一般的に曲の歌詞に登場する"君"とは多くの場合好意を抱く異性に対して使われているけど、神聖かまってちゃんの歌詞を聴いていると恋愛的要素を含んでいなさそうな場面でも"君"が多く使われているように感じます。
じゃあ"君"って誰のことだろう?という所を考えていくのが、今回のブログの内容です。
まず神聖かまってちゃんの歌詞を見てみると、全体的に"君"か"僕"、もしくはその両方が出てくる曲がとても多いことに気づきました。
の子さんの作る曲は完全なる創作物というよりは、自分自身のことを歌った曲が多いと思うから多分"僕"というのはの子さん自身である場合が多いと思います。(曲によっては違う場合もあると思う)
次に本題の"君"の正体についてなんだけど、"君"というのは、もう1人のの子さんのことなんじゃないかなというのが個人的な推測です。
例えば「いくつになったら」の歌詞で解説すると、まずこの曲は歌詞にもあるように、ざっくり言うと「存在を証明するための決意表明」みたいな曲だと思っています。
「僕はいつか東京のど真ん中で、何千人の前で存在を見せてやる」と決意してる"僕"がいるんだけど、「君のことは忘れないって」に登場する"君"ってこの流れで言うと昔の自分のことを表してるみたいじゃないですか?
将来ビッグになってやる、だけど君(昔の自分)のことは忘れないよ
みたいな。
後半部分に出てくる「古い記憶の中君が僕を指差して あんな大人になりたくないって」でもまず"古い記憶の中"って言ってるからやっぱりここでも昔の自分を"君"って言ってるように思えます。
古い記憶にいる昔の自分が今の自分を指差して、あんな大人にはなりたくないって言ってる
みたいな。
こんな感じで、"君"っていう存在が昔の自分だったり曲によっては今の自分だったりする場合が多い気がします。
そもそも神聖かまってちゃんの曲って「自分自身に言い聞かせている」みたいな構造が多い気がしませんか?
でもそこで"僕"が"僕"に語りかけてたらややこしいし歌詞として成立しなくなっちゃうから、もう1人の"僕"を"君"と表現しているんだと思います。
ついでに言うと、たまに出てくる女の子の名前(花ちゃんとか知恵ちゃん)もの子さんのペルソナというか別人格というか、単なる架空のキャラクターについて歌っているようには思えなくて、やっぱりそこはの子さん自身を投影したような存在をキャラクター化したものに見えます。
つまり何が言いたいかというと、
神聖かまってちゃんの歌詞に登場する"君"は
もう1人の"僕"(の子さん)である!(場合が多いかも?)
ということでした〜!
この考察に対して賛成意見、反対意見、その他何かあればブログのコメント欄やツイートに是非返信ください!それが1番楽しみです!
では、おしまい!
【あとがき】
さっきパッと思いつきでブログ書き始めたから別にツイートでも良いような気もしたけど、どうも長くなりそうだったからこっちに書きました。
でもツイートと違ってブログって文字数制限がないからあんまり推敲する必要がないんですよね。だから文章を書くのに、より適してそうな媒体にも関わらず逆にこっちで書いてる文章の方がまとまりがなくて、かつ文章的にも上手く伝わってないような気がします。
実際途中の箇所とか自分でも何が言いたいのかよく分かんなくなったり、こんなの人が読んで伝わるのか?なんて思ったりもしました。
でもまぁ神聖かまってちゃんについていろいろ考えて歌詞のこの部分はこうなんじゃないかとかあーだこーだ思いを馳せるのがすごく楽しいので今後もいろいろこういうのはまた書いていきたいですね。
あと、神聖かまってちゃんアカウントとしてツイッターやってるけどその割にはあんまりこういう歌詞に関する考察とか音楽的な分析とかって見かけない気がするので、このブログ読んで思ったことがある人とか、そういえば前から思ってたけどあの歌詞ってああいう意味なんじゃないのか?みたいなのあったらぜひぜひツイートなりブログなりしてほしいです。めっちゃそういうの読みたいです。