■2回目の弁護士先生


「――ああ、俺。お母さんから話は聞いた。」


「俺も同意する。」



私はこの後に夫が何を言ったのか、全く、覚えていない。


「俺も同意する」


その言葉だけがこだまのように、私の頭の中でリフレインして
いたことだけは確かだ。


何?この明るさは――


まるで、この言葉を切り出されるのを待っていたような、
爽やかですらある、夫の物言いに、私は胸がざりざりした。


その昔、一緒に暮らすことになったあの日、
マンションの管理人に、嬉しそうに私を紹介していた
夫の爽やかな笑顔を、私は何故か思い出していた。


どうしてこうなってしまったんだろう。


それは、ずっと持ち続けていた私の問いだった。
この疑惑のずうっと前から。いつも私の中にあった。



そうなんだ―― 私はここを通りたくなくて、ずっと我慢
し続けたんだ。さっぱりと別れの言葉を受け取るに違いない、
夫の軽やかさを見るのが恐すぎて。


「ああいうご主人に限って、いざ別れ話を持ち出されると、コロッと
変わるらしいわよ。」「急にすがって来たりしてね。」


そう友人たちに言われても、私には、妙な確信があった。

夫は未練のかけらもなく、あっさりと別れを認めるだろうという事。



そう思っていたとおりの、夫の態度だった。


私は、この時に、新たに、そしてこれまでの何倍も大きく
傷ついてしまう。それが恐くて今日まで逃げてきただけなのだ。


逃げたところで、「真実」はひとつなのに。




もう、弁護士と話す気力も失せていた。


夫が愛人を匂わせたあの言葉を初めて聞いた日のように、
私はひどく動揺していた。


気を取り直して、弁護士事務所のドアを開ける。

相談するのはここが初めてではない。


弁護士を紹介してもらえるつてなどなかったから、
TVや雑誌で活躍していた女性弁護士を見て、
ある程度名の知れた人なら間違いはないのではないか、
などと勝手に思い込んで相談に行ったのだ。

それが、けんもほろろ、ボロクソに言われ、思いっきり落胆して
帰ってくる始末。


「借金しかないオトコに慰謝料なんて、いくら証拠があったとしたって、
そんなの、絵に描いたモチにすぎないのよ」「大体、その証拠だって
その程度のものじゃ無理ね」


イライラしているのを隠す様子もなく、その弁護士は言った。


この女性弁護士の言うことは間違いではない。いや、寧ろ大正解
なのだ。


私だって、慰謝料が取れる、などとは思っていなかった。
ただ、「俺は絶対に浮気していない」「裁判だって絶対に勝つ。
俺は何もしてないんだからな」と言い続ける夫の鼻を明かして
やりたかった。


公の場で、「あんたの言っている事は間違っている」という事を
認めさせてやりたい、ただその思いだけだったと思う。



今思えば、そういう事を弁護士に求めるのはお門違いなのだが、
そのときは、そんな心情も、「同じ女性だから分かってもらえるの
ではないか」、などという期待をして行ったのである。



そして、一度目の失敗に懲りて門を叩いた、この日の先生――また
しても女性だが――には、「え?私?私に頼むのぉ?」「う~ん、いや
まあ、できなくはないけど・・他の先生でもいいんじゃない?」

という信じ難い事を言われ、「ほんとは早く離婚しちゃったほうが、お金が入るのよ
ねえ。手当てだなんだで、月5万位は入ってくるから。」という言葉を土産に、
これまた、すごすご帰ってくるハメとなったのだった・・



がっくりと肩を落として帰った私を迎えたものは、仰天するほどの
夫の大胆な行動だった。





■もう、シングル気分?



「別居する」「離婚を希望する」

これだけで、夫は、もう、何をしてもいい身なのだ、と
解釈したのだろうか?


そう思いたくなる位の変わりようだった。


それまで、店で使うつり銭を、私が仕事の合間に両替して
セットして、夜テーブルに置いておいたものを、帰宅した夫が、
店の売上金と伝票、領収書類と引き換えに持って翌朝出る、
というのが開店して以来のパターンだった。

それが、別居の話をした翌朝、夫は突然、「もう、店の事は一切
やらなくていい」と、帳簿から何から、一切合財をごっそり車の中に
積み込んだのだ。


「これから店に関することには口を出すな。もう、お前は協力者じゃ
ないんだからな。」



その翌日は店の定休日。この日、夫は以前からの知人の
個展に出かける事になっていた。


その「知人」こそ、かつて、店のバイトの女の子に
「いやあ、お母さんたちにもちろん内緒で」会って、
「してくれバージョンだったから、しても良かったんだけど」
などとほざいた、あのY子の母親なのだ。


その個展に行くという。


「今日は遅くなる。」

(いいだろ、俺が何をやったって、関係ないだろ、
もう夫婦じゃないんだから。)


まるでそう言ってるかのような、物の言い方、態度だった。




今まで、搭載していても、あまり意味をなさないでいた
位置検索PHSだったが、それが、効力を発揮するときが
やってきた。


今日は個展の最終日である。終了後、食事や飲み会も
あるのかもしれない。


その後の行動はどうなのか。


夫はどう出るのか。


子供たちにリビングでTVを見させている間、私は2階のTV
の画面を食い入るように見つめていた。パソコンを持っていなか
った私が位置情報を見れるのは、インターネット用に購入した
機材をTVに繋げてようやくなのだ。

しかし、プリントはできないので、記録に残したいときは
いちいち、電話で接続してFAXする、という、非常に手間の
かかるものだった。



夜8時 個展会場付近に表示

夜9時 個展会場 動かず

夜9時半 移動開始!


○○街道 ―― どこへ?

○○通り――  帰ってくる?まさか?

○○2丁目付近―― 地元の駐車場付近・・

夜10時 ○○付近 ―― 飲み屋とホテル、両方にかかる
際どい場所に表示が点滅・・


私は・・私は、飛び出して行きたかった。

家から自転車でも10分強で着く場所なのだ。


だが・・やはり、できない。


ホテルなのか、飲み屋なのかわからない。
本当にホテルの出口から出るところを写真にでも撮れなければ
証拠にはならない。


飲み屋から出たところで会ったとして、言い訳なんていくら
でもできるのだ。

尾行?面が割れていてやるのは、かなり難しい。


私は、決定的なところを押えられる自信よりも、夫と出くわした
ときの恐怖の方が大きかった。


結局、この場所には、22時から0時半まで、約2時間半ほど
滞在したようだった。


そして、その表示は駐車場付近へ変わり、夫の店がある場所へ
移動し、そして、家に帰ってきた。




相手は誰なんだ?Y子なのか?韓国女性のウンソなのか?

あの位置検索ができなかった時間に行っていた場所は
一体どこなんだろうか?本当に個展に行ったのだろうか?



やはり、位置検索だけをしていても、その現場を確かめる
事ができなければ、意味が無かった。




この日以降、夫は店を終えたあとに、平然と遠出をして帰って
くる事が多くなっていった。


私を殴り、別居を言い渡され、離婚を申し出られているというのに、
まるで、シングルになる事を待っていたかのように、好き勝手に
動き回っている夫の行動に、私はどうしようもない怒りを覚えた。


この怒りこそ、優柔不断な私が、夫から離れるために必要な
原動力となったのだった。

その日まで、私は、ただひたすら、夫の疑惑を解明するために
走り続けていた。


私たち夫婦がどうなる、とか、この先、家族としてどうしていくのだ、
とか、そういった事に意識が行く余裕もないほど、夫の行動調査と
追跡と分析とに明け暮れた日々を過ごしていた。


今までに無いほどの強烈な夫の逆鱗にふれ、暴力という現実を前
にして、初めて、今までと同じような生活はもう送れないのだ、という、
ごくシンプルな事実に気づいたのだった。


恐怖。


あの夫と同じ家に居なければならない恐怖。


まずそれが大きかった。


もともと、肉体的暴力を振るった事のない男であったし、
あのような、ある意味、夫にしても、追い詰められた挙句に
取った手段でもあったろうから、これが連続して起こる、
とも考えにくい状況ではあった。


だが、それは理論的な解釈であって、現実として、リアルに
恐いのはどうしようもなかった。



私の母が傍にいても殴った、いや、止めようとした母にすら手を
上げた、という事実がいっそう恐怖を募らせた。


「キレたら何をするかわからない」


泥酔してたから?しかし、「酔っていなければ大丈夫だ」という
保証なんて、どこにもないし、また信じられなかった。


正直、この時点でもまだ「離婚」という事を具体的に考える
には至らなかった。


ただ、とにかく、この家には居られない。


実家の母だって、いつまでも滞在してもらえるわけではない。



母が帰ったあとの事を考えると――
それは、考えられない、と言った方が近い。



「この家を出るしかないね」


最初に切り出したのは、母の方だった。


今までの経過もすべて聞いてきて、その目で私達夫婦の
修羅場を目の当たりにした母の、当然の判断だろうし、
何より、こんな状況のまま、娘と孫をこの家に置いて帰るなど
とてもできなかったのであろう。



「どこか借りて、そっちに移った方がいい。後のことは
それから。どうにでもなるから。」

母はいつでも行動が早い。



大きな後ろ盾を得て、私は顔の包帯も取れないままの状態で
不動産屋のドアを叩いた。



「どうしたの、それ?」

一件目で出てきた経営者と思しき中年女性は、私の顔をまじまじと
見て、いきなり、こう言った。


「あ、これはちょっとぶつけまして・・」


「そうなの?」

不審そうな表情を隠そうともせずにじっと私の顔を見ている。


「で、いくら位のとこ探してるの?」


「2DKで○万くらいです。」


「え?このへんで?○万?無いわねえ。
このへんじゃあ、それは無理だわね。」


駅前の店に入ったのが間違いだったのだ。
そう自分に言い聞かせて、そこを後にした。


その後、何件、このやりとりを繰り返しただろうか。


あきらめた頃に、ひなびた小さな不動産屋で
ようやく1件の物件を最後に見つけた。


そこは私の顔の事も聞かなければ、母子家庭という
ことで障害になるような事も何もなかった。


夫の疑惑が発覚してから、仕事どころでは無かったが、
それでも辞めずに続けて居た事が、こんなところで
役に立ったのだった。

「母子家庭であることより、収入ですよ、問題は。」対応して
くれた男性が言った。


私達はすぐにそこと契約をした。

あとは、夫に切り出すだけだった。


だが、あの暴力のあった晩以来、私は夫と一切
話をしていない。顔も極力合わせないように行動していた。


夫と向き合って会話をする?

考えただけで血の気が引いていく気がした。


とにかく、夫の声を聞いただけで具合が
悪くなる。冗談のようだが、本当にそんな
状態だった。


母が私の代理人となって、夫に意思を伝え、
夫の伝言を私に伝える。そういうシステムが
出来上がっていた。



「このままじゃ恐くて私は帰れません」

「とにかく、あの子たちは別に住まわせます」

「あの子は別れたい、と言っている」

そう言うからね、と母は私に念押しした。



―――― 私は、この期に及んでも、この「別れたい」
という言葉を、自分の口から言い出すことはできなかった。



ここまで来ていると言うのに、「自分たち夫婦が別れる」と
いう現実を受け止める事が恐くてできなかったのだ。



―――― 未練なのか。愛情なのか?これから一人で
やっていく、という事への恐怖なのか。


今、目の前に横たわっているこの現実から逃げ出したい、
意気地なしで自信の無い、情けない女がそこに居た。


だが、もう、破綻しているのだ。元には戻れない。



母が夫に正式に別居を切り出す話し合いを持つ頃、
私は私で、弁護士へ法律相談をするために出かけていた。



弁護士の元へ行くその電車の中で、携帯が鳴った。

夫からだ。母との話が丁度終わった頃である。



電話に出ずにいると、留守番電話に変わった。

「メッセージ録音中」という表示が点滅する。




それが終わるのを見届けて、私は静かに
「留守録再生」のボタンを押した。




夫の声が――聞こえてきた。





病院へ着くまでの間にも、何人かの人に凝視されたが、
何だか、そんなことはどうでも良かった。


人間、どうしようもないところに立たされると、案外、
開き直って、大抵の事は気にならなくなるから、不思議だ。


普段から、この位の開き直りがあったら、人生、もう少し
楽だったろうに。(笑)



受付のガラス扉を開け、中へ入る。

平日の午前中のせいか、人が少ないのは好都合だった。



受付でも、単なるケガとは思えない、私の顔の異様な状態を
一瞥したものの、でもこの程度のものは見慣れていると言わん
ばかりに淡々とした対応だった。


診察室へ入ると、恰幅の良い医師がこちらを見た。


「どうしました?」

「殴られまして。」

「誰にですか?」

「・・・夫に、です。」


「夫に殴られる」――言葉に出して言ってみると、なかなか
屈辱的なことだったのに、今更ながら気がつく。


今まで、外部の人間には知られずに、あの家の中だけで
繰り広げられていた、おどろおどろしい夫との闘いが、
なんだか表に引っ張り出されて、日の目を見たような、
そんな感覚だった。


簡単に経過を話した後、レントゲンを何枚か撮るために
部屋を変わった。


出来上がったフィルムを見ながら医者が言った。

「う~ん、これで見る限り、ひびは入ってないと思うけどね、
うちにある機械じゃ、これ以上の角度から撮るのは無理なんだ
よね。紹介状書くから、○○大学病院行って撮ってもらって。」


「あの、診断書取っておいた方がいいですよね?こんな場合。」
私は同意を求めるつもりで何気なく言った。


「何のために?」
医者がムッとしたように言った。


「あ、あの、例えば、裁判とかになった場合に必要ですよね。」


すると、その医者は、突然激昂して、こう言った。

「本当に、そのダンナが殴ったのかどうか、警察の立ち会いが
なければダメだろうっ!」

「俺に何と書かせる気なんだ!」

「?」

私には何故こんなに、この医者が怒るのか、まったく
理解できなかった。

そんな見当違いの事を言ったというのか?
ただ、顔の状態を証明してくれれば良い話では
ないのか。

顔を真っ赤にして怒っている医者を見ていると、
過去にトラブルがあったのか、それとも、この医者
自身が拘わった経験があったとか・・・

などと邪推したくなるほどの興奮ぶりだったが、

この医者ではなく、紹介された病院の方で診断書は
貰えば良い訳なので、

「○○大学病院ですね、わかりました」と話を切り替え、
紹介状を書いて貰って、私は、さっさとこの病院を後に
した。


ところが、翌日、この紹介された大学病院へ行くと、
これまた、信じ難い事が待っていた。


紹介された先は整形外科。
さんざん待たされ、ようやく順番が来て診察を受け、レント
ゲンを撮る段になって、受診すべきは、整形ではなく、
形成外科だったという、信じられないような事が判明。


改めて形成外科の前で待つことになったのだ。


あきれて物も言えなかった。
イージーミス、というより、ずさん過ぎる気さえした。


素人なのは患者の私だけで、受付や看護士の段階で
気が付くべき事柄だろうに。
医者を2人も介してこれとは・・・という思いだった。


そして、診断書には以下のように記載された――

「顔面打撲。 右頬部打撲に隆起変形を認める」


医者はこう、付け加えた。


「6ヶ月経った状態が最良の状態です。それ以上、
元には戻りませんから。」

「手術で傷跡を治すとかできないんですか?」

「この隆起は皮膚の中の状態によるものです。ですから、
皮膚の上からの施術では無理です。口の中からこうやって
切って行って・・・」

「え?口の中から?うう・・・そ、そこまではちょっ
と・・。」


ううむ。6ヶ月経っても、この右頬の隆起がそのまま
かもしれないのか・・


どうせ顔の一部を治すなら、いっその事、「綺麗」に
してしまうか・・(笑)などど、半分、本気で考えていた
私の計画は、あっさり崩れたのだった。



殴られて2日経過しているので、あとは腫れが引くのを
待つしかなく、冷やす必要も、包帯をする意味ももう
なかったが、とにかく隠す道具としては必要だった。


顔から、特大版バンドエイド位の大きさの絆創膏を剥がす
ことができるようになるまでには、なんと2ヵ月を要した。



翌朝、私は子供の学校の旗振りで、通学路に立っていた。


まだ顔の隆起もはっきりあり、眼帯と包帯も生々しい頃
だった。


「おはよう!」「はい、気をつけて行ってらっしゃい!!」


旗を振って誘導しながら、威勢良く子供たちに声をかけ
るのだが・・


眠そうに歩いてくる子も、友達とのお喋りに夢中な子
たちも、みな、私の顔が目に入ると、固まってしまう
のだった。


びっくりしたように私の顔を見つめて行く。
中には、振り返り、振り返り、何度も見ていく子まで
いた。


「ご苦労様です」と、係りのお母さん達に声をかける
小学校の先生も、遠くから私を認めると、ぎょっとした
ようにこちらを見るのだった。


私は旗を振りながら、自分の身の上に起っていることが
いったい、どういう事なのか、何を意味しているのか、を
考えていた。


夫が吐いたあの言葉を聞いた日から、こうして殴られるに
至った、この6ヶ月の出来事を思い返していた。


やはり、何かのシナリオの通りに事が運ばれて行くような、
そんな感覚がどこかにあった。

何かに背中を押されるような・・


哀しいとか、怒りを感じるとかではなく、淡々と何かを
決めていく、そんな感じだった。



――そして、それから1週間後。


私は顔半分を眼帯と救急絆で覆ったままの状態で
部屋探しを始めた。