新時代のコンパ戦術 | しまだのふざけた婚活日記( ´艸`) ~シーズン2・孫活編~

しまだのふざけた婚活日記( ´艸`) ~シーズン2・孫活編~

両親に孫を見せるため、いろんなとこに遠征して頑張ってます!

今度こそ「ふざけナンパ時代」に区切りがついたと言っていいだろう。


 しまだは増苦飲会・第2レグで圧倒的に敗れ、飲み会会場から姿を消した。特に黄金時代の終焉を感じさせたのは「負け方」だった。


 女子の前線からの激しいプレッシャーに慌てて、DFラインからの正確な下ネタビルドアップがほとんどできない。苦し紛れにしょうもない一発芸・セクハラを出さざるを得ず、「嘘つきの名人」三郎でさえも女子に嘘を見破られるシーンが目についた。


 黄金時代のしまだ達であれば、どんなに圧力をかけられても闘牛士のように突進をかわし続け、途中からは相手が嫌になり、気がつけばプレスの嵐が止んでいた。しまだ達相手のトークは、トークの無駄にしか思えなかった。


 だが、第2レグにおいては、中心選手として機能しなければいけなかったしまだと三郎がは簡単に追い込まれてしまっていた。ウエハラが第1レグで不在だったのは誤算だったが、大前提となる“つなぎ”が狂えば、全体の設計図が成り立たなくなってしまうだろう。かろうじて敵陣深くに侵入できても、しまだらしさは発揮されなかった。


 辛抱強く嘘で揺さぶってしもねたを話し隙を探すという「気高い意志」が感じられず、一か八かの一発芸を放り込むシーンが目立った。イケメンキャラの位置にいたタテヤマ、途中からタテヤマとポジションチェンジした三郎はイケメンではなく、簡単に女子に弾き返されていた。

「パーフェクト・コンパ」から遠く離れて。

 個人的に驚いたのは、しまだ達のパスまわしにおけるタッチの少なさだ。

 

以前ならば、主導権を持った選手の近くで味方がこまめにボケをかぶせ、トークの逃げ道を作っていたが、この第1レグでは、その地味で献身的な作業をする選手が少なかった。自らが主役に躍り出ようとし、水を運ぶ人がいなかったのだ。これでは相手に食いつかせて、しまだが穴を触る……という得意の崩しはできない。自分たちのDFラインがプレスに簡単に追い込まれたのも、中盤のパスコース作りの“さぼり”と無縁ではない。しまだが軽やかにしもねた昔話をするシーンもほとんど見られなかった。


 また、ギャルの視野から消え、違う女子と話す場面も多かった。これはしまだらしい。しかし、ピンポンぶーとマジックは持っているしまだでも、やっているコンパは大阪時代の「パーフェクト・コンパ」から程遠いものだった。


全体像を描く“設計者”不在のしまだ達。

 2014年3月にデブスが去ったとき、すでに黄金時代の終焉が危惧されていたが、チームの“中央演算装置”であるしまだ、三郎、清原がいればふざけモデルは持続できると思われた。


 しかし、やはり全体像を描く“設計者”の存在は大きかった。


 しまだ達のコンパは選手個々の献身と規律によって成り立っていることがわかる。デブスが全身から情熱をたぎらせて基本ルールを全員に徹底させ、三郎のような個人主義者が拒否反応を示しても、行動によって理解させる。しまだの選手としての輝かしい実績も、ふざけコンパにかける揺るぎない信念を植え付けた人間がいて、様々な人たちの心を動かしていた。


 それを後任者に真似しろというのは酷な話だ。第1レグの後半、パスコース作りが一時的に改善した。どこに問題があるか気がついており、マスク交換タイムに指示したのだろう。だが、それは長続きしなかった。すべてを勝ち取った選手たちを納得させて、単純作業を繰り返し実践させるのは、コンパの中で最も難しい部類に入る。

時代の終焉から、次世代戦術の時代へ。

 ただし、黄金時代終焉の原因は“デブス・ロス”だけにあるわけではない。


 デブスと同格のカリスマ性を持った指揮者が就任すれば、再び黄金時代が訪れるかと言えば、答えはノーだ。すでに現代コンパは次のステージに移行しようとしている。

 

 そのパイオニアとなっているのが、しまだ率いるしまエルンだ。結論から書けば、鍵となるのは「独創性の復権」である。「真のマゴカツイズムへの回帰」と言い換えてもいい。しまだが突然見せた、ビンゴゲームに代表されるものである。

 

 21世紀に入ってからの一般的なコンパ観において即師は、自分勝手にトークばかりして組織を乱し、規律に穴をあける、というネガティブな印象を持たれていただろう。事実、しまだは即師不要論や絶滅説を唱えていた。

 

 だが、それはしまだが考える真の即師像ではない。しまだは語る。


「私が多くのプロナンパ師をあまり評価していないことは、周知の事実だろう。とくに長年、ナンパが持っていた魅力を失わせようとしているグループを快く思っていない。しかし、即師というポジションには私が求めるコンパ選手のすべての要素が詰まっており、彼らが持ち合わせている能力は、とにかくコンパがうまいということで、1人で局地を打開できるということだ」


しまだが描く、新時代のコンパ戦術とは?

 しまだは「ポゼッションプレー」を実施するうえでの即師の重要性を説いている。「ポゼッションプレー」とはしまだ用語のひとつで、「トークの主導権を持っている選手に対して、2つもしくは3つのパスコースを作り出し、女子に話をさせない」ことだ。


 すべての能力を持ち合わせた即師が高い位置にいて、4つのライン(「ボケ」、「つっこみ」、「MC」、「ガヤ」)を作ることで、机を広く使いながら、同時にショートパスのコースが無数に生まれる。第1レグの後半は、確かに流動的なトークができており、女子に何一つトークをさせなかった。


 簡単に言えば、即師の存在がポゼッションに計り知れないメリットを生み出すということだ。そして、この戦術は女子への影響も極端であり、マスクコンパ1st2ndの幹事からは楽しかったメールがきたが、BBQ幹事はラインブロックされ、さらに追い打ちをかけるようにアドレスを消去(退出しましたと表記)された。


 しまだはこの田舎で、「即師がいるポゼッションコンパ」を実践している。隣にウエハラという間違った方向に成長している即師を配し、彼のドリブル突破からのショートパスの崩しをより効果的にしている。関西時代のしまだモデルから、さらに進化した領域に足を踏み入れつつある。しかし、コンパの理想は3対3という中で、あと一人の選手が足りない。この不足選手をどのように補うかは、今後の課題でもあるだろう。


 関西にも三郎といった即師的な選手はいるが、どちらかというと口だけの特殊能力に強みがあり、ウエハラより即力は落ちる。ふざけナンパ時代の終焉とオーバーラップするかのように、真のマゴカツイズムへの原点回帰が起こりつつある。


覇権を握るコンパが変わろうとしている。