今日、臓器移植法案改正A案が衆議院で可決された。
私は『脳死』が今後どのように定義づけられるのか
とても気にかけていたので大雨の車中のTVで
この一方を聞いた時とても複雑な気持ちになった。
私自身は
ドクターから『きわめて脳死に近い状態です』と宣告された家族の娘である。
一昨年の11月のこと、帰宅した時元気だった父がほんの数分後には
息苦しいからと救急車を求め
救急車を待ちながら私の腕の中で意識がなくなり
救急車到着時『心肺停止状態』となっていたけれど
蘇生処置をしていただき、心臓の動きが戻ったのに
低酸素脳症となり、ずっと意識が戻らなくなってしまった。
最初は人工呼吸にもお世話になったけど
ちゃんと自発呼吸もできるようになった。
脳幹反射こそ二度の検査でやはりないと判断されたが
私たち家族は奇跡を信じて
色々と調べました。
機能障害がたとえ残ったとしても
意識が戻ってくれさえすれば…。
あの当時は毎日ICUに通い、
そして、音楽や家族の声を録音して持って行き聞かせてあげたり
筋肉の衰えを防ごうと手足のマッサージをしました。
ICUの待合室の前の廊下に
臓器移植のポスターとカードが貼ってあったことに
なんて無神経な病院だろうかと
心が傷つきました。
家族は一生懸命で、看護スタッフも笑顔で看護してくださいました。
でも、たくさんの管で機械につながれ、
それが異常を告げる音を出しても
日常茶飯事のことであり、なかなか来てくれないことに
何度もいらだちを覚えました。
幸せだった日常から突然地獄に突き落とされた毎日は
弱い精神力の自分との闘いでもあり
小さな望みでも絶対見逃さずにつかまえると誓い
自宅に帰っては朝方まで何か良い治療実験を実施している病院は
日本のどこかにないだろうかと探しまくりました。
事故で遷延性意識障害となった場合は
数年後でも戻る可能性はあるらしいけれど
呼吸が停止し、酸素が脳に供給されない状態を経ての
遷延性意識障害についてはかなり難しいとの感触で
それでも大阪に取り組むドクターを見つけて
直にお電話でお話を伺い
受け入れをお願いしたのですがお返事は
「期待に添えない」とのことでした。
それでも、その先生からお聞きしたことや調べたことを
できる限り私は父の病室に持ち込みました。
担当のドクターは諦めることも考えるようにと
多少は言葉を選びながらも私たちに伝えてきます。
それを断固跳ねのけ、どんな道でも探ると答えました。
家族がどのような厳しい状態であっても
そのぬくもりが消えない限り
死だと受け入れることができるでしょうか!
結局、父は一度も意識を取り戻すことはなく
翌月のクリスマスに息を引き取りました。
ずっと寝たままで過ごしたため
臓器が悪くなってしまったのです。
父が亡くなった後、主治医に言われました。
「よく長く頑張られましたよ」
ほら!とっくに死んでたと現場では判断したのではなかったの?!
だから、痙攣してても何もしなかった。
そして、「あの痙攣はなんですか?」と私が質問した時
「あの痙攣が起こっている時は脳細胞が死んでいる時です」と
答え、そしてその後痙攣を抑えるお薬を処方したように感じたけど?!
高酸素療法や低温療法なども提案したけど
積極的に肯定するお返事はもらえなかった。
そして、臓器を提供せよと
これ見よがしにポスターを貼ってたのではなかったの?!
お世話になった感謝を伝えながら
心の半分ではつかみかかりそうな気分になったことは
当時の私の正直な気持ちです。
医療の現場で感じたことは
難しくても積極的に命を救おうとすることよりも
現状ではとても難しいんだよと説得する現場に感じたのは
私だけでしょうか…。
ただ、もし
私が子供を産み、その小さな子供がとても大きな病気を抱え
そして、臓器移植により助かる望みがあるのならば
なんとしても救いたいと考えるでしょう。
もし、移植を待つ病院のベッドに付き添っていれば
運び込まれる臓器を待ちながら
そんな自分を嫌な人間だと思うのでしょう。
それでも、自分の命と引き換えにできない現実があるからこそ
そんな自分になれるのだとも思います。
それが愛ある人間なんです。
まだ死んでいない人の臓器をパーツに救うとすれば殺人となるから
だからこそまだ温かい人を死んでいると無理に判定するのは
間違っているように思います。
私は子供の頃近所の教会の日曜学校に通っていたことがありました。
その時、若い男の先生が、近い将来目が見えなくなる病気を
患っておられましたが、
そんな不幸を感じさせない、とても明るい先生でした。
私の担当の先生は、ご年配の優しい女性でした。
その女の先生がある日ふと漏らしました。
「私の命の炎が消える時まで彼の目がもってくれたら
私の目をあげられるのにねぇ…」
この優しいつぶやきに小学生の私は震えました。
人ってなんて優しくなれるんだろうか…。
過去にこんなドラマだったか映画だったかを見たことがあります。
ある夫婦が離婚し、その一人息子が移植を必要とする病気になります。
血液型が合うドナーが見つからず少年はドナーを待ち続けます。
それはあげれは命を失う臓器ではありません。
そして、別れた両親が話し合い
もう一人、他人よりドナーになれる確率の高い兄弟をつくってあげようと
ベッドを共にすることにします。
そして、産まれた弟がドナーとして選ばれ兄の命を救います。
後に兄はそれを知って自分を責めますが
弟は「生まれてきてよかったんだよ」と笑顔を見せハッピーエンドです。
私はこれを見てとても泣きました。
人が人の命を救えることは素晴らしいこと。これも素直な感情です。
でも…。
答えは出ないのですが
この法案がきちんと決まったら
人の死の定義が変わります。
ひとつだけ切に願うのは
どちらの命も医療の現場で諦めないでほしい。
もうどうせアカンでしょうみたいに努力を止めることはやめてください。
誰もが愛されているのだから。
小夜子@o(・"・。)β。.:*・゚☆.。.:*・
(もし、私の文章を見て
嫌な気持ちになった方がいらっしゃったら
本当にごめんなさい…
今の私の正直な感想です)