安直に付けられる病名と弊害 | No panda,No life ★ OSAKA

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先日ネットのニュースで「新型うつ病」という見出しがありました。

これまでの鬱病(世間一般に認識されている鬱病)は、家から出ずほとんどの事に無関心になるため、対人関係にも影響を及ぼし、勿論仕事も出来ないか、それに等しい状態になります。
それに対し新型うつ病は、職場ではやる気が
出ず気持ちが落ち込み、休みの日やアフターでは普段通りに明るく生活できるというものです。

こんな風に文字で表すと、「それって只の我儘」「やる気がないだけでしょう」等のご批判があると思います。
しかしこのことは当人にとっては非常に苦しいもので、何故普段どおりの生活ができないのかを非常に悩んでおられるのです。

会社としてはこの様な症状の方に、当然重要なポジションは与え難いでしょう。
現にこの様な症状を訴えていた方が、職場復帰した際上司から、「お前やる気があるのか?辞めてしまえ。」と罵声を浴びせられた結果、退職された方がいます。また別な方は、罵声を浴びせられたことに対して憤りを感じ、法的手段に訴え、裁判で損害賠償請求を勝ち取ったというケースもあります。

さて、此処で皆様に考えていただきたいのです。

私のところには様々な悩み(神経症)を抱えて来られるクライエントがいらっしゃいます。勿論前述のような方もおられます。

何処までが神経症で、何処からが我儘なのでしょうか?

これは非常に判定の難しいものだと思います。
ですから、本人は勿論の事、医師にも判定は難しいのではないでしょうか。ましてや、司法が判定をすることなど、本来はあってはならないことだと思っています。
前述の損害賠償請求等は、新型うつ病での休職を上司が我儘だと決めつけ、そういった上司の行為がパワーハラスメントとして司法に捉えられたことによる結果だと思われます。

現時点での医学的判断で、新型うつ病というものは「そうなのではないか?」とか「多分そうであろう」という程度のものです。
それをパワーハラスメントとして司法判断を下してしまえば、司法が認めた病気ということになってしまうのではないでしょうか。

勿論、発症されているご本人とすればとても辛い事だと思うのですが、医学的根拠がとても曖昧な状態で、医師が病名を付けるのはとても危険なことだと思います。
しかもそれに輪をかけるように司法が判断を下してしまえば、立派な病気として一人歩きするのは目に見えて明らかです。

かつては私自身が鬱を発症していましたので、欝の辛さも充分理解しているつもりです。
でも正直なところ、私の理解力がないからなのか、「新型うつ病」というものには疑問を持っています。

私の所に来られるクライエントの方にも、よく似た症状、若しくは同じ症状を訴える方がおられますが、私がその方々と充分時間を掛けてカウンセリングをした結果、その多くがほぼ我儘、嫌々病(これは私が勝手につけた病名)だと思っています。
そして、その症状を緩和する方法や、脱出する道筋を話し合うことで楽になられますし、実際職場復帰に殆ど時間を費やしません。
ですから私が思うに、「新型うつ病」は鬱予備軍ではないかと思っています。
だからと言って、予備軍全ての方が鬱に移行するわけではありませんし、症状の幅も非常に広いのではないでしょうか。

御自身が欝や神経症の経験も無く、見た目と聞き取りだけで判断をすることは前述しましたようにとても危険です。
但し、長年多方面から観察をされてきた「鬱」に関しては、医師による判断が可能だと思いますし、正確な判断をしていただけると信じています。

過去ブログにも書きましたが、私がカウンセリングを始めるにあたり、果たして私のようなものがセラピストをしていけるものかがとても不安でした。
そのために色々な施設に神経症を患ったふりをしてカウンセリングを受けに行きましたし、勿論医師の診断も受けました。
その時、私が付けられた病名は施設ごとに違っていて、「鬱」「パニック障害」「不安神経症」等でした。
そしてセラピストの方には何度かカウンセリングを受けに来るように勧められ、医師には薬を処方されました。

本来こんなことをしてはいけない事は充分承知をしています。
しかし、どの施設でも私がついている嘘の症状を見抜けなかったのです。
という事は、医師やセラピストが症状を見て判断するのではなく、ある意味患者の言いなりに病名を付けている感が否めません。
正直なところ神経症に向き合うことに不安になりましたが、それと同時に自分が何をしなければならないかの方向性も見えました。

私が今回何を言いたいのかと申しますと、クライエント(神経症を抱えておられる方)も、それを判断する側ももっと多方面から状況を見て病名なり、症状の判断をすべきではないかと言うことです。
でないと、これからますます変わった病気と呼べないようなものが病気として一人歩きをしてしまう怖れがあると思っています。




ほな!