初釜の生徒さんは、当日の人数の濃茶を練る。



十分お稽古をしたかただが、やはり濃茶は難しい。


一番大きな嶋台でである。


あと、本番まで6階のお稽古だろうか?


一回一回を大切にしてお稽古するしかない。


今日は長板でしたが、大きさのバランスがやはり台子を使ったほうがよいと台子に直した。


とたんにお点前も良くなった。


苦労して真台子をお稽古した賜物であろう。


まじめにコツコツする人には、神様が付いていると思う。


光り輝くときもあるのである。








皆さん協力してくれている。


今までは初釜の本番のお道具は、こういう時に出さないし使わない。


今回は回転の心境の変化。


みんなで作り上げる初釜にしたい。


同時進行で、お点前をしない生徒さんもするつもりで、台子のお茶に挑戦である。


出来れば炭も台子で行きたい。


炭はなん通りも洗って乾かした。


湿し灰も暮れまでの分を作った。


だが皆さんのやる気は難しい、


一番難しいのが台子の初炭、後炭。


灰と炭は嫌がる、


人のことは言えない、


親先生の炭の時間の第四週は、私はいつもサボっていた。


その反動で人生の後半炭と灰に没頭したのである。


棗を二つ並べて、考えてもらっているところ。


今年は、お正月用の鶴の棗がどこかにとんでいってしまったのである。


謝りながら鶴の代わりに燕、


家内は可笑しいと正月らしい棗を持ってきた。


何か心の底から寂しく、苦しみが湧いてくるがどうしようもない。


買えばよいという方もいるが、


今の私には道具を見に行く気にも慣れない。


ここ数年、いろいろなことがあり、


断腸の思いが続く。


御道具がないくらいと思うが。


その茶碗、露涼しとお家元が銘を付けてくれた茶碗は、


私の初めてのボーナスで求めた。


本当にこの茶碗が分かろまで20年、


お家元のこの銘が理解できるまでには、父と姉の急死を私も体験して、


その苦しみの中で、やっとわかったのである。


私の師は、君は凝り性だから古美術には手を出してはいけないと遺言である。


たった一つの唐物が分かるために3億は捨てる覚悟がいると戒めておられた。


生徒さんに棗を選ばせるというのも、


今の私にはつらい。


大きいのと中ぐらいのがあり、


生徒さんは自分の手を当てて選んでくれた。


流石と、


これで良いとホッとした。


これで初釜のお道具はすべて決まった。


あとは皆さんで、このお道具に負けないように年末に向け、やるしかない。


今回は社中全員が、初釜に!