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いつかの青写真

2012年、残るところ少ない、という何度も書いたような書き出し。こだわりはないが、久しぶりに文書を書こうとするとどうも出てこないのでいつもの型にはめて流れを掴めないかと模索する。

ちょっと気は早いが、残念なことにクリスマス前の連休が暇なので大掃除っぽいことをしていたら、10年ほど前に理科の実験で作ったピンホールカメラの像を現像した紙切れが出てきた。

何かとちゃんと取っておくような性格ではないが、こういうものは何だかんだ残していたりする。今の風景は、ぼやけた写真の中の風景とほとんど変わっていない。


人間誰しも、多かれ少なかれ、先のことを考える。青写真を描くことは人間に与えられた特権の一つだろう。

描く青写真はだいたいの場合上手く行かない。そんなものだろう。青写真と現実の風景が一致することはなかなかない。「何を当然なことを」であり、頭を悩ますこともない。昔はこの点に悩んだ気もするが、年を取ったのか、あまりこれには悩まなくなったような気がする。

でも、数年前似たようなことを考えながら気付いた「誰かの描く絵」と「自分の描く絵」の違い、こっちには未だに悩ませられる。

今年一年、いろいろな人に会い、いろいろなところへ行き、いろいろなことをして、いろいろなことを話した。でも何も答えは出ていない。一つの正解的答えがあるとはあまり思っていないが、それでも探す。方向性も、ヒントもない、それでも気付くとどこかに答えはないものかと探している。

考えて楽しくなることではない。それは答えが中々見つからないからというよりも、期待する答えでないからなのだと思う。

「考えるのは止めよう」それで止められれば本当に楽だろうと想像する一方で、それでも実は止めたくないのが本音なところもある。矛盾、けれども事実。



一人称以外の視点を持つことができる(その補完が必ずしも正しくないが)という客観視の力もまた一つ人間の特権。一方で客観的絶望の中に、主観的希望を抱く、それもまた特権なのだと思う。

思いの力、情熱、パッション、表現は色々あれどれも安直で、普段使うのは意識的に避けているが、そういうものを信じている質である。信じているとは言ってもそれで具体的結果が出るとは思っていない。でもそれを持たないよりは、持った方が楽しく生きられるのじゃないだろうか、そんな風に思う。



年末になってもわけのわからないことを書き、一人感傷に耽る。何年後までこうして頭を使い続けられるのだろうか。

Goodbye 2012

「いいんだ、別に」

思えばここ一ヶ月程、いまいち何にも取り組めていなかった。今もだけど。

少し気合いを入れ直さなければと思いながら、何か気分がまとまらないのを放置していたら大分追いつめられたとこまで来てしまっている。まああんまその気がないと言うか、言うほど焦ってないから尚のことよろしくない。

そんなこんな思索ばかりでも気持ちの切替ができそうにないので、少し文章を書いてみようと思った次第。


夏も近い。これと言って夏!という予定もないが、もともと素直に大学生らしい生活を楽しむのも苦手なので、有意義に過ごせればというありきたりなことを妄想はしている。


いろいろと考える。世の中不思議なもので、欲しいと思う物事は手に入らないのに、どっちでもいいようなことは手に入ったりする。これまた、何を当たり前な、ということではある。けれど「ありきたりなことは簡単」とは限らない訳で、非常に悩ましい。


「いいんだ、別に」と言ってみているが、実は全然良くない。

でも「いいんだ、別に」はある意味では間違っていない。実際明確な何かを得ることができなかったのは仕方なく、それは「いいんだ、別に」である。でもいまいち自分の中で終止符が打てないことは「いいんだ、別に」ではない。ここが引きずり続ける原因だったりする。

ともすれば「俺だっていろいろあれこれ努力はしたんだから、ちょっとくらい俺の自己満足に時間を割いてくれても」と腹立たしい気持ちになる。でもその考えが間違った話なのも知っている。でもさ、いいじゃないのそれくらいしてくれたって。こんな感じの堂々巡り、無駄かそうじゃないかで言えば無駄である。


人は割と自由なことを言うもので「そりゃあっちが悪い。だから気にすんな」「まだ頑張りましょうよー」とは言ってくれる。言いたいことも分かるし、自分が逆の立場だったらそう言うし、まあ冷めたこと言えば萎えてる人に他になんか言うことあるの?って話である。

だけど、そんな言葉じゃ何も解決しない。結局、自分の中で消化して解決するしかない。

だからいい加減、前に進め自分。そんなOLの「がんばれ私!」みたいなこと言い聞かせる真夜中。まずは目の前に集中、集中するしかない、いいからしなさい、言い訳は聞きません、いいからやりなさい。

なんだかバカになった気がするけど、まあいいか。

No logic, but i still can believe

気付けば夏学期も終わりそうで、ちょっとやばくなりつつある授業周りが気になる最近。

正式に計数工学科数理情報コースに進学し、そして正式に会社も登記され、平日は授業に追われながら正社員、休日は正社員メインの課題をちびちびやる学生、という生活。

ごく稀に追い込まれたような気分になって全部辞めたくなるけど、1日もすればそんなことも忘れ、日々に戻れている。なんだかんだ、好きなことをやれている、そんな気はする。


好きなことって結局なんだろうか、と思う。ちょっと前まではいろいろ考えつつも「自分が優位に居られる分野」が好きだった気がする。なんだかんだ居心地がいいからそれはそうなると思うし、別に間違っているとは思わない。

だけど最近は、少し違う感情を持ってそういう判定をするようになった気がする。

数理工学、プログラミング。学業と仕事を非常に大まかに言うのであればこの二つ。身近な人を見回すだけでも、自分が一生かけても勝てない気がする人は数えきれないくらいいる。ということはもっと視点を高く持って世界を見渡せば、とてつもなくたくさんの人が自分より上(という言い方はなんか違うかもしれないが)に居る。正直、萎えない訳がない。

でも結局、そんなことで萎えてあれこれ悩んで行き着く先は、自分が数理なりプログラミングなりの分野が好きであるというところ。なんというか、それ以外があまり見えない。勝てないかもしれん、向いてないかもしれん、才能ないかもしれん。でもだからなんだ、好きだからしょうがない、という気持ちが漠然と出てくる。

まあだからといって、勝てない状況が気にならないわけじゃない。そこまで悟れてはいない。負けたくはない。

授業やら仕事やらばかりではない。物も人も、何もかも、結局好きなものは好き。選択することでどんな結果になろうと、変にスマートに諦めたり譲ったりするなら、恥かいてもなんでもやってみたい。最近また心が子供である笑

今のところ、楽しい人生です
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