源氏物語の現代語訳にビックチャレンジ!

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 名著のすゝめ


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 明石の入道の住吉明神に願掛けした経緯を

聞いたあとの、源氏の述懐の続き―。




 御身には娘御がいらっしゃるとは仄聞しておりましたが、私の如き落ちぶれて無用になった人間

を、父入道は縁起の悪い物として、思い捨てなさるであろうと、すっかり卑屈な気持ちに陥って居

りました。ですから、今のお話は嬉しく承りました。然らば私をその娘御にお導き願いとうござい

ます、導き賜わば心寂しいひとり寝の、有難い慰めになりましょうものを」などと源氏が言うの

を、入道はこの上もなく嬉しい事と思って聞くのだ。それで、


「 ひとり寝は 君も知りぬや つれづれと 思ひあかしの 浦さびしさを(― 一人寝の物侘し

さは御身も御体験されたであろうか、私の娘は徒然と物足らなく思って、夜を明かし、明石の浦の

一人寝の物侘しさを十分に知っておりますよ) その娘にも増して、長い年月私が娘のことを案じ

て過ごしていた、晴れ晴れしない気苦労をお察しください、どうか」と源氏に言上する様子は、老

人であるから身体を震わせていたけれども、大臣家の出であるから上品さを失してはいない。これ

を聞いた源氏は、「確かに、気苦労ではありましたでしょうが、寂しい浦に住み慣れていらっしゃ

るお方は、私の様には寂しくはございませんでしょう」と言って、次の如くに和歌を詠んだ。


 たび衣 うら悲しさに あかしわび 草のまくらは 夢も結ばず(― 私は激しい旅愁に耐えら

れずに、余り眠れなかったから、夜を明かすのに困って、旅の仮寝の枕には、楽しい夢を結ぶこと

さえ出来ないでいました)

 そして打ち解けて、大層気安く寛いだ格好でいらっしゃる態度は、非常に可愛げがあり、表現の

限度を遥かに超えた美しさでございますよ。そして入道は源氏に対して、数え切れないほど多くの

事柄を、次から次へと語り尽くしたのですが、それを一々ここで述べるのはお聞き苦しいでしょう

から、省略致すことにします。しかし既に入道について作者は、この場にふさわしくない様に、取

り違えて敢えて描写してしまっているので、頑固で変わっている入道の気質に関しても、実際以上

に悪い印象を読者の皆さんに、与えてしまう結果になるでしょうから、その方が却って好都合でし

ょうよ。




           源氏、明石の上と贈答 及び 紫上への思慕


 この様な次第で、明石の入道は源氏との会話で、念願が僅かながらに成就したような気分になっ

て、胸の閊えが下り、爽やかで軽い気持ちでいた折に、その翌日のお昼頃に源氏は海浜から離れた

屋敷の方へ、消息文を差し出した。入道の話しぶりでは、娘は非常に奥ゆかしい様子に思われるの

で、「なまなか都辺りよりも、却ってこの様な田舎の、人の目につかない何かの場所に、案外な

美女も籠ってるかも知れない」と、源氏は細心の配慮をして、舶来の高麗産の胡桃色(赤みがかっ

た黄色)の紙を選び、最上級に心を込めて入念な準備をしてから、


「をちこちも 知らぬ雲井に ながめわび かすめし宿の 木ずゑをぞとふ(遠い所も、近い所

も、どちらも分からない雲井・遠い場所で、物思いに寂しく悩み、入道のそれとなく仄めかした、

宿の梢・宿を、如何にも私は訪れる) 心に思うことは我慢することができないので…」とだけ、

書いてあったように記憶しております。



 明石の入道は、益々源氏の素晴らしさに

魅了され尽くしてしまう―。





  そして、入道は、良清や惟光や、その他の人達に酒を強いて勧めるのだった。自然、座席は賑

わい、列座の者達は日頃の心の中の憂さも忘れてしまう様な、面白い夜の情景であった。夜が大層

更けて行くに従って、松を吹いてくる風が涼しく心地よく感じられる。明るく輝いていた月も西の

空に傾くに連れて、益々明るく澄み輝いている。周辺がすっかり静まり返っている中で、入道は源

氏に向かって存分に語りたい事柄を、話し尽くすのである。更には、この明石の浦に住み始めた当

時の心境や、現在は専ら後世を願って仏道修行に耽っている様子など、ぽつりぽつりとお話申し上

げて、気懸りな娘の行く末などを、源氏が訊きもしない先から語るのであった。老人の愚痴はバカ

莫迦しいものであるが、それでも親心の働きを「不憫である」と、源氏が感じる部分も混じってい

る。すると入道が次の如くに言うのだった。「本当に、取りなして申し上げ難い事では御座います

が、我が君・源氏様、こんな風に実に思いがけない田舎の土地に、一時的にもせよ移って来られた

については、それなりの深い理由が御座います。これは長年の間、この老いぼれ法師めが神仏に一

心に祈願致した為に、神や佛が拙者の心を哀れと思し召して、御身をば明石に遷され、御心を痛ま

しめなされたのではないかと、心密かに考えるのです。その根拠は何かと申しますと、私が住吉の

大明神に願掛けを始めてから、既に十八年が経過いたしました。私には一人の娘が御座いますが、

娘が幼少の頃より、考える訣があるますので、毎年春と秋の二回に私は住吉大明神の御社に、参詣

致す決まりに致しております。また、毎日朝と昼と暮と、初夜と中夜と後夜の六時の勤行に、私自

身の極楽往生は、それは勿論の事としてさし置き、ただひたすらに娘の目標高い理想を叶えて下さ

いと、住吉の神に念じております。私は前世での宿縁が拙かった為に、現世でこの様なみすぼらし

く卑しい山住みの田舎者に生まれたのでしょう。私の親は大臣の位に就いておりますのに、私の代

でこの様な田舎者に落ちぶれてしまったのです。親・子・孫と一代毎に卑しい身分に成り下がって

行ったならば、遂にはどの様な情けない立場に下落してしまうのかと、私は口惜しく案じておりま

した。が、娘には生まれた時から私には期待する所があるのです。つまり、娘を何とかして都の高

位の男性に嫁がせたいものと、念願する気持ちが大きいのです。私如き者であっても、身分相当に

求婚者が沢山あったのですが、全部拒絶してしまった故に、その沢山の人の恨み妬みを負い、娘だ

けではなく私自身も辛い目に逢う時々も御座いました。しかし私は全く気にかけておりません。私

の目の黒い間は、不足がちな貧しい生活をしても、きっと娘を養い育てて参りましょう。私の期待

が叶えられずに、私が先に死んでしまったなら、詰らない人に嫁ぐよりは、むしろ海中に身を投げ

て果ててしまえ、と如何にも申し聞かせてござりまする」などと、作者がここで全部を描写出来な

い事などを、入道は涙ながらに源氏に話すのである。源氏の君様の方も、落魄の境遇にあり、あれ

これと身に滲みてこの世の儚さをご自身で感じている際でしたから、頻りに涙を流されて入道の話

に、耳を傾けなさるのだった。そして、「私・源氏が無実の罪に当たって、意外な田舎世界に漂泊

するのも、私にとっては一体どの様な罪業によることなのだろうと、今日までは理解ができず気懸

りに思っていたのであるが、今宵御身が物語られたお話を聞き合わせてみますと、成る程、こうな

ったのも前世からの深い因縁があってのことと、感慨も一入です。それにつけても、なぜ御身はも

っと早くに今宵のお話を私になさらなかったのでしょうかと、残念に思います。私は都を離れてか

らずっと、この世が終始変わることも面白くなく、仏道のお勤めに精を出すこと以外にすることも

なく、月日を送っている間に、心もすっかり弱って、意気地のない有様に成りきってしまいまし

た。



 源氏の名人演奏に大感激した明石の入道は

自身もプロの琵琶法師になりきって入魂の弾奏を

披露するのであった―。




  やがて入道はさながら琵琶法師になりきって、素晴らしい弾奏法を駆使して、珍しい調べの曲

を一つ、二つと演奏し始めた。また、箏の御琴を入道が源氏にお勧めすると、源氏が少しばかり弾奏

されるにつけても、七弦でも十三弦でも、どの道でも名手でいらっしゃると、入道は只々舌を巻く

ばかりである。元来、それ程勝れていない物の音でさえ、それを奏する時と場合とによって、、一

段とまあ優れて聞こえるものなのに、この場所は海上はるかにずっと見晴らしの開けている海岸な

ので、春や秋の花や紅葉の見頃の最盛期よりも、却って情趣が深く、ただ単に初夏の緑が茂ってい

る景色が優美である上に、水鶏(くいな)がカンカンカンと物を叩くように鳴いている様子は、

「誰が門を閉めて、入れないのか?」という、昔の歌も思われて、非常に興趣が深いのである。


 この様な折柄に、音色も最高の調子で演奏される琴のメロディーを、入道がこの上もなく感動的

に演奏するのを、源氏は感銘深く受け止めて、「これは女性が、優しく、しんみりとした様子で、

しかも、打ち解けて無造作に弾いているのが、如何にも趣がある」と、明石入道の娘とは無関係

に、一般的な話として発言したのに対して、入道の方は自分の娘を指して言ったと誤認して、得た

り賢しとばかりに、無駄な微笑みを盛んにして、 


 「あなた様がお弾き遊ばす音色より勝った演奏者は、何処にもいないでありましょう。拙者が延

喜帝の御手から弾き伝えている事は、如何にも三代目でござりまするけれども、拙者はご覧の如く

に運の拙い身であり、現世での名聞は全く忘却し、捨て去っております。が、何だか気持ちが余り

晴れ晴れせぬ時には、かつて弾いて気を晴らしておりました奏法を、不思議に真似をする者(娘)

が居りまする。それがどうも自然に、あの前王・延喜帝の奏法に似通っておるのです。とは申しま

しても、それは山伏(入道)の聞き違いで、松風の音を、娘の弾いて居る琴の音かと、ずっと聞い

ているのでございましょうか。何とかして、人目に立たぬように、御身に私の娘の琴をお


聞かせ申したいものでござりますよ」と、入道は源氏に申し上げながらも、次第に興奮して声が震

え、涙を落とさんばかりである。源氏は、「私の拙い琴などは、琴とも思わない上手の家の辺り

で、無頓着にも私が事を弾いた事は、残念なことでありました」と言って、琴を横に押しやりなさ

った時に、入道に対して源氏は再び言った。「不思議なことですが、昔から箏の琴は、女がどうも

奏法を引きこなすもの。嵯峨帝の直伝で、第五皇女が世の中の、あれ程の上手であらせられたので

あったけれども、その御系統では、これぞと特に取り立てて、伝える人はいません。現在、有名な

人たちは誰も奥行きのない、通り一遍の独りよがり者ばかりです。所が、正しい奏法を伝えながら

此処に、表沙汰にはせずに引き込めて置きなされたとは、私にとって非常に興味を掻き立てられる

関心事でありますよ。是非とも、その娘君の演奏をお聞きしたいものです」と。これを聞いた入道

は内心で嬉しく思い、「私の娘の演奏を聴くことには、何のご遠慮にも及びません。御身の御前

に、娘を呼び寄せてでも、演奏をお聞き下さい。支那の詩人・白楽天の詩にもございますように、

茶商の妻にも如何にも古い琴を上手に弾いて、聞き手が称賛するような名手も居りまする。琵琶と

いう楽器は、本当の奏法を十分に弾きこなす者は、昔から稀だとされておりますが、私どもの娘は

演奏を始めますと、殆ど途中で停滞することはなく、格別に面白くて、聴く者の心を惹きつけるよ

うな懐かしい弾き方で、格別な趣向で演奏致します。どうして娘は覚えるのでございましょうか、

娘の琵琶の声が荒い波風の音に混じる時など、私はどうして娘を波風と一緒にしておくのだろう

と、悲しく思われるのですが、また一方では色々と積もって来る悲しい思いが、娘の琵琶のお蔭で

晴れる折もあるのです。源氏の君様に、お聴き頂けますならこれ以上嬉しい事はございません」な

どと、風流がって語っているから、源氏は「興味深いことである」と考えて、箏の琴と琵琶とを交

換して、入道に対して特別に与えたのである。


 成る程、自ら延喜帝伝来と言うだけに、全く普通の程度を通り越して、入道は巧みに箏の琴を弾

いた。現代では聞くことの出来ない技法の味わいを弾き加えて、日本人離れのした支那風の調子が

あり、左手で弦を揺すりながら、奥深い様に、綺麗に澄まして演奏した。此処は明石の浦であるか

ら、勿論、伊勢の海ではないけれども、催馬楽の伊勢海中の一句「きよき渚に貝や拾はむ」など

と、ご自分の従者の中で好い声の者に謡わせて、自身でも時々笏拍子をとっては声を添えるなさる

のを、入道は途中で琴の演奏を中止して、感じ入って賞賛する。また、入道は豪華で珍しいお菓子

の類を、源氏の前に差し出すのだった。