教室につくと玄関にホトトギスが配りで活けてあった。


ホトトギスの一種、それもくばりである。


家内の作品であるが、こんな力作を玄関に行けることはなかった。


どう見ても良かった。


季節感もあるが、流石と思う。











来週から十月。


いよいよ中置のシーズン。


教室では今年は、中置の炭を中心にお稽古する。


今日は待ちわびていた生徒さんたちが来てくれた。


早速篩ってある灰を説明して、まずは道安風炉の遠山の灰に挑戦してもらう。


ある意味では、分かりやすく、作りやすい灰型である。


左右対称で、山と谷を作る。


真ん中には季節の炭、それがよく燃えるような空気の流れを作る灰。


これをしていると時間を忘れる。


今年は小振りの眉風炉もだす。


慣れた生徒さんには、二文字押切りを会得してもらい、将来の鱗灰にも挑戦をしてもらえればうれしいのである

 。
















最後に白い藤灰を雪や海の波に見立てて蒔くのも、陰陽の兼ね合い。


真ん中には風炉は水の卦を火箸一本で書く。


火の用心と淡々斎家元はいう。


炭は、灰は一朝にはできない。


30年50年の経験があって、その間のコツコツとした灰の手入れがなければ分かるものではない。


師について今はそんなに勉強できないという。


もともと茶道は師についたら命の限り離れず、


教えを乞うだけでなく、師と伴に道を究めるもの。


利休さんもそうである。


500年、1000年の歴史のあるものなのだから、


焦らず余裕をもって楽しんでいくものと思う。


その中で灰ほど楽しいものはない。


いくらやっても経費はいらない。


御道具代もかからないと私は学生時代から自分の貧乏を棚に上げて灰の研究をした。


今はそれが実を結んだと確信する。


炭も灰も現代では捨てられる時代。


だがこれからもまだ学べることは多いのである。