転院先の先生は息子の脳波の波形がとても奇麗な事
事故直後の痙攣以来その後発作を起こしていないので
事故後2年あたりでお薬を減薬していき2012年12月で
お薬 抗てんかん薬(エクセグラン)をやめる事が出来ました

この薬の副作用で温度調節がうまく出来なくなっていましたので
お薬をやめれて良かったです

断薬により通院自体も2012年12月も持って終わりました
事故が2010年7月・・・(2年5ヶ月後)
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外傷後の抗痙攣薬の予防投与については明確な指針がないそうです。
抗てんかん薬を服用していることで、起こりうる発作は抑えられるが、
服用を止めると発作が出る人には出るということ。
つまり、外傷後の痙攣予防のために抗てんかん薬を服用していても、
どこかで中止すれば、長期的にてんかん発作がでることを
予防することにはつながらないのではと言われています。
外傷後の急性期の発作は抗てんかん薬で予防できますが、
長期的な発作の有無にははっきりした関係がみられない
可能性があるようです。
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注意欠陥障害が分かったところで
これからどうするのか?

息子は予備校を辞めて高次脳機能障害の検査を受けて行く段階で
フリーターになると言い出していました
息子自身これ以上家でゴロゴロする訳にもいかないし
だといって勉強を続けていく自身もない・・・
で、とりあえずフリーターという選択肢が出て来たのだと
思います。

私達両親としては4月にはまた一旦予備校に通わせる事を
考えていました。
まず何処か入れる大学に入ってそこでゆっくりアルバイトなどの
体験を通して自分は何が出来るのかという考える時間を
持たせたいと思っていました。

でも息子の性格上(頑固だけど妙に素直)
ここで猛反対をすると頑固になるだけなので
私は一旦そうなの…でも良く考えなさい
親は反対だけど…と言っておきました

いよいよ3月末になり早く予備校の手続きをしないと
間に合わないよと言ってみたら、やっぱり元々素直なので
うん、色々ネットで調べていると。
内心ほっとしました。

4月中旬また前回お世話になっていた予備校に入学
そして寮生活をスタートさせました





2012年4月に注意欠陥障害だという事が正式に分かりました。
実に事故から1年9ヶ月が過ぎていました。
これも息子が大学を辞め予備校に行かないと
分からなかった事だと思います・・・

就学は可能なので頑張るようにと教授から言って頂きましたが…
病名が分かったからと言って何か治療があるわけでも無く…
お薬があるわけでも無く…
じゃあこれからどうする?っていう事で頭の中は一杯でした。
大きく進路を変更しないといけない・・・。

私達両親は男の子という事で将来家族を養っていく身になると
言う事で、職業的にある程度選択肢の幅が広がるようにと
教育には熱心で中高一貫の学校を卒業させ大学も殆どの方が
聞いた事のある大学に進学していました
こういった考えの私達にとって注意欠陥障害という障害は
なかなか受け入れがたいものではありましたが、
何かがおかしいと考え始めて病名が分かる4ヶ月の間
少しずつ心の整理をしていき
あんな事故にあいながらも今こうやって元気に生活出来ている
事に感謝して息子のこれからの将来を温かく見守る事にしました。

就学は可能といわれた様に知能が低下している訳ではなく
2つの事を同時にした時に1つの方の処理能力が落ちる~
その対処方法を息子は先生方から学習面に置いての
注意の持っていきかた…
記憶させやすい方法などをアドバイスして頂いたようです