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「私の生きる道」をテーマに感じた事、日々の出来事を自由に書いて行きます
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原発による偏見について
昨日会社のメンバーと私の地元福島に救援物資を届けに行ってきました。
いわきにある中央台南小学校に行き、避難所にいるスタッフに救援物資を届けその後小名浜に行きました。
いわきは、東京から近いという事もあり物資は足りている状況で、何とか3食食べられていると聞き安心しました。
やはり宮城、岩手が物資が足りておらず、未だに食べられても2食という事でしたので引き続き何か出来ればと思います。
その後実家の郡山に行き、地震後初めて家族と会い元気な姿を見ることができひとまず安心。
その後、宇都宮に嫁いだ後輩に会いに直行。
後輩は、5月に結婚式を挙げる予定でしたが地震の影響で7月に変更になりました。
結婚式場が好きな食材(自分のおばあちゃんの作った野菜など)を使って料理を提供する場所で、
当初地元福島の食材を使うことを予定していたそうです。
しかし、ある出来事をきっかけに今福島の食材を使用したら皆が嫌な思いをするのではないかと思い悩み私に気持ちを打ち明けてくれました。
ある出来事とは、彼女の知り合いが横浜に行った際にラーメン屋に入ろうとした所、車の福島ナンバーを見た店員が「福島の方は入店をお断りしている」と一言、また別の方は石を投げつけたり・・・。
その話を聞き、同じ日本人でそんな人がいる事が悲しくて悔しくて涙が出ました。
確かに福島は原発の影響を受けており、今後そのイメージは付きまとうのは仕方がない事だとは思います。
しかし、それによって差別や偏見をするのは間違っていると私は思います。
海外からの温かい言葉、祈りの声が聞こえてくる一方で同じ日本人がなぜ・・・言葉が出ません。
一日でも早く皆が心から笑えるよう祈っております。
実家の福島の様子
久し振りのブログ更新がこのような形となってしまい残念ですが、
現状をお伝えいたします。
現在東京に住んでおりますが、私の実家は福島の郡山にあり心配の毎日を過ごしております。
地震が起きた時は、東京が震源地と思う位大きな揺れでオフィスから逃げるのに必死でした。
外に逃げ、一息つき震源地を調べると三陸沖(宮城)しかも震度7。
実家の福島も震度6と知り、一気に青ざめてしまいました。
何度家族に連絡をしても繋がらず、悪い想像ばかりしてしまいました。
振り返る事2ヶ月前。正月に実家に帰り母親と喧嘩。
口も利かずに東京に戻ってきて、そのまま連絡も取らずきちんと謝る事もしなかった日々。
今度連絡すればいいや、いつか謝ればいいや、そんな風に思っていた中の大地震。
家族と連絡が取れず、もしこのまま会えなかったら・・・と考えると後悔で涙が溢れてきました。
しばらく放心状態でしたが、兄から無事だとメールが来てホッとしました。
今は毎日電話で状況を聞いてますが、水が出ず、また食料もなく、ガソリンももう少しでなくなるそうです。
原発の恐怖に襲われ、万が一の場合どこに避難するか考えているとの事でした。
私も実家に帰りたいのですが、交通手段がなく、ただただ東京から祈るばかりです・・・。
郡山でも、こんなにヒドイ状況ですので、津波や原発の影響をもろに受けた地域を考えると胸が痛いです。
今自分に出来る事を必死に考えて行ければと思います。