上の写真はスイスのアルプスで生徒さんが贈ってくれた写真である。
根っから冬山が好き、スキーは10歳で草津のゲレンデを滑った。
元白根のツアーは高校時代、万座から入り草津温泉に抜ける初歩の山スキーだが
下りてきたときは真っ暗。
仲間も私も木のスキーで岩に挟み、片足で滑り降りるという無謀な経験だった。
ユースホテルに着くとほっとしてリックを担いだまま寝てしまう。
仲間は憧れのスイスのアルプスを滑ったという。
私はまだ北海道を滑ってないから、
スイスはそれからと強気でいう。
神楽坂に雪が降るたびに思う、仲間の思い出だ。
高原の雪景色を好きな仲間は、茶の湯の仲間、雪景色は茶の湯にあう。
神楽坂のこの傾斜はスキーのパラレルという中級の滑りの練習にいいと父が言う。
父は奥日光でスキーの大回転の選手だった。
若いころの神楽坂は左右の歩道はなく、一方通行でもない。
3センチも雪が降れば、車は登れない。
下りてもいけないから、
絶好のスキーの練習になったという。
流石に私の時代は道路も舗装されて、10センチはないといけないが滑る人はなく、
シーンと静寂が流れていた。
左右の道路の雪かきができてないと歩きでも登れない。
私は大事にしていた雪山用の長靴で自慢げに、雪かきを手伝う。
中が羊の毛で、暖かいし、靴の底は手作りで滑らないようにしてある。
神楽坂にあった幼馴染の靴屋さんのお父さんが作ってくれた。
今その前を靴を履いて雪かきをしている。
神楽坂はあと二センチ積もったら車も人も通れない。









