親鸞如水のブログー白血病との縁 生きて半分生かされてもう半分ー

親鸞如水のブログー白血病との縁 生きて半分生かされてもう半分ー

2013年11月非定型慢性骨髄性白血病診断。ハイドレア、グリベックで部分寛解後、14年11月急性転化し急性リンパ性白血病で入院。抗がん剤治療のあと15年5月に造血幹細胞移植、8月末退院し自宅療養。16年6月から職場完全復帰。白血病の治療と生活のナウを綴ります。

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移植という事が、白血病だったことが、日常からは意識されなくなった。よいことでもあり、ダメなことでもある。病気の視点からこの一年を振り返る。
5月でLTFU(ロングタームフォローアップ)が終わる。この3年抵抗力の低下からくる帯状疱疹や左目網膜炎症などをのぞき長期GVHDの発症はない。医師からは再発リスク低いと。
腎臓のクレアチニンは1.7で高止まり。腎臓機能は通常の7割程度。左目はずっと霞がかかったような見え方、これもこのままでしょうと。でも日常生活に支障はない。脚の攣りが時々。この程度であの大病が乗り越えられたと見れば幸せに相違ない。2013年11月a-cml発症、2014年11月amlに急性転化、2015年5月骨髄移植、8月退院、2016年4月職場復帰。
淡々と書けばそれだけのことなのだが、書ききれない文脈がある。
俺は生き残ったんだ、自分は頑張ったから死ななかったんだ、自分は運が良かったんだー
そう思ったことはない。
10月に白血病の患者会の講演を聞いた。ある医師は、発症の理由はわかっていない、たまたまの偶然としか言えませんと。科学的な確率論でしか医師は言えない。でも本人にとっては0か1か。起こるか起こらないか。起きた以上は必然です。
白血病になったことも、そして今ここにいることも全て必然と。
必然の意図はどこにあるのか。
天 とか 他力みたいなものを50年以上の中で今更ながら感じている。
わたしは生かされ残った。生き残ったのではない。
わたしは他力により死ななかった。救われた命。
天が生きよと命じているなら、これからをどう生きるか、否、生かされるか。
星野源三郎の 君たちはどう生きるか がある。
10代のテーマには相応しいかもしれない。
でも 今 は 
きちたちは なぜ生かされているのか?
のほうが 正しい質問と思う。
自分は生きる、自分で生きる、自分を生きる、自分だけ生きる、自分、自分が前に出てくると、なぜ自分はいきているのか?自分はどう生きてゆけばいいのか?そんなつまらない質問しかうまれない。

なぜ 自分はいかされたのか  まだまだ 旅は続きそうです。天は まだまだ考えが浅い もっともっと 考え続けなさい  考え続けることです と


左目を手術しました。通常は日帰りですが病歴から大事をとって1泊になったようです。30分くらいでした。白内障をこの歳でなるのはステロイド、放射線、ブドウまくなどそれも当てはまる因子なので仕方ありません。
右目も今後なるかも。左目はだいぶ見えるようになりました。
昨年の12月からのご無沙汰です
長期gvhd に苦しんでいるのか または なんとか生きてるのかーーー後者です。
以前の会社で引き続き勤務中です
6月にはLTFU も無事終了。移植患者の中では非常に良好な経過を辿っているとのこと
2ヶ月に一度の定期検査と腎臓検査、サイトメガロウイルス網膜炎と白内障があるくらいです。腎臓は健常者の40%.白内障は近々手術。。。とこのくらいで済んでいるのは幸せ者と言えるのかも。。。。
脚の攣りは寝てるとよくあります。トクホンは必需品。クレアチニン1.8なので塩分の体内バランスが取れないのだと思います。この体を大事にして一生付き合う、いかされた体を大事に使う ということでしょうか。
移植から2年が経過し再発の可能性は非常に低いと主治医。。。
3月は石垣島、テニスは再開したが以前100とすると30.5月は四国遍路無事ケチガン、8月はマレーシア旅行と この程度はこなせる体になりました。体重は63キロと病気以前にもどったが筋力はかなり落ちてます.贅沢は言わんことです。
ではまたーーーー

2016年も終わりです。6月からは会社復帰。感謝。感謝です。

2017年は55歳。サイトメガロウイルス網膜炎、帯状疱疹いろいろありました。油断大敵ですが、これからも前に進みます。