ブラボー、、、プロバンス!!!!
プロバンスの代表的な魅力ある野菜たちの写真を送ります。
まずはニンニク、これはプロバンス料理には不可欠、、
貧しい人たちの名医者といわれるこの食材は、古今東西、どの国においても
愛され、どの料理にも重要な基本食材ですね。
殺菌効果、血圧低下、疲労回復等々に大きな効果がありこれを料理に
加えることによりかなり味がアップします。ただやや臭いがあるので
人によっては「又長年食べていると少々くさいので、、、笑」嫌う人たちもいます。
消臭としてはコーヒー、紅茶を又ハーブティーをやや濃い目に飲むといいですよ。
玉ねぎ、これもオールマイティーの食材で洋風の料理には重要です。
火にかけることにより甘みが増す特徴を持ちオニオンスープ、デミグラス、
シチュー、ブラウンソース、の基本でとても自然ないい味を出します。
これも血圧降下、血糖値降下などの効果があります。
プロバンスには大中小などの種類が豊富で各料理にあわせて使われます。
ポテトはヨーロッパではなくてはならない炭水化物でパンと同様に主食として
食べます。これも男爵、メークインをはじめ数種類画アリ毎日必ず食卓に
出てきます。これにチーズをたっぷりだけというかていもあり、それでも
あんなに立派な体格になるのですから馬鹿に出来ません「笑い」
ポテト料理は数十種に及ぶほどあり、私はマッシュ、シンプルにチーズを
乗せオーブンで焼きとろりとしたチーズとポテトのコラボが一番好みです。
下の左はピーマンの種類の数々です。
この豊富な種類には圧倒されますね。プロバンスで一番ポピュラーなのは
オーブンでサット焼き薄皮を取り種を取りオリーブオイルに漬け込んだものを
肉料理やピザサラダに良く使います。どれも日本の物より肉厚で甘みのアル
素晴らしい物です。
右はおなじみトマトでこてはイタリア、スペイン、中近東、そしてフランスの
地中海沿岸の国では豊富に種類も多く使われます。
トマトは昔から「トマトが真っ赤になると医者が青くなる」と言われるほど
健康にいいとされイタリーではこの食材がないと料理が出来ないほどです。
私もトマトの真っ赤に熟れた甘みの増したものに軽く塩をしただけのものを
かじるのが大好き、、、日本は形を優先させるのでまだ青いうちに
出荷するので固く甘みが無く味は今一、、、、
下はプロバンスの代表食材、オリーブオイル、、
このオリーブは、ギリシャとスペインの物が実際には本場ですが
イタリー、プロバンスも収穫量は少し落ちますが良質の物が出来ます。
オリーブオイルは不飽和脂肪酸が豊富で油ではなく果実の絞り汁なので
健康にはとてもよいので近年おおく市場に出てきましたね。
これについては又の機会に詳しく料理もふくめ紹介します。
右の下に移っているのはフランスではプロバンスにしか生息しない
シガール「蝉」でインテリアにも使われ又ソレヤードの織物の
柄のも珍重されているプロバンスの象徴です。そういえば
あまり蝉の声は日本ほど聞かなかったかナーー
紹介します。
ール、プーレオウ40グースダイュ
「雄鳥の49個のニンニク蒸し焼き」
雄鳥「普通の丸鳥でも良い」一羽
ハーブ各種「ローマリン、タイム、ロリエ、
バジル、パセリ、オレガノ、セージ、サリエット、黒胡椒、塩ほか、
ニンニク「皮をむき約30-40カケ」
これはハーブプロバンスミックスでも良い。
オリーブオイル、仕上げにワインビネガーガー少々、
作り方ーー鳥には塩、胡椒し、オーブオイルで軽くソテー、厚手の鍋に鳥を入れ
ハーブ各種をたっぷりとまわりにいれニンニクもいれピタッと蓋をし
オリーブオイルをタップリといれ蒸し焼き「オーブンでも良いし、
厚手の鍋で直火にしても良いが火は中火ヨリ弱くし焦がさないように
約1時間ぐらい蒸し焼き、火を止める寸前にビネガーを回しいれ1分にて
とめる。
皿にとりをおきまわりにすべての物をおききっていただく。
鳥は柔らかく出た汁がソースになって非常に美味、、パスタ、マッシュ等と
食べると豪華、、、
ぜひお試しください!!!!
プロバンス料理はヘルシーで素材のうまみを完璧に生かした
素晴らしいメニューです。
まだまだありますから又の機会にお教えしますよ。
ところで私のブログ今日でしばらくお休みします。
また楽しいお話でお会いします、
アビアントー、、、、オウボワー
またねー、、、、、さよなら、、、、、
想い出のパリ19区ボザリッツ通り!!!
破れかけたボール箱からモノクロ、セピア色になった写真が見つかりました。
思わず手に取るとあの日が昨日のように浮かび上がって、、、、
1969年、、渡仏した初めての晩秋、、、
下宿前のビッツアショーモン公園、内には深い森、池、小高い丘、春秋には
美しい花々が咲き小鳥、鴨などの鳥たち、散歩の犬、子供連れ、カップル達、
老若男女がのどかに集う、穏やかな広々した、大好きだった場所、
恐れも無くただ明日へ希望だけを求め日本を飛び出したこのパリでやっと見つけた
下宿、アリアンフランセーズ「パリの語学学校」の掲示板をみていた私に
声をかけてくれた優しそうなマダム、「彼女もいい下宿人を探しにここに来て
いた」、、、何故か意気投合しすぐに彼女の家に部屋を見に行きました。
ーー当時は部屋不足で留学生達は空き部屋が出るとすぐ行動しなければ
その日になくなるという状況でしたよーーーー
ギリシャ人のミシャラカコス家はパイヤールパリ室内管弦楽のチェロ奏者の
音楽家で夫婦、長男ミッシェル18歳、タリア「3歳」の女の子の4人家族、
2階建てのアパルトモンでそのうちの1部屋を貸してくれました。
私は両親から離れての海外生活はもとより日本でも1人で生活したことが
無いお嬢様???「笑」でまったくの1人暮らしはいやだったのでこの下宿に
即決しました。これは1つの縁でその後3年半泥棒とか怖いことも無くまったく
家族のように安心して過ごせたのですから、、、、
メトロボザリッツ駅は下宿のまん前でその後ブージバルのレストランに修行に入って
から帰宅が夜11時過ぎてもまったく危険が無く本当に良かったーーー
左の写真はメトロボザリッツ入り口,、この階段を
毎日、毎日元気良く駆け下り上がり、、、
来ている黒のロングコートは当時パリモードの
先端をいってました。
日本から持っていったコートはなんていうか
野暮ったくて「いかにも田舎から大都会に
おしゃれを精一杯してきた娘みたいで、、笑」
きられませんでした「やー驚き!!笑」
その年はまだレストランの修行には入って
いなかったのでミシャラカコス家のクリスマスイブに招待され私は日本から持って
いった着物「これは茶道をしていたので一人で着るのを母に教えてもらっていたので
簡単でした」を披露、彼らは始めて着物を見たらしく本当に興味深く喜び
「トレビアーン!!トレベルーすごくきれいーー」と言ってくれました。
この日は100個近い牡蠣をムッシューが大汗をかきながらあけ、それと
フォワグラのテリーヌ、鴨の丸焼き、ピラフ詰め、、とブッシュドノエル「蒔きのケーキ
本当に豪華版、シャンパン、赤白ワイン、まだフランスを知らなかった私は
ビックリ、、仰天!!!
イブはこのほかに同じ音楽家達の夫婦など十数人集まり和やかに深夜、
2-3時過ぎまで騒いでいました。本当に楽しい楽しいパーティーでした。
次の25日は私が疲れてまだ寝ているうちに近くの教会にゆき静かにミサをし
その日は家族だけのお祝いをしていました。
ヨーロッパではクリスマスは日本のお正月ですから本来は地方にいる家族達が
年に一度集まり皆でお祝いをするもので私を呼んでくれたのは本当に
家族と同じに扱ってくれその優しさに心からうれしかったですね。
後にも先にもたった一枚のミシャラカコス家の方々との写真、
日本料理、巻き寿司、天ぷら「海老」
玉子焼きの握り、スズキ、マグロの刺身など
天ぷらは喜んで食べたが刺身はやはり
生はだめかもーー寿司はまあまあ食べて
くれました。
オリーブオイルにつけた大きな黒オリーブを
梅干のように喜んで食べるグルメのムッシューは
本当に「デリシュー、、おいしいよー」と
堪能してくれました。
そして私は年明け2月からパリ調理師養成学校に入学本格的な修行の道に進み
アット!!いう間の月日でした。
上の写真はアリアンスフランセーズ「語学学校」の授業風景、各国から
来ている生徒達で面白かったーーーたっているのが先生なのですが
このマダムアジア系が嫌いらしく、日本人を「私も含めて」飛ばしてアメリカ
スエーデンとかヨーロッパ系ばかりさして授業が終わると良く皆で
文句を言ったものでした。まだまだ日本は極東の果てという感じでしたねーー
タリア、、彼女は仏蘭西人形のように可愛らしく
厳しくしつけられているが本当に皆に
寵愛されていました。私になつき
仕事の休みには「シーシー、公園に行こう、、」と
私の部屋をコンコンとたたくので私は
疲れているけれどつい可愛いので
前の公園を散歩に連れて行きました。
なんか私って子供がなついてきて、、、、
現在も可愛い子達が私を癒して
くれるのですよねーーー
私が修行を終わり日本に帰るときは「シーシーと行くー」とオオなきに泣き
ミッシェルが「早くシーシーいってー」と抱きマダムと必死で抑えていたのは
今でも忘れません。帰国してから何年かたち一度幼稚園児になった彼女を
ミッシェルと会いにいったとき遠くのほうから「シーシー!!!」と
叫びながら走ってくるのを見たとき思わずジーンとして涙が出ました。
忘れなかったのだ!!
今はもうすっかりきれいなマドモワゼルいやマダムかな?、、になっているでしょうー
そうだ!!今度パリに行くチャンスが会ったらボザリッツを、、、
パリ19区リュウドボザリッツを尋ねてみよう!!!!!
時は確実に過ぎ去り記憶もまた移ろい忘却のかなたへと流されても
心の奥にしっかりと、とどめておきたい青春の残像、、、、
そう、、探そう!!むかしの夢を、、、逢えたら伝えたいことがある、、、、、
どうかいつまでも私の想い出の中にいてくださいーーーー
今年もボージョレーヌーボーの日が!!!!
毎年11月の第3木曜日、めぐり来るこの日、、、
やはり何故か私は、新種を試したくなってしまう、、、今年はペットボトルを
値段がリーズナブルなので購入してみました。
フランスでは本来日本のように大騒ぎすることなく、量り売りのワインを買い
「アアー今年はいいねー」とその年のワインの出来栄えを味わいおおいに
薀蓄を傾ける、、
今まではビンボトルの趣向を凝らし値段を高く売りつけていたけれどやっと
本来のパターンになり私はとても満足ですよ「笑、、、」
さあ、、今夜の夕食は少し手を加えて新種をたしなもうかナーーと思い
オニオングラタンを玉ねぎをこんがり炒めるところから念入りに創りました。
メニューはーーーーグラチネドニオン「オニオングラタン、、これが久しぶりに
作ったのだが玉ねぎの甘さが良く出てバゲットのこんがりした味とマッチし
チーズもとろけ思わず美味、」、オリーブのパンとゴルゴンゾーラのブルーチーズ
「やはりヌーボーと相性が良くうれしいー」、思わず良かったのが私の手つくりの
するめイカの塩辛「甘塩」と新鮮セロリのデップ、セロリに漬けた塩辛が又
ワインと素晴らしいマリアージュ!!堪能!!!後はトマトとブロッコリー、かに棒の
シンプルサラダ、そうそう、、忘れてました。今夜はデザートにテラミスを創りました。
写真に撮るのを忘れたーーーいつもはデザートはカットなので、、、、
そしてヌーボーが思いがけず「ペットボトルなのであまり期待していなかった」
美味しく、色、酸味の柔らかさ、サラッとした味、等素晴らしく、あの高い
カラスビンに入ったヌーボーに劣りません。私、、これは掘り出し物と次の日
又買ってきました。
上の写真がこの日のメニュー、、、本当に色は鮮やかなワインカラーできれいーー
この左は2000年ビストロ最後の年のジョルジュ
デュブッフ「ヌーボーのブランドワイナリー」の
ヌーボービラージュ「ワンランク高いワイン」ですが
味は今年と同じですよ「笑、、、」真ん中は
珍しいバニラのリキュール「ケーキやデザートに使
用する、、」左は南仏で買ったパステス「いい香りでやはり美味しい。
ビストロの頃は毎年この日はヌーボーのイベントを開催し予約の常連客達のために
生牡蠣を取り寄せ、何百個と必死で牡蠣剥きをしました。
この生牡蠣は今年震災で壊滅的打撃を受けた奥松島から大きな新鮮なものを
送って貰い皆舌ずつみをし「そう、、牡蠣の汁をレモンかけチュッとすする、
あれですよ、、笑」ヌーボーと共に夜更けまで楽しみました。
今回の震災は返す返すも私には想い出を消すような哀しい出来事でした。
でも牡蠣は種があれば「かってフランスのノルマンデーにここの松島の牡蠣の
種をつけ、やはり病原菌で破滅しそうになった仏蘭西牡蠣を復活させたのですから」
3-5年で立ち直るかもしれません。心から期待してます。
このワインにあうビデオはと、、そうやはりフランス映画でしょう。。
しばらく見ていなかった、カトリーヌドヌーブ主演の「インドシナ」を、、
この映画は1930年代のインドシナ「現在のベトナム、かってここはフランスの
植民地、だが独立運動の機運がたかまっている。」が舞台、彼女はゴム園を
経営するオーナー、インドシナの皇帝の娘を養女にし、フランス将校と
恋に落ちるがこの養女もまた将校に恋し彼を追いかけ独立運動に参加してゆく。
二人には男の子が出来るが将校は殺され養女は苦難の末、パリに逃れる。
オーナーはこの子を引き取り立派に育てやがてインドシナの独立が認められる
会議がハノイで開催、その代表団にかっての養女が入っている。
オーナーは今は立派になった男の子に「貴方の本当のママが来ている、会いに
行く?」と聞くが男の子は「いや、、僕のママは貴女一人ですよ」と答え
赤い夕日を見ながらオーナーのほっとしたような波乱の人生を後姿で
表してなかなかいいラストでした。
カトリーヌにしては「すごい美人だが演技はもう少しというところ、かな???」
なかなか見応えのある演技で当時のベトナムの様子が
興味深く、面白かったですよ。これはアカデミー外国映画賞を取った
歴史大河ロマンでしょう。
いいワインと美味しいおつまみ、、、いい映画なんか、とても充実した
夜でした。
めったに無いのですよねーーーー3拍子そろうのは「笑、、、笑、、」