晴レノチスピリチュアル

晴レノチスピリチュアル

売れない占い師が日々の苦悩を綴るよー

対面・電話鑑定30分4000円、
メール鑑定一件3000円。
術や式神の派遣については応相談。
ご依頼や、詳細に関する質問等ございましたらコメントからご連絡ください。
Amebaでブログを始めよう!
先月辺りからココナラ をはじめた。

登録だけはずいぶん前にしてて、
「えー、500円かよ・・・」と長らく敬遠していたんだけど、
まぁ無料で宣伝させてもらえるって考え方もあるな、と
メニューやらアイコンやらチマチマと整えてスロースタートを切ったわけ。

んで最初は霊感タロットでーすってカッコつけてたんだけど、
そゆことしてると競合多くて埋もれるし、何より趣味に合わない。

ぼくが前面に押し出したいのはモラトリアムとかルサンチマンなわけ。
昼すぎくらいに「ニートの朝は早い」とかツイートしたいわけ。
ブラック企業勤めの死んだ魚の目をしたプログラマに「固定収入があるとかリア充かよ・・・」とか言いたいわけ。

そういうわけでサービスタイトルを2chのスレタイみたいにして、
プロフィールも友達がいなかったとか友達がいなかったとか、
あと友達がいなかったとかそういうことを書いてみたらもう入れ食い。
登録して半年くらいロクにクリックもしてもらえなかったのがウソみたい。

ナンボ占いゆーてもオンラインコンテンツであるってことに変わりはないのね。

で、枯れ木も山の賑わいとメニューを追加して余技の結界術 を書いてみたら、
こっちが予想外に売れている。ヤバイ。
占いの有料枠購入はほとんどないのに、結界術のほうはコンスタントに売れ続けている。

しかも評価欄のこのヨイショっぷりはどうだ。
誰がどう見ても複垢の自演乙である。
如何にブッダの使徒を自認するぼくでも天狗にならざるを得ないぞこれは。


そんなふうに考えていた矢先にようやく、「悪い評価」が1件ついた。
効果が無かった、と書いてあるけど、
効果のあるなし以前にトークルームでのぼくの書き込みが悪かった。

もっと色々書かれていてもおかしくなかったところをあの一行で済ませてくれた依頼者さんには、
感謝&平謝りしたい。ありがとう、ごめんなさい。

もしも次の機会があったなら、もっと真摯にやらせていただきます。
あなたのおかげで、自分の思う正道に立ち返ることができそうです。

旅行いったわけ。日光に。栃木県なんだけど。

行きは特急で一時間半くらいなんだけど、
帰りに在来線乗ったら4時間くらい掛かったんだよね。
遠いね、栃木。

遠いけどいいとこだったよ~。つぎはもうちょっと足を伸ばして那須まで行きたいですな。

でも書きたいのは旅行のことじゃないわけ。
帰りの電車ん中でみたバカップルのことなワケ。

向かいの席に座って、女性は男性にしなだれかかり、
男性は覆いかぶさるようにキスか何かをしているようだった。

まぁ普通に不愉快な光景だよね。

普通の人なら不愉快だなぁと眉をひそめて終わりだよね。

でもぼくはちょっと吐き気を催した。

何かこう、ひどくグロテスクなもの、
ホルマリン漬けの解剖標本とか、ウジの湧いた汚物とか、
そういうものを見た気分になったんだよね。
ガチでオエッとえずいたんだ。

不快な気分のたとえとして「反吐が出る」って表現があるけど、
ほんとに出しそうになるのは自分くらいじゃないかと思ったよ。

で、どうしてそこまで拒絶反応が出たのかちょっと考えてみたわけだ。

バカップルっていうのは人目を気にしない。
気にしないで公衆の門前でイチャつく。

日本では伝統的に、そういうのは秘め事・慎むものとして、
屋内、というか自分の家とか部屋とかプライベートな空間で、
夜に、明かりを消して、声や物音を極力抑えて行うものだった。

時代や文化風俗が変わっても、その手の「民族の肌感覚」というものは簡単には変わらないもんだ。

だから今でも、まともな良識を持った日本人ならそういうものは人に見せない。

バカップルのなにがグロテスクかって、
「イチャつく」という行動そのものではなくて、
共通認識として隠して然るべき行為を他人に見せつけて平気なその神経、
その精神性そのものがグロテスクなんだと思う。

「他人が不快になるようなものを見せたがる」という点で、
露出狂の痴漢とか、ツーチャンネルにグロ画像貼ってる厨房とかわんねぇってことですよ。
もっというなら死体から内臓ひっぱり出して街灯に飾ってた切り裂きジャックと同レベルなワケ。

そういうやつらが人間のふりして電車乗ってたら、
そりゃ繊細なアタクシは脂汗を流して吐き気を我慢するハメにもなりますよ。

だからホント頼むよお前ら、電車ん中でイチャつくのやめてくれよな。
マジで辛いからさ。
ムカつくとか不愉快とかじゃなくて具合悪くなるんだよ。俺が。
ホントに吐きそうになるんだよ。シャレになんねぇんだよ。

どうしても吐き気を耐えられないときは、てめぇらの顔面にぶちまけてやるからな、こんちきしょう。
先週は運良く一人のお客様に来ていただけたわけだけど。

なんか占いがダメダメだった。


いや占いはちゃんとやったよ?
真面目にやったし当たると思うし。


でも、じゃあ何がダメって、泣いてしまった。
お客様の心境がカードから伝わってきて泣いてしまった。

ぼくは「貰い泣き」というものを良いことだとは思っていない。
他人のフンドシで相撲を取るような、恥ずべき行為だと思っている。
まぁ普段から涙もろくてしょっちゅうやってるんですけど、貰い泣き。

そういう品のないことをしてしまったと思うのがまずひとつ。

さらにダメなのが、泣いたのはこっちが先ってこと。
お客様が泣いてないのに、カード引いてるぼくのほうが先に泣き出した。
お客様が泣いたのは、ぼくにつられて。
あ、お客様が泣くのはいいんです、悩みの主体だから。
品のない貰い泣きをしたのはあくまでぼくのほう。

ちゃんとプロらしくお客様と向きあえるようにならんとなー。


おはようございます!
占い師のshinjiです!

今日は占いの仕事でブースに入ります!
都営新宿線瑞江駅の!
ドンキホーテ1階!
マリフォーチュンの看板が目印です!

夜9時までやってます!
鑑定有料・相談無料です!
おしゃべりだけでもOKです!

娯楽の殿堂マリフォーチュン!
紳士の社交場マリフォーチュン!
占いだったらマリフォーチュン!
会いにおいでよマリフォーチュン!

マリフォーチュン!
マリフォーチュン!
マリフォーチュン!


正直いうと幽霊とかあんま見えません、
霊感あるとか自称してますけど。
商売用の枕言葉みたいなもんです。

まぁ霊感はあるっちゃある。
多少、感度の波はあるけども。


どっかで読んだか聞いたかした話によれば、
ひとくちに霊感といっても
下等、上等があるそうだ。


曰く、
要・不要に応じて、
見える・見えないを切り替えられるのが、
最上。

チャンネルを合わせる、
とか表現されてるやつですな。

つぎ、感じるのが、上。
聞こえるのが、中。
見えるのが、下。


ぼくは、
感じるタイプ。

もともと霊感はなかったので、
集中しないと感度が低いけど、
これを、
スイッチ切り替えタイプとするなら、 
上と最上の中間なのかな?



ぼくのタイプ、「感じる」は、
かなり使い勝手がいい。
(見える・聞こえるタイプのことは分からないけど。)

ピントを合わせれば、
物理的、時間的に離れた位置にあることでも
感じ取れる。

霊や神仏の存在、
霊障かどうかの判定、
オーラの遠隔視、
人と人とを繋ぐ縁の濃さ、
などなど。

漠然としたイメージで伝わってくるので、
解釈を間違えやすいのが
難しいところだけど、
イメージを言語や映像に変換すれば
擬似的に「見る」「聞く」ことも出来る。

昨日のエントリの
「神様見た」っていうのも、
イメージを映像に変換したものだ。

直接見たり聞いたりするわけではないので、
対象から悪い影響を受けにくいのも
利点である。

霊が見える状況というのは、
向こうからもこちらが見えている、
ということであり、
憑かれたり、
邪気を受けたりするリスクがある。

感じるだけなら、
「ヤベッ」と思ったら
すぐチャンネルを変えれば、
影響を最小限に抑えられるというわけだ。


占い師には、
見える、をウリにしている人も多いので、
実はあんまり見えないぼくは
ちょっと気後れを感じていた。

それでこうやって
「いやいや見えないほうが
 レベル高いらしいっすよ?」
みたいなエントリ書いて
いっしょうけんめい自己擁護してるわけ。

でも、
職業として占い師を続けていく場合、
相談者の背負ってるものからの影響を
受けにくい「感じる」タイプというのは、
けっこう有利なのかもしれない。


ぼくはもともと無神論者だった。
実家が宗教をやっていた反動だ。

20年以上も前のことであるから、
当然、ぼくの母はまだ若く、
そして未熟だった。
父やぼくと言い争って、
分が悪いときにはいつも、
とつぜん話を打ち切って仏壇に向かい、
腹いせのように念仏をあげ始めるのだ。

ぼくはそのたびに、
「家族にさえ向き合えないようでは、
神仏になど余計に向き合えるものか」
と情けなく思ったものだった。

そのぼくが宗旨変えをして、
いまは母と同じ宗教を信じているのだから、
人生とはまことに奇妙なものだ。

当時、ぼくは弱り果てていて、
救いや悟りを宗教に求めたのもあるし、
半ば自暴自棄になっていて、
残りの人生を、
他人のために「浪費」して終えたい、
という破滅願望のようなものもあった。

が、一番大きな理由はやはり、
「ああ、お役目まわってきたなー…」
という直感が働いたことによる。

そうは言っても、
修行の道に入ったからといって、
いきなり考え方が180度変わるわけはなく、
しばらくのあいだは
神の実在について保留したまま、
懐疑的なまま修行を続けていた。


転機が訪れたのは、
半年ほど経った頃だった。

ネットで知り合った霊能者、
Sくんとの出会いだ。

家が近かったので、
オフ会をセッティングしてみた。
人生初のオフ会だ。

二人きりのオフ会(田舎なので)、
待ち合わせ場所で
「Sさんですか?」
「shinjiさんですか?」
と、
初対面同士、
ハンドルネームで呼び合う面映さは、
生涯忘れ得まい。

自己紹介を済ませ、
チャットでの会話の焼き直しもひと通り終わり、
さて今から何を話そう、という段になって彼が言い出した。
「おれ、神様呼べるよ。」

正直戸惑った。
今なら
「お、おう、そうか、じゃあ、またな。」
と返すのがテンプレだ。
でもぼくは、
空気を読んで話を合わせて、
適当に相づちをうった。
だってオフ会って初めてだったし。

訝しむぼくを意に介する様子もなく、
かれは何やら印を組み、
ムニャムニャと呪文を唱え始めた。
「もう来てるよ。どう?見える?」

あちゃー、オフ会デビュー早々に、ずいぶんイタいのと知り合っちゃったなー…
こう思いながら、
いや、何も見えないよ、と返事をしようとしたその時、


空気が変わった。


怪談を聞いて背中がゾクゾクするあの感じ、
それを何十倍も濃くした感触。

思わず、びくりと身をすくめ、
辺りをキョロキョロと身回すと、
道を挟んだ反対側の通りに、
何かの存在を感じる。

明るい。
影は暗さで影と認識するわけだけど、
影とは逆に、
明るさで認識できる「何か」がそこにいる。

じっくりと目を凝らすと、
どうやら巨大な孔雀のようだ。

度肝を抜かれながらも、
答え合わせは忘れなかった。
何を呼んだのか聞いてみると、
「孔雀明王だよ」とSくん。

もうダメだ。
神霊の実在についてずっと保留してきたが、
もはや目の前に疑いようのない現実がある。

正確には、
肉眼で見ているわけではないのも分かっているが、
圧倒的な存在感が、
理性にNoと言わせてくれない。


「神を信じますか?」
   Yes
   No
  ▶会ったことがある

神はいるのだ。



あれだけの存在感のものが突然現れると、
周りのものを押しのけてしまうらしく、
神様に帰ってもらったあとは
妙に周囲が虚ろに感じた。

また別の霊能者Gさんに言わせると
「霊的爆心地状態」なのだそうだ。
一ヶ月後に訪れたときにも、
まだ痕跡が残っていたから、
向こうに悪気がなくとも、
神様がご降臨なさるというのは
現世にとってはかなりの負荷なのだろう。

この経験がぼくの既成概念を打ち壊し、
霊能者として大きく前進させたのは間違いない。


「すでに見えるだけの力量があると判断したから見せてあげたんだよ。神様呼ぶなんて大袈裟な真似、めったにやらないよ。」

そう言ってSくんは、
茶目っ気たっぷりに笑った。

だいたい占い師って名乗ってるわりには、
あんま活動してなかった、
今までのぼくは。

生来の引きこもり気質が災いして、
社会と接点を持たずに過ごすことが
平気になってしまっているから。
自分自身を騙すのがうまくなったとも
言い換えられる。

街頭に出てない。
どこかの占い会社に所属するわけでもない。
所属してもシフトに入らない。
シフトに入ってもお客が来ない。
ネットでの宣伝活動もしていない。

リアルでの活動実績がないのは
いいわけのし様もないのだけど、
ネットでまでヒキってるのには理由がある。


言いたいことは山ほどある。
思い付くこともたくさんある。
でもほとんどは、
占いに関係ないこと。
書けば却って商売の妨げに
なるようなことばかりだし、
リキ入れて書いたのに
反応いまいちだと凹むじゃんね、
無意識にそれを避けてた。

かと言って、
スピとか癒しとかフワフワした日記って
読むのも書くのも正直二ガテ。

「今日は○○の気付きを得ました(*^_^*)」
どーでもいい。チラシの裏にでも書いてろ。


でもまぁ商売なら、
苦手なこともイヤなことも
やらなきゃならないし、
もうぼくのケツには火がついている。

それに、
どんなことでも、なにがしか書けば、
アンチと同じか
それ以上の賛同者がつくものだ。

嫌われるのを恐れて
好かれるチャンスを逃すのは
愚かなことだという
気付きを得ました(*^_^*)

そんな感じで、
実験的にこっちのブログでは
本音をぶっちゃけてくよー。

今日はこのへんで。
そんじゃまた。

もちろん・・いや・・今日の出動で私は、いや、今日も・・くっ・・何の収入も得られませんでしたぁぁ!!私が無名なばかりにただいたずらに時を浪費し、お客様を占うことが、できませんでしたぁぁ!!
占い行ったことある?ブログネタ:占い行ったことある? 参加中
私はある
占い行ったことある派!

なんか占いって、
当たる当たらないより、
納得いくか、いかないか、
のほうが大事な気がする。

占いが当たってても、
もらったアドバイスが、
「解っちゃいるけど、
 それが出来たら
 苦労はねーんだよ(怒)」
って感じだと、
せっかくお金払っても
不満しか残らないよね。

一般論じゃなくて、
「あなたの場合は
 こう考えるといいですよ」って、
ひとりひとりを見てくれる人だと、
納得度高いって感じかなー。
占い行ったことある?
  • ある
  • ない

気になる投票結果は!?