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第002回国会 本会議 第67号 冒頭で教育勅語等排除に関する決議案

 

教育勅語等排除に関する決議
  民主平和國家として世界史的建設途上にあるわが國の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の革新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となつている教育勅語並びに陸海軍軍人に賜りたる勅諭その他の教育に関する諸詔勅が、今日もなお國民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、從來の行政上の措置が不十分であつたがためである。
  思うに、これらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的國体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる。よつて憲法第九十八條の本旨に從い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの詔勅の謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。

この後採決

○議長(松岡駒吉君) 採決いたします。本案は可決するに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(松岡駒吉君) 御異議なしと認めます。よつて本案は可決いたしました。

さらに

○國務大臣(森戸辰男君) ただいま本院の御採択になりました教育勅語等排除に関する決議に対し、私は文教の責任者として深甚の敬意と賛意を表するとともに、一言所見を申し述べたいと思います。
 敗戰後の日本は、國民教育の指導理念として民主主義と平和主義とを高く揚げましたが、同時に、これと矛盾せる教育勅語その他の詔勅に対しましては、教育上の指導原理たる性格を否定してきたのであります。このことは、新憲法の制定、それに基く教育基本法並びに学校教育法の制定によつて、法制上明確にされました。本院のこのたびの決議によつて、あらためてこの事実を確認闡明せられましたことは、まことにごもつともな次第であります。この際私は、この問題に関しまして文政当局のとつてきました措置と、本決議に含まれた要請に処する決意とを申を上げたいと存ずるのであります。

詳細はリンク先の原文に当たってください。

教育勅語を「アレンジ」して教育の場に持ち込もうというならば、この採決をまず取り消すための動議でも出して見やがれ

「説明責任」という言葉。

曰く、「~~は政治と金について説明責任を果たしていない」ってね。

どんなに記者会見を開いて説明しても「説明責任を果たしていない」でくくられたら正直たまらないですね。

では、「説明責任」を連呼する方々に聞いてみたい。「説明責任」ってなんですか?

自分の中の解釈では、「ある事柄について正しくその内容を知る人間が問われた内容について理解できるように明瞭に答える義務」であると考えている。

ではその求める「説明責任」が物足りないと思ったとき、求める人々が取る方法は何か?

それは「説明責任を果たしていない!」と目くじらを立てることではなく、「私が求めているのは~~~についての説明なのです」としっかり相手に伝えてあげることだと思うのです。

これは本来最初の段階で明らかにされなければならないはずのもので、コミュニケーションの基本だと思うのです。

ところがメディアでこの単語を発言される方々は、面と向かって自分が何を聞きたいのかを当の相手に直接伝えることもせず、例えば記者会見の内容を見ただけで「説明責任を果たしていない」とくくっています。

この言葉を使っていいのは、例えばある事柄に対して質問を行った当事者がその答えを聞いた上で、自分の聞いた内容に対する答えあるいは説明になっていないときだけ発していい言葉だと思うのです。

どうもこの国では「説明責任」は「セツメイセキニン」という呪文と化しているようで、この呪文を唱える人たちは、本当は説明をしてもらいたいのではなくその相手からたった一言引き出したいがためだけに唱えているのでどんな論理的な話も無駄になります。

それは謝罪あるいは辞意だけです。

得てして、高学歴を誇る国会議員の方々がまさかこんな事のためにこの呪文を唱えているとは思いませんが最近よく使ってらっしゃいますよね。








今朝の話。電話を取ると機械音声でエコに関するアンケートに答えて欲しいというメッセージ。1分ぐらいだというのでつきあってみることにした。

設問1

地球温暖化が原因で異常気象や環境破壊が懸念されていますが、興味はありますか(一字一句同じではないです)

答え1)大いに興味がある 2)少しは興味がある 3)興味はない

さぁ、どっから突っ込みましょうか!まず大前提として「原因」と「結果」を取り違えた設問だということ。地球温暖化→異常気象、まぁこれはよしとして環境破壊はないだろう。
原因はあくまで人間様の環境破壊(生態系の破壊)であって、地球温暖化というのは結果でしかない。(そもそも地球温暖化の定義自体がかなり怪しくなってきている事はさておき)
さらに答えが興味のあるなしでしかくくられていないのも、非常に重要な問題提起をしている風でありながら妙な熱のなさだ。

設問2

環境に優しいエコキュートというものを知っていますか?(一字一句同じではない)

答え 1)知っている 2)知らない

なるほどね、アンケートじゃなくてマーケティングじゃん

設問3

最後の質問です。現在エコキュートによるオール電化を導入するとお宅の光熱費がこれだけ安くなりますよというシュミレーションを行っていますが、興味はありますか?

答え
1)導入に非常に興味があるのですぐに訪問して話を聞かせて欲しい

2)導入までは考えてはいないが興味はあるので話を聞かせて欲しい

3)わからない

ご立派なマーケティングとアポイントメントになってきたのは一目瞭然だが、この設問に対して「わからない」という答えを用意するのはなぜなんだろう?日本語の応答の文章としては不可解きわまりない構成だが、他に選択肢もなく「わからない」を選択。そして電話を切った約10分後、当のアンケートを行ったエコファームだか何だかから突然電話が掛かってきた。以下やりとり。

ーとりあえずオペレーターのおばさまが一通りあいさつ

「今でしたらご説明のスタッフが近くを巡回しておりますのですぐにご説明に伺えますが」

ー設問に対して本当は来て頂かなくていいと思ったのですが、答えの選択肢になかったので「分からない」にしたのですがどの答えでも電話を掛けてくるのですか?

「いえ、わからないは音声応答ではよく意味が分からなかった方という意味です」(この時点で血管ブチ!です)

ーなるほどそういうことですか。でしたら電話の最初に回答するかしないかの選択肢を用意して下さい。

「このお電話ではお答えできませんがご意見として伺っておきます。それでご訪問の方ですがご近所の方もずいぶん興味を持たれているようですし」(どこの誰かいってみて欲しい。隣のSさんか向かいのSさんか)

ー来て頂いてお話を聞いている時間もありませんし、来て頂くのも申し訳ないので内容の分かる資料をお送りいただければいいですよ。

「資料だけお送りするということはしていないんです。あくまで会ってお話しする内容ですので」

ーじゃあ、結構です。ガチャ

ものすごく一方的過ぎる内容だと思わないだろうか。

勝手にプライベートな時間帯に割り込んできて、こちらの妥協点の提示に対しては出来ませんの一言。

人に不愉快な思いをさせて、なにが商売だろうと思うこの頃。

話がずれた。

去年あたり衆院選の時にもアンケート(これはちゃんと人間が受け答えするタイプだったが)を受ける機会があったのだが、これも設問を読み上げるたびに「おいおい」と突っ込みどころ満載だったことを記憶している。

何か一定の結果を出したいがために、恣意的にアンケートの設問と答えが用意されているのが明白すぎて、吐き気がするのだ。その時は政権交代に関して好意的な結果を演出するムードが全開だったし、今回のエコキュートはどう転んでもアポイントメントを取ることが出来るようになっているし、昨日あたりの民主党代表選の結果としてどちらを期待するかで(確か共同通信)管総理大臣が小澤氏を圧倒する結果だったが、これは設問の設定云々ではなくねつ造に近いだろうと思う。(ネットの論調をみればおおよそ小澤氏が優勢だろうと思うが)

そうでなくても「建設会社からのヤミ献金疑惑で起訴される可能性がある小澤氏と先の参院選で大敗しながらも政権運営に普請している管総理とあなたはどちらが民主党総裁としてふさわしいですか?」と設問が設定されたら、まぁ結果は推して知るべしだよね。

人にものを尋ねて、素直な回答を引き出したいのならば、言葉はきわめて慎重に選び且つ中立でなくてはならないと考える。