R71年オフ

 

ロケッツってネタ探すのがちょっと大変なんですが(当社比)、このオフは色々あります。

 

【ドラフトは3月末】

 

1巡目第7位でクリフ・ミーリー、2巡目第24位でマイク・ニューリンを指名。

 

ミーリーは6フィート8インチのPF。

コミュニティ・カレッジでの1年を経てコロラド大に進み、そこで大活躍。

同大ではスコアラー&リバウンダーであり、ディフェンスもよく、当時のHC曰く”指導した中で最も完璧なプレイヤー”とのこと。

 

のちにジム・ベイハイムも”歴代のカレッジ・バスケットボール・プレイヤーの中でも、過小評価されている5人のうちのひとり”としています。


ニューリンはユタ大出身のSG(6フィート4インチ)。

カレッジ時代は学業も優秀で、アカデミック・オールアメリカンに選ばれただけでなく、ローズ奨学金の候補にもなったとか。

どのタイミングかはわからないんですが、この人、同大の医学部にも受かっています。

 

因みに、6月頭には73年のドラフト3巡目指名権をブルズに出して、同ドラフトの3巡目で指名されていたディック・ギブスを獲得。

 

6フィート5インチのFで、コミュニティ・カレッジで2年過ごし、テキサス大エルパソ校に移りました。

 

同大での1年目はネイト・アーチボルドとチームメイト、ルームメイトに。

ギブスは鼻っ柱が強いタフなプレイヤーで、同大が(この当時としても)サイズのないチームだったこともあり、すぐに主力となりました。

 

ギブスが入団した同大はNCAAトーナメントに進むんですが、シーズン最終戦でギブスが負傷し、トーナメントを勝ち上がることは出来ず。

オフにはアーチボルドがNBA入りしており、なかなか上手くいかないものです。

 

【ドラフトの10日後】

 

アレックス・ハンナムが辞任。

そして同じ日、ABAのデンバー・ロケッツ(現ナゲッツ)のGM兼HCに就任しました。

 

ハンナムはエルビン・ヘイズのトレードを望んだようなんですが、オーナーのロバート・ブライトバードが拒否。

これがひとつきっかけになったようで、当時は”ヘイズがクビにさせた”と言われたんだそう。

 

後任には、テックス・ウィンターが就任(5月半ば)。

のちにブルズやレイカーズのACとして有名になるウィンターのNBA初仕事です。

 

高校時代にロヨラ大のボールボーイとして働いており、そのとき一緒だったのがロケッツGMのピート・ニューエル。

第二次世界大戦後、1シーズンだけサザン・カリフォルニア大で過ごしているんですが、ここでコーチのサム・バリーからトライアングル・オフェンスの礎を学びました。

(ハンナムはサザン・カリフォルニア大時代のチームメイト)

 

大学卒業後の47年からこの71年まで、カレッジのコーチを務めており、53~68年はカンザス州立大を指揮。

そこではNCAAトーナメント6回、うち2回でファイナル4進出という実績を残しています。

当時の教え子にはボブ・ブーザー、ウィリー・マレルらがおり、同大で最後のシーズン、コットン・フィッシモンズがACを務めました。

 

因みに、ロケッツでのACはフランク・ハンブレンです(69年からいた説も)。

 

【移転】

 

71年6月23日。ブライトバードが、ヒューストンを拠点とする投資家グループ(Texas Sports Investments)に、ロケッツを560万ドルで売却したと発表されました。

 

69~70シーズン途中、ブライトバードが立ち退き勧告を受けたことを公表して以来、地元ファンは、嘆願書を作ったり、地元当局に働きかけたり…チームがサンディエゴに残るよう活動。

幾つかの打開策(ブライトバードへの資金援助や支払いの軽減、サンディエゴの街や地域がアリーナの所有権を持つetc)も検討されたようですが、ブライトバードには時間がありませんでした。

 

”ロケッツを購入したい”というオファーは10以上あったんですが、それらはすべて移転を伴うもの。

ブライトバードは、当初それを拒んでいましたが、サンディエゴ・スポーツ・アリーナ絡みの事情(税金絡みの問題だったようなので固定資産税とかですかね?)もあって、地元でオーナーを見つけることは無理だと判断したみたいです。

 

新オーナーグループの代表は、不動産関係のウェイン・ダドルストン、銀行家のビリー・ゴールドバーグ。

2人は、自分たちの利益のためではなく、公共サービスとして購入したのだとコメントしました。


この売却は突然だったようで、選手やウィンター、チームのスタッフたちも、売却成立によって知ったとか。

チームの財政状況はかなり悪く、NBAは、チーム消滅の可能性も危惧して、すぐこれを承認したそうです。

 

そして、新オーナーグループはすぐにヒューストンへの移転を発表。

ここで”ヒューストン・ロケッツ”となりました。

 

ロケッツはNBA最初のテキサス州のチーム(ABAには67~69にヒューストン・マーベリックスがありました)。

ヒューストンには、1年前のオフに新チームが誕生する話があったんですが(キャブス、ブレイザーズ、ブレーブスと一緒に)、オーナー候補の投資家グループが加盟金を払えず、頓挫していました。

 

【問題】

 

今回の売却はあまりにも早く進んだため、新オーナーグループは色々準備が出来ていません。

 

ダドルストンは「ユニフォームを用意する時間もほとんどなかった」としていますが、大きな問題として、ホームとして適当なアリーナがありませんでした。

 

この当時の市長やその他関係者はロケッツに対して協力的だったんですが、この頃ヒューストンで最も大きかったザ・サム・ヒューストン・コロシアムの使用を、施設の老朽化を理由にロケッツが拒否。

新アリーナの建設が計画されることとなり、ひとまずホフハインツ・パビリオン(ヒューストン大)とアストロドーム(MLBアストロズのホーム)が暫定ホームとなります。

 

また、移転が突然&急に決まったため、来るシーズンのスケジュールが”ロケッツがサンディエゴにいる想定で作られている”という問題もありました。

 

アリーナとアクセスの問題から、来るシーズンのロケッツは、サンアントニオ、ウェイコ、エルパソ、サンディエゴでもホームゲーム?を行います。

 

【移転後の人事】

 

トビー・キンボールをバックスへ放出(売却)。

ジョン・ブロックをバックスに出して、ディック・カニングハムを獲得。

ジョンQ.トラップを解雇。

 

カニングハムは6フィート10インチ・245ポンドのC。

68~69シーズンにバックスでデビューし、ここ2シーズンはルー・アルシンダーの僅かな休憩時間を稼ぐバックアップでした。

スタッツ的には、ブロックと1対1で釣り合う選手ではありません。