出雲地方のぼてぼて茶を立てるのに使われていた日本では古い時代の茶筅の原型である。
この茶筅は、5世紀に陸羽という中国の植物学者が書いた茶経という本に出てくる茶筅にそっくりである。
茶筅のセンは本来は違う字であった。
古代魚を取るのに使った竹の籠のようなもので、いったん魚が入ると出られない仕組みであった。
現代の茶筅である。
流儀によって、さまざま変化する。
裏はこのように結び目を正面として、本数も80本をよく薄茶に使う。
濃茶は、薄茶で本数が少なくなったものをお稽古では使う。
まず、必ず使う前には綺麗な水に漬けておく。
これを怠ると、茶筅は乾燥しているので茶筅通しをしても折れる場合がある。
薄茶も濃茶も、しならないで上手く点てられないし、練るのも弾力がないとお茶が美味しく寝れないのである。
みなさんの気が付かないところで、先生が準備してしまうとなかなか感が働かない。
茶箱では、水屋がない想定で、私は意地悪ではないが茶筅は水に漬けておかない。
熱いお湯で茶筅を清めていると、つい宗編のくせが出て茶筅を柔らかくしている。
それでよいと思う。
手の中で茶筅が柔らかくしなる感覚は、何とも言えない。
安心してお茶を立てられる。
もちろん、穂先を一本一本しっかり、見据えることは一番大事である。
利休さんの、使い古した茶筅を使うという流儀もある、それ故煤だけを使う。
中国から仏教伝来とともに、日本に伝わった台天目という唐物の茶碗には底が深いので、このような茶筅も使う。
茶筅は消耗品だが、茶人は大切に使い、穂先が減ると、茶花に露を振ったり、夏の懐石にも碗の蓋に露を振るのに使い。
最後は丁寧に茶筅塚に供養する。
茶筅は奈良の高山の神社の神職の方が、心を籠めて作ってくれたもの。
黄金の茶室でも、茶筅は竹でなくてはならなかった。
丁寧に使えば何年も持つものである。
茶筅がお道具の一番大切なものと言える。
歴史は1500年以上なのである。