時至るときを知る無意識
先日、ある勉強会で面白いことがありました。
主催者が、今回はとても大事な「それ」について話をすると言っていました。
でも、「それ」て何だか分りません。
「それ」は、現場でないと話ができないようなのです。
「それ、て何だろう?」と、興味を持って、多くの人が参加申し込みました。
ところが、直前になって、「仕事が入った」、「別の用字があった」などの理由でキャンセルが続出したのです。
参加したいのに、参加できなくなったのです。
私は、元々参加する気はなかったのですが、たまたま大阪に行く用事があり、「それならついでに参加しよう」と思って、軽い気持ちで参加しました。
「それ」は、とても大事な話でした。
私は、今日、聞くべくしてここに来たのだと感じました。
でも、人によっては、さっぱり意味の分らない話でしょう。
主催者は、「始めてこの話を聞かされたとき、腹が立った」と言っていました。
つまり「それ」は、聞く人を選ぶ話なのです。
聞くべき状態、聞くべき段階、聞くべき時になければ、
聞いても身にならないのです。
このようなとき、「参加したいのに、なぜか参加できなくなった」とか、
「参加したのに、なぜか聞こえなかった」というようなことが、よく起こります。
今は聞くべき時ではないということを、心はどこかで知っているのでしょう。
自分が意識していないところで、心が現実を動かしていることを知ると、
行動がとても楽になります。