ジャンショーグンの農林水産業
兵器は無くとも国は滅びないが、鍬や鋤が無いと国は滅ぶ。これは農林水産業の振興と、次代の農林水産業後継者に贈る自分からのメッセージです
日本の農業を活性化させる会・東京都支部長

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飫肥天の基礎知識

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宮崎県の郷土料理には、自分がこよなく愛するものが3つあります。1つはチキン南蛮、2つはレタス巻、そして3つが飫肥天ですが、この飫肥天は宮崎県日南市飫肥地方の郷土料理で、飫肥といえばNHK朝の連続ドラマ小説・わかばの舞台になった伊東家の城下町です。
俺は宮崎に行く度に、この飫肥天を食べるのですが実に美味極まれりもので、ついには自分で作っている有様です。そんな美味しい飫肥天の作り方を、今日は皆さんに教えましょう。

・材料:いわし等の白身魚
・作り方
①イワシを洗いながら手開きして骨、皮を除く。
(ここから後は、味がおちるので水につけない)
イワシの身をまな板の上で、包丁の背で細かくなるまで叩く。
叩いた身をすり鉢に入れてよくする。

②別のすり鉢ですった豆腐(魚のすり身の1/3くらい)を入れてさらにする。
この時、すればするほど身がこなれ舌触りがよくなる。

③すりあがったところで、塩を少し入れてさらによくする。
塩を早くから入れるとすり身が固まってうまくすれない。

④黒砂糖と醤油で味付けをする。

⑤できあがったつみれを手水をつけた手のひらを合わせた中に入れて、上下に振り、形を平たく整える。

⑥油で揚げる。

実に簡単でしょう。イワシと豆腐があれば作れたも同然です。
朝飯はフレンチトースト派だった俺が、飫肥天の作り方を覚えてからは毎朝、飫肥天と白米・澄まし汁を朝飯で食うほどになりました。
この飫肥天があまりに美味しすぎて、メシが2杯3杯と増え、体重増加が悩みの種ですが、こんな美味いものを作った飫肥天を攻めるのも罪。しかし、マジ美味いのもこれ事実也。

ヤギの基礎知識

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山羊の最古の故郷はアジアであって、第三期の中新世に"地中海"が陸続きだった事を利用して、アルプス地方やスペインまで分布したと言われています。往時、遊牧民族によって最初の乳獣となり、今日でも山羊から乳を得、また肉・脂肪・毛・皮革等の供給を得ています。
日本には中国・韓国から沖縄県・長崎県・鹿児島県に"肉用山羊"が入り、繁殖普及されて在来種いわゆる"芝山羊"となったようです。
乳用の山羊は、寛永年間ペリー提督が来朝の際"飲用として携帯した"のが始まりとされています。その後、1878年松方正義がフランスから乳用山羊を輸入したのが、日本における乳用山羊の最初と言われており、以来搾乳業者が輸入を行うようになり、山羊乳の販売を始めた事により、乳用山羊飼育に関する関心が高まりましたが、東京などの大都市住民への栄養食の供給と言う性格が強かったようです。
その後、乳利用の奨励策として、政府もスイス・イギリスから多頭数のザーネン種(乳用山羊の代表種)を輸入するに及んで、乳用山羊への関心が全国的に高まり、大正・昭和初期にかけて"乳用山羊の飼育"は一種のブームになるに至ります。
さらに、第二次世界大戦時において、乳用山羊飼育は飼料自給並びに生産物の自家消費に適合した畜産形態として発展し、重要な食料供給源となります。

戦後、我が国の飢餓を救うためにアメリカ救済事業団体のララ委員会を通して、乳用山羊が寄贈される事となり、1947年から49年にかけて、合計2175頭の山羊が導入されました。
寄贈された山羊は、ザーネン種が最も多く874頭・アルパイン種450頭・トッケンブルグ種356頭・ヌビアン種229頭・雑種266頭で、その約半数が厚生関係施設に、その他を農林関係の学校、農家および国の種畜牧場に配分されます。
しかし受け入れた山羊は、飼料の不足、飼養管理の不適切、腰麻痺、肺炎などの疾病等により漸次減少し、1950年代後半にかけてはララ山羊。ことに有色種は姿を消してしまいます。

戦後、自給食料資源としての山羊乳の生産はその真価を発揮し、"有畜農家特別措置法"の制定による政府の奨励策もあって、1950年代後半から60年代前半にかけて飼育頭数もピークに達し、飼養頭数においても総農家戸数の10%(606千戸)にも及ぶ普及ぶりを示します。しかし、乳用山羊の経営形態は、自家消費型が圧倒的に多く、商品生産型は、都市近郊で見られた一部の山羊飼育農家を除いて殆ど発展しなかったようです。
その後、食糧事情も好転し、1961年に"農業基本法"が制定された以降は、我が国の農業生産の経営構造は大きく変容しました。畜産の近代化に伴い、牛・豚・鶏の多頭羽飼育が推奨され、自給的性格の強い乳用山羊の飼養頭数は激減し、乳用山羊飼養形態は急速に衰退していきます。
現在、乳用山羊は長野県・群馬県と東北地方を中心に飼養され、その山羊乳はほとんど自家用として利用されているに過ぎませんが、チーズ加工等地域活性化と結びついた新たな取り組みも見られます。
1970年代後半以降は、山羊肉の供給不足により、山羊産地より福岡県・熊本県を経由して、その主な消費地である奄美・沖縄地方に乳用山羊が出荷されており、従来の肉用在来山羊より肉量が多い事もあり、乳用山羊は新たに"肉用家畜"としての価値を高めつつあります。

ヒツジの基礎知識

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最初に、ヒツジと言う動物を知っていただくべく"ヒツジの基礎知識と題し、ヒツジについての基礎的な知識を説明します。

ヒツジの家畜化は野生動物から最も早く家畜化されたもので、その起源は1万年も前と言われています。
これまで地球上に生息する野生のヒツジは、亜種を加えると40種類以上と言われていますが、そのうち種として主なものは、中央アジア高原に位置するアルガリ・欧州南部地方に生息し、今もなお地中海のサルジニア・コルシカ島に棲む山岳種のムフロン・トルキスタン地方からイラン・アフガン・インド・パキスタンにかけて広汎に生息する草原羊のユリアル、北アフリカ西部の山脈にかけて生息するビッグホーンなどがあげられます。
現在、世界で飼われている羊の種類は、地域の土着羊とそれらの交雑種を合わせると約1000種類と言われています。そのうち、代表的なものは200種です。
これらの家畜羊の祖先がどの野生羊かであったかについては、いろいろな説がありますが、一般にはアルガリ・ユリアル・アルカール・ムフロンなどが家畜羊の先祖と考えられ、北米のビッグホーンはこれまで一度も家畜化された事が無いと言われています。

現在も比較的多くの野生羊が生息する地域では、ムフロンを除いては、中央アジアのヒンズークシ山脈・天山山脈・コンロン山脈・ヒマラヤ山脈を含む広い高原あるいは山脈地帯です。
最初に家畜化が行われたのは中央アジアの高原地帯とあると推定され、中でもカスピ海からイラン高原地帯が最も早く家畜化が行われた地域の一つと言われています。

野生羊が生息している地方は緯度が30~45度で、標高は3000m以上の高原と山脈地帯です。年間の季節の変化が激しく、春から夏にかけては野草が多いですが、秋には減少し、冬には殆ど無くなり、飼料条件の厳しい所で生息しています。
このような環境の元に効果的に適応したのが、羊の優れた飼料の利用性で、風諭の飼料不足に対しては産脂性、また季節の変化に伴う野草の増減については羊の繁殖性と言った特性を備えています。
こうして、時が過ぎるに連れ、羊は狩猟対象動物から家畜化され、現在は毛用・毛肉兼用・肉用・乳用・毛皮用と5タイプの羊が家畜化され、家畜として飼育されているのに至っています。
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