患者よがんと闘うなを読みました。(結構有名な本ですよね)


最近の医療は、evidence!evidence!と患者にもよく医者が言います。


ただ、この本の著者、近藤誠先生もevidenceを挙げられています。


例えば一般には早期発見早期治療でがんは克服できるとか、


抗がん剤でガンはコントロールできるだとか、


余命半年と言われても治ったとか....


いろいろありますが本当のところはどうなんでしょうか?


この本には、がんの早期発見は生存率上昇に寄与しないとか、


抗がん剤が有効な癌は限られているとか、


拡大手術(リンパ節隔清)は意味がないとか、


そういったことを過去の試験から結論として導き出しています。


そして、がんの早期発見が生存率上昇に寄与しないという結果より、


がんもどき説を展開されています。


がんもどき説とは、簡単に言うとがんには殺傷能力を持つ(転移する力のある)がんと、


転移する能力がないがんの2種類が存在するのではという考え方です。


であるから転移能力を持つがんは原発巣が1mmの段階ですでに微細な転移を起こしているので、


検査時に1cmのガンを見つけ切除したとしても、転移巣のガンが育っているので結局治らないため、


早期発見は無意味だといえるわけです。


また、もともと転移する能力を欠いたがんであったのならば、


早期発見すれば例えば胃がんなどでは手術等で胃袋を失う期間が延びることにつながるので、


QOLの観点でも問題とされています。


自覚症状がでてから検査し、治療しても治ると言うわけです。


巷の医者は、evidenceというよりも、抗がん剤や手術、検診の有用性を否定すると、


医者として立つべき場所を失うから、誰も何も言わないのだろうと思ってしまいました。


誰か医者として抗がん剤、手術等を患者の救命のために使っているというならば、


こんなふざけた本さっさと論破してしまってください。


さて私事ですが、この近藤先生の考え方にのっとった治療を行うならば、


私の肝臓がんも、発見しても様子を見るだけにとどめておけばよいと言うことになります。


この本を読んで、今まで受けてきた治療を考えると、


確かに、急性白血病(AML-M2)の治療を受けたときは、抗がん剤治療が有効であったし、


近藤先生も抗がん剤効くがんに挙げられているので矛盾はありませんが、


肝臓ガンになって2回受けた手術は、どういう意味があったのだろうかと思ってしまいます。


少なくても、根治治療ではないことは主治医も、私も理解してやりましたが、


あのがんがすでに転移しているとしたら、今後の治療は緩和ケアにとどめるべきでしょうし、


今後発生する肝臓がんも、やっぱり様子見が一番良い方法なのではと思ってしまいます。


ただ、転移巣が見つかるのは当分先だった場合、無治療で長い間様子をみるのは結構、


苦しい事かなとも思いますが。ただ、発見したガンがどんどん大きくなってある段階に達すると、


転移をするというevidenceはありません。その逆は(早期転移)ガンの発育速度とか、骨髄の遺伝子の検査等


からevidenceありとのことです。


あと、少なくても、抗がん剤治療を受けようという気持ちは毛頭ございません。


肝臓ガンは抗がん剤が効きにくいガンですから。


肝動脈にカテーテルを留置して大量に抗がん剤を注入する療法もあるようですが、


延命効果は5ヶ月程度とのことのようです。


それに、副作用はもう十分味わって知っていますからこりごりです。



 引越しの荷物を取りに久しぶりに元妻がまだ住んでいるマンションへ行きました。

マンションへ行くと身体がしびれたような感覚にとらわれて、大変つらいのですが、彼女がいない時間に行きました。


ダンボールに入った自分の荷物を車に積み込み、これでもう私の荷物がない状態まで片付けました。

ダンボールへは元妻が入れておいてくれたので、さぞかし大変だったろうと心が痛みました、


 最後に、しみじみ一緒に生活した部屋を見てふと、彼女が持って帰るパソコンの中に私の顧客データーがないかと思い確認してみました。


 何個かはあったのでそれは削除しました。


 そして、画像ファイルがアルバムのようにきちんと整理されていたので中をのぞいてみました。

そこには、楽しかった頃の2人の姿がありました。

ディズニーランドや、北海道や、沖縄や・・・


 ディズニーの帽子をかぶってふざけてにっこり微笑んでいた彼女をみて、思わず私もにっこりしてしまいました。


 2人の結婚は悲しい結果に終わってしまいましたが、たくさんの思い出の5年間をありがとうと、心から思いました。


 何かの曲に「喜びも哀しみも立ち止まりはしないめぐりめぐって行くのさ」という歌詞がありました。


 私にとって残された時間はもうわずかかもしれない。

けれども、彼女も私もまた喜びの時をむかえられたら良いなと思いました。

 

 

 あまり詳しいことは書けませんが、2期連続の赤字から半期で大きな黒字をたたき出している会社の話をしようと思います。

 

 過去の2期の赤字の原因は、もちろん外的環境が悪かった(不景気)ということもあったのですが、身内に甘い同族経営で業績を上げるということが一番の目標になっていなかったという経営者の方向性の問題ではなかったのかと思っています。


 中小企業では、会社は社長のものという感覚で経営が行われていいます。ですから、自分の生活等に支障がでてくると、やはり会社より自分という発想に陥りがちになるのではないのかと、客観的には見えてしまいます。


 赤字なのに、役員報酬を増額したり、身内の社員に多額の給与を支払ったりと・・・

そして、このような病になってしまうと、なかなかその悪癖から脱却することができなくなってしまいます。

よほどの危機感を抱かないと、お金の続く間に会社の経営を改めようという意識は湧いてこなくなります。


 けれども、新しい事業計画を作成し、このまま3期連続の赤字になれば融資を受けることもままならなくなり、従業員の昇給はもちろん、役員、親族の給与を大幅に減額しないと、とてもじゃないけど黒字にはできないということを数字で分かってもらう等して、口論になりながらも相手を説得し、役員報酬の減額にこぎつけ6ヶ月、経費節減、売上、利益アップを口を酸っぱくして指導して参りました。


 経営者の意識も少し変わったようで、今までは、自分の生活>身内の生活>会社の業績だったのが、会社の業績>自分の生活>身内の生活へとシフトしてきました。業績を挙げれば生活を良くすることができると。

また、後継者にも会社を安心して引き継ぐことができると。

そして、それは経営者としての厳しさにもつながり、従業員に対しても利益を上げることの大切さを説き、発破をかけ、具体的な指導を行い、従業員の業績管理をするというようになり、毎月お伺いするたびに、会社の雰囲気が変わっていくことが実感できました。(全員に一体感がでてきたような感じかな)


 そして、最初に建てた経営計画の目標を大きく上回りこのまま順調に推移すれば、少なくともこの10年間の中では過去最高利益を達成できそうです。


 業績を報告するときに役員の方の一人が「あぁ、報酬下げて良かった。」と仰っていました。

やはり、会社が正常に機能していることに気持ち良さというものを感じていらっしゃるのかなとも思いました。

残りの半期もこの調子で頑張って欲しいと思います。


 最後に、私の場合は会計事務所という立場からのお付き合いなのですが、我々の仕事の中には会社の業績を良くするとか、そういうことは本来的には含まれていません。けれども、サービス業である限り、お客様の望まれることに対するサービスをするということと、客観的に見て、今お客様に必要なサービスをするという視点も失ってはならないと感じました。後者は、口論になったり、感情を害されたりとなかなか踏み込みにくい領域のものもあると思うのですが、あくまでもサービスの一環でさせていただくというスタンスを保っていきたいと考えています。また、実際に私のプランに乗って(?)一生懸命事業をやっていった経営者の方々には本当に頭の下がる思いです。私のような自分の人生でさえ思うように生きられないのに引き換え、なんて立派な方々なのだろうかと心の底から思います。


 

 注射してから5日経ちますがまだまだ熱が下がりません。

インターフェロンの主な副作用は、発熱ですが薬に慣れてくるとあまり熱が出なくなったりもするのですが、少量投与に変えてから、注射後1週間は発熱するようになりました。

今まで、なんともなかったのに不思議です。

まぁ、副作用のない薬は効いていないとも聞きますので、これはこれで良い兆候なのだと納得しています。

さりとて、ウィルス量はあまり下がらないのですが・・・


 このインターフェロンの副作用は他にも、貧血、不眠、うつ、脱毛、間質性肺炎等軽いものから重いものまでいろいろあるようです。

不眠とかうつは結構つらいものがありました。

今はそのような副作用はないのですが。

インターフェロン投与中に間質性肺炎も起こしたことがあります。

ただ、それは骨髄移植を受けて8ヶ月目くらいだったので、それが原因じゃないかと思います。


 まぁいろんな副作用のくじの中では発熱はまだ軽いほうだと思います。

肝硬変に対するインターフェロンの少量投与でどのくらいの肝臓ガン発生の抑止力になっているかは分からないのですが、そういう発表もあるようですのでまぁ効いているんでしょう。

CRとかは無理と思っていますが、今時分のできる治療ではベストな選択を、主治医の先生はしてくれていると思っています。


 仕事も、続けていけていますし今後も何かおもしろいことやってやろうという気持ちです。

もう人に遠慮する時期は過ぎただろうと勝手に思わせてもらおうと・・・・w


 長丁場かもしれないし、あっという間かもしれませんが残り人生Enjoyしたいです!

 

 こんばんわ。


 前々回つらくて、つらくて堪らないという話をしました。

具体的には妻と離婚したことです。

結果に対する責任は私にあると思っています。

また、ゆっくり原因は書こうと思います。


それでも、簡単にいうと、私達は共稼ぎでした。

どちらかというと、妻のほうが仕事が忙しかったので帰りは遅かったです。

それ自体はよくある話なのですが、私がその妻の負担を軽減することができなかったため、このような事態になりました。

彼女曰く、「これからの人生を充実したものにしたいため、私にはもう付き合いきれない」とのことでした。


 晴天の霹靂でした。

この話を切り出され、彼女の性格や彼女の希望も考えて離婚することが最後にできるやさしさと考え応じました。


 何か、自分の身には様々な問題がふりかかりますが・・・自業自得なのでしょう。

反省して、前を向いていくしかないと考えています。(考えるだけはサルでもできますが・・・)

しかし、嫌いになって別れたのではないのでつらいですね。

幸い、子供もいませんのでその辺りで子供に(いませんが)迷惑をかける事はないのですが、添い遂げようと思った相手に去られることは、心にぽっかり大きな穴が開いたような感じです。

病気のこともあるし・・・お先真っ暗です。

そういった気分に、結婚中の彼女にも(後に残される)思わせていた部分が、私にあるのでしょうね。


 とにかく、今は潰れそうな自分を支えることで精一杯です。

つらいことも時間がいつか解決してくれるということも分かってはいるのですが、今はこの喪失感にただただ耐えるのみです。


 

 さて、今日は2週間に1度の診察日にて採決、診察、インターフェロンの注射にいってきました。

昨日の続きはまた次回にします。

 

 少し病院に着くのが遅れたため駐車場に駐車できず、30分程待ちました。

そして、採血を受けました。

 今日は、月初めの診察のためにAFP等各種腫瘍マーカーの検査もあり試験管6本の採血でした。

看護師さんが、気持ち悪くないですかー?wと聞くので、失血しておりますと答えておきました。(意味不明)

 

 さて、診察室へ。今日は待ち時間も読み通りで採血後40分で呼ばれました。いあー早いね!

検査結果は、主だった所で、Hb9.0(再検!)、PLT6.1(再検!)、AFP42となってました。いつもはヘモグロビンも血小板ももっと少ないので、この人今日は多過ぎる!!!って意味で再検査というコメントがついてます。これでも正常値からみれば随分少ないんですけどねww(正常値Hb14~18、PLT10~40くらい?ちなみにAFPは8まで)

 

 で、先生のコメントはまぁ横倍って感じということでした。後は、次のエコー、MRIでちょっと覚悟してねみたいな軽い脅迫?wをされました。すでに2つ怪しい部分を指摘されているのでそのことで言われ続けています。他にも話をしたのですがそれはまたの機会にお話します。


 そして、インターフェロンを注射して帰りました。

11月6日にMRIとかするんですけど、もう一ヶ月切ってますね。仕事もそろそろ忙しくなってきますので、お客様に迷惑かけないかちょっと心配です。それに、今のうちに何か楽しい事もやっておかないと、入院してとか言われると凹みますのでエネルギーを充填しておかないと。


さて、今日から1週間インターフェロンの副作用である発熱と戦わないと。これも結構きついかな。もう慣れましたけど。 ではでは!

 また、ブログを再開させようと思い筆を取っています。(筆ではないか・・・)


なんか久しぶりに開いてみたら、エロいコメントだらけになっていてびっくりしました。(汗)


ちょっと私生活に問題発生で、今とてもつらい思いをしています。


詳しいことは、また明日にでも書こうと思いますが、今は喪失感で一杯一杯です。


前向いて行くしかないのですが。


きついです。


 昔語りと、今までのまとめをしておきます。


今、38歳なのですが、21年前突然白血病にかかりました。


AML-M2とカルテには書かれておりました。


当時は骨髄移植がだんだん普及し始め、最有力の治療として注目を集めいてました。


骨髄バンクができ始めたのもこの時期だったかのように記憶しています。


無菌室で湾岸戦争が始まるのをみていた記憶もあります。


バブルもこの時期はじけたような気もします。(私はバブルとは無縁だったのですが・・・)


そして、その18年後かな?今度は肝臓ガンにもなりました。


肝臓ガンになる前、なんとかC型肝炎のウィルス(白血病治療時に輸血で感染)を消そうとペグインターフェロン、


リパビリン(抗ウィルス剤)の治療がんばりましたが、貧血が酷く、Hb4.8とかで入院したりと職を失いました。


まぁ元々骨髄(造血器)弱いのでしょうがないですねぇw


よく、主治医の先生はこの負け戦につきあってくれました。(塚地みたいなとぼけたセンせーですw)


まあ、自分としてもその1年前に結婚もしましたので、なんとか完治ないしは長期延命できるようにということでした。


で、肝臓ガンになりました。できた場所が下大静脈のそばで、肝臓の相当深い所(どこの区域かは聞いてません)


でした。


貧血の対策も兼ねて肥大した脾臓もいっしょに切除するとのことで、TAEC後、腹腔鏡下で手術したのですが、


出血が止まらず(出血量2リットルとか言ってました)結局開腹して止血して、肝臓ガンに対してRFAをやった


とのことでした。


そして、貧血対策もして、赤血球増殖剤も他の病院で自費で注射して、またまたペグインターへロン、リパビリンの


治療に挑戦しました。


ですがやっぱり貧血が止まらず、半分の量でしか注射できず、またしても失敗に終わってしまいました。


そして、またしても肝臓ガンで、前回治療していたところがにょきにょき再発しました。


まずは挨拶代わりのTAEC。


私の癌は栄養している動脈があまりにも細くて前回同様カテーテルが通らなかったとのことで、効果なしでした。


そして、またまた開腹して直接RFAをすることになりました。


今度はうまく焼けたみたいで、ガンガン(癌癌w)に焼いたからと主治医の先生は言ってました。


内科医なのに手術室でRFAやるんですねwスゴイ!


そしてインターフェロンを少量投与に変更して現在に至っています。


前回の手術が3月なので半年無事に過ごしてます。


また、明日書きます

過去そして現在に至るまで病気と付き合ってきた。

自分にとってそれは当たり前のことであり、

生が短いかもしれないこともある程度覚悟していたつもりだった。

口では「あと何年生きられるかな」と妻に冗談をいいつつ。



定期の腹部超音波検査で、2センチくらいの癌が肝臓に発見された。

3ヶ月に1回この検査を行うのだが、

前回の検査結果では癌は見えなかった。

だが、この3ヶ月に増殖したものらしい。

そして、今後の予定としては9月24日に入院、血管造影によるCTをして、

癌の正確な位置を特定する。

肝臓生検をして確定診断をして、

TAE(肝動脈塞栓術)により、血管侵襲の有無等確認して、

癌に栄養補給している動脈を塞ぎ、癌細胞をある程度死滅させる。

その後、それまでの検査結果などを参考に、取りきれなかった癌細胞を、

ラジオ波で経皮的に焼くか、腹腔鏡下によりそれを行うか、

開腹して肝切除するかを決定するそうである。



こういう状況、つまり覚悟してきたはずの状況になって正直怖いです。

普段覚悟して生きてきたつもりだし、妻にも覚悟させてきたつもりでしたが、

怖いものは怖い。

死に対しての恐怖。

痛みに対する恐怖。

苦痛に対する恐怖。

何に希望を見出せば明るく生きていけるのか。

それが今の大きな課題です。

入院までに与えられた時間、その課題に取り組み乗り越えないと、

入院後、大いに苦しみそうである。

9月10日現在

長年勤めてきた職場でしたがついに私の番が回ってきたようだ。


この10月をもって退職することになりました。


そして、11月1日より別の事務所に・・・


今までお世話になったお客様には大変申し訳ないと思うのですが、自分の人生を優先させてもらいました。


けれどもつくづく思うのが、この仕事は資格がないと駄目ですね。


独立したくともできないし。


また、資格を取らないと、最終的にはいいように使われるだけで年収、仕事の範囲も制限されることになります。


というわけで、今年こそは税理士試験頑張ろうと思います。


まずは、財務諸表論。


あと、次の事務所は、きっちりした事務所としてかなり有名なところでもあります。


今まで自分のやってきたことが、そこでどれだけ通用するかは分かりませんが、そういうこともこの機会に確認できそうなのが楽しみです。


というわけで、更に頑張ろうと思います。

さて、何日ぶりだろうこれ書くの。


私は病気だし、お世辞にも条件がいい男ではなかったので結婚なんてあきらめていたのですが、とうとう結婚することになりました。


まさに、トントン拍子に話しが進んであっという間に決まってしまった。


運命の人というのは世の中に存在するということをまさに確信しました。


明日入籍だ・・・


今日は独身最後の日。


なんか幸せだ。


新居も購入したし、これから妻と頑張って生きていこう。


それに人生楽しんでいこう。