結納から結婚式まで3年である。


いろいろあったが地元のうわさもなんともせずに、


クリスチャンの仲間の協力で式ができた。


ひと月前に招待状。


8月4日 誕生日の1週間前に会場が取れた。


教会はクーラーはなく、扇風機一台。


みなさん汗びっしょりの式になる。


ホテルまでは貴賓なく、みなさん都バスでピストン輸送。


父の協力だった。


父の遺言は、お前は浩ちゃんだけを大事にしていきなさいというのが最後の言葉。


家内を一番の我が家の宝としていた父である。






結納は今時分である。


卒業、就職とあわただしい中だった。


家内は年上。


急ぐのである。


親がである。


30前に結婚しないといけないと決められていた。


モデルのバイトもしていて何枚もお見合い写真も撮らされて嫌だったという。


我々は何で結婚したと言われても、わからない。


情熱だと答えるしかない,無我夢中!


家内は子供の時に泣いている私にグリコのおまけをくれた。


覚えてはいない。


それがかないとの確信がないが、家内のお母さんのお花畑だからそうだと思うのである。


二丁目で生まれて、同じ小学校に通った。


家内は子供の時のわんぱくを覚えていれば結婚しなかったという。


幼いころを飛び越して、御茶ノ水で、学校で知り合うのである。


子供時代は知らない時である。


人間ドラマである。



クリスチャンの仲間はその年に全員結婚した。


それがどういうわけか、みな姉さん女房なのである。


まったくの偶然だが、気が合いすぎている。


そして今まで、みな鴛鴦でやってきている。


神様が見守ってくれているとしか思えない。


私が結婚式を挙げた教会はプロテスタントで青山にあった。


友人が前の週に式を挙げ、三組が自分の牧師さんをお願いしてあげた。



結納は明治神宮。


披露宴はヒルトンホテルと、忙しいことになった。


家内が主張した30前に結婚は間に合った。


私は自分の結婚の間に、姉を名古屋に嫁がせた。







自宅は結婚以来である。


当時は両親の援助でやっと購入。


頑張ってローンを返済した。


もう移動は面倒と、居すわっている。


裏口はバリアフリー。


裏を回るとそばにスーパーと郵便局がバリヤフリーでできた。


ここまで頑張ってきてよかったと思う。













新しく広がり、白山通りに抜ける新道ができた。


30年以上の時間がかかる。


飯田橋の五さ路の交差路が混み、事故が多いのでう回路を作った。


困った。


実はここに引っ越してきたときに、いざ避難という場合の安全な道を考えたのである。


表通りはガラスの雨と地盤が地下鉄で何が起こるかわからない。


小学校に行く大きな通りは渡れないとしたほうが良いということになる。



緊急時の暗号も作る。


とにかくその当時は高層の建物は苦手であった。


贅沢だが平地が良い。


裏から出て、津久戸八幡神社の裏から入るとバリアフリー。


今のところの新しい道の下も安全を確かめてきた。














広い境内。


大きな銀杏も屋根になり、


下には仲の良い夫婦のお猿さんが桃を分け合って食べている。


私たちには子供のころから慣れ親しんだ場所である。


年をとってもはぐれることはない。


まさに鎮守の森なのである。


ここも江戸時代は砦、


敵が登る階段は急である。


子供時分はこの階段の両サイドに縁日が出た。


あちこちの縁日で神楽坂は毎日お祭り気分であった。


さて、金婚式である。


まだ少し早いが、どこか行こうと思うと今しか時間がないと思う。  


右足しか立てないが、あとは健康だ。


心臓に痛みがあるがしょうがない。


親友の二人はカテーテルをやった。


この痛みは耐えられないと、酒タバコをやめた。


自分たちだけでおめでとうもつまらない。


いっそのこと、仲間の結婚式が同じ年のものでちょっとしたお祝いのイベントにしようかと考え始めた。


十組のクリスチャン夫婦が金婚式!


あと、数年をかけて考えようか?


二人で外国に船旅もよいが、


老いた仲間とのお祝いも捨てがたい。


みんなと二度目の結婚式だ!