出した。

軽躁状態の1年目 私の評価は高かったらしく、退職願はなかなか受理されなかった 数人の上司が
引きとめのために見舞いがてら説得に来てくださった。

しかし、会社にも仕事にも情熱が無くなっていた私は、1年と3カ月で退社した。

当時の支店長には「キミは辛抱というものが足らない」とキツく叱責されたことを覚えている。

自分自身 病気ではなく性格だと思っていたので、確かに辛抱がたりないのだ と自分を責めた。

因みに、1つ目の会社は、倒産はしていないが、数か所あった支店は統廃合、事業も相当に縮小
リストラも相当した様子。

辞めて正解の会社ではあった。