リンのタイムトラベル

リンのタイムトラベル

再婚~父の死を経て穏やかな日々!
幼い時の母との別れ、、変わっていった家族、大切だった初恋
タイムトラベル書いてみようかな。。

大好きだった母親。。。との別れ


歯車が狂って行った家族の関係。。。。




そんな中 大好きな友達たっくさんと


何より 大好きな男の子と初恋をした。

 

今振り返っても あの初恋は私の『生涯の恋』だった


甘くもあり 切なくもあり 


泣いて笑って怒って喜んで いっつも必死で


『世の中で一番幸せなのは私だ!!』って本気で心底 思っていたあの頃


後にも先にも あんな恋は最初で最後だった




大人になってからの まさかの父の病気


ドラマ「1リットルの涙」で有名になった進行性の原因不明の難病


「脊髄小脳変性症」の父との事



私は、

「線維筋痛症」で10年以上は苦しんできました。


ここ半年程で 嘘のように楽になりました。





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それから、何日かたって母は検査の為入院した。

家の用事は兄弟3人で分担するよに母が当番を決めた。


兄はコロ(犬)の散歩、お風呂を入れる
朝の雨戸開ける事、夜雨戸をしめる。

姉は、その他の家事(何パターンかの料理を母から教わっていた。)

私は、姉のお手伝い、家族のお弁当作りでした。


母の入院は平日だったので学校へ行ってる間に病院へと行き、そのまま入院という事になった。


ちょうど小学6年の夏休みの1月程前の頃だった。


私は、毎日学校へ行き家に母がいない寂しさはあったけど
学校では仲のよい友達もいたから今で通り楽しくせいかつしていた。
学校が終わったら友達と約束して遊んで

夕方には家に帰り
ピアノの練習!(私は、4歳からピアノを習っていた)
母は私のピアノには期待??していたので辞めるつもりはなかったので


母が入院する期間(1ヶ月の予定)をピアノ教室をお休みするように母はピアノ教室に連絡していた。


私は、ピアノの練習は、いつも嫌々だったんだけど
(母に毎日一時間は自宅練習させられていたので)


でも、母が退院した時に喜ばせたいなと密かに思い
退院するまでに『エリーゼのために』を弾けるようになろうと決めて練習してた(笑)


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姉としばらく泣きながら話て


また一階へ降りた


父と母は しばらく相談して

京都のおばあちゃんに検査入院する事になったいきさつを電話で知らせたようだった。


おばあちゃんに一か月検査入院という話をしたら


日赤ではなく 京都の京大病院に入院するように言われたようだった


多分おばあちゃんも心配で 京大病院なら大きい病院で間違いないだろうという事と


おばあちゃんの家からも行きやすいので

おばあちゃんが京大を希望したんやろうと思う


まだ しばらく 私はメソメソと泣いていたら


母が私の傍に来て言った


「お母ちゃんがリンを置いて変な病気になるわけないやろ?」って


私を励ました。


母は誰よりも不安で怖かったろうけど

末娘の私がいつまでも泣いていたから

こう言って励ましてくれた


正直私は 子供すぎて 母がどんな病気なん?って心配できるような頭は

この時は まだなかったんやけど。

母がこう言ってくれた事に なんかすごい安心して

ようやく泣きやんだ



夕方に病院から帰ってきた母だったけど

初めて家族が入院するという試練に

オロオロ バタバタとおばあちゃんに電話で相談したり


私も姉と二人で泣きながら2階でしゃべったりしていたから

家族会議みたいなんもあったし


ようやく私が泣きやんだ頃には


もう夜 8時か9時くらいになってたと思う。


その頃 『ピンポーン』と玄関のチャイムがなった


私は 玄関に出ると

玄関には 沢山の荷物を持って深刻な顔をした 


おばあちゃんが立っていた。


電話で検査入院の話を聞いてすぐに


電車とバスに乗って1時間程かけて おばあちゃんが来たのだ!



おばあちゃんは家に入って 父と母と話をしていた


また私は 姉と二人で2階にあがって


姉にこう聞いた


「なんで今日入院する訳じゃないのに 夜におばあちゃんが来たん?」


すると姉は私にこう言った


「じゃあ もしリンが おばあちゃんの家に泊まりに行ってる時にな 電話でお母ちゃんが入院しなアカン事になったって聞いたらどうする?」


私は すぐに答えた

「すぐに お母ちゃんとこ帰る!」


答えて ああそうか そういう事かってわかった


本当に この時の私は まだ子供で こういう想像力がまだ出来なくて


おばあちゃんが夜に来た事が ただただ不思議やった


今なら  そりゃ~ビックリして心配で 飛んで会いにくるなんて すぐに理解できるのにな。。


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母は日赤へ検査に行った。


午前中から行ったのに帰ってきたのは夕方近くになってた。


その日は 検査の結果が気になってたのか

父、兄、姉と私とで母の帰りを待っていた。


母が帰ってきて すぐに「どうやった?」という話になった。



母は


「最初 結核かも!みたいな感じやったから


あ~帰りは 晴れ晴れとして帰れる~っ思ったんやけど

結局違うみたいで 詳しく調べる為に 1か月検査入院やって言われた」


ととても怖そうに話した。


私と姉は それを聞いて二人して泣き出した


「うわわわ~~ん うわわ~~ん ヒック ヒック」


私と姉は そのまま2階に上がって二人で泣きながら話してた。


でも、この時の私と姉は


姉は高校1年 私は小6

姉は 母が一体何の病気なの??って本当に心配でいたたまれなくなってたんや思う


私はというと 正直まだ子供で


母が何かの病気かもしれない!とか そこまでの想像と心配をする力がまだなかったんやと思う


私は ただ 母が一か月も入院して家に居ない事が悲しくて悲しくて


一大事だった。。。

兄は とても深刻な顔をしていたけど


そこは高校2年の男の子という事で泣きはしなかった。


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