カルロスは


何を思うか


除夜の鐘 沢蟹
なんか書け!と言われたので、とりあえず生きてる証明に書く沢蟹です(苦笑)


サウジアラビアのジャーナリスト殺害について、『一転して関与を認めた。キリッ!』や『一転して計画性があったことを認めた。キリッ!』って報道していますが…

まぁ確かにサウジさんサイドの言い分には無理があるんですが、それでもエルドアンさんが『計画性があった』という発表に『ダミーを出してるから計画性があるのは明白』みたいなのはどうかと(笑)

コレね、サウジ側が計画性認めたから無かったみたいになるんですが、サウジ側の最初の話でも『計画性』はあって、『薬打ってでもサウジに連れ戻す』ってトコがアウトでしょう(笑)

つまり、今回は『サウジが計画性を認めた』というのも『そもそも無理矢理でもサウジに連れていく、無理ならポア』って計画だったのであって普通に考えてトルコで殺害するよりサウジに持ち帰りしてポアの方が計画性あるでしょうに…

だから『ダミーを出してるから計画性がある』というのは『拉致計画』でも有り得るのであって『殺害計画』でも『計画性がある』とはなり得ないんですね。今回『一転して認めた』計画性も『殺害ありき』と認めてるんでもない『偶発的はチョット無理かも。テヘッ』って話ですからね。

で、話変わって自称ジャーナリスト無事解放の件。コレがまたテキトーなコト言っちゃうんですよ(笑)

新聞協会が『自己責任論に苦言を呈する』みたいな表明してるんですが、何を根拠に『言論の自由』を新聞協会が制限出来るのかと(笑)

まぁ、新聞協会としては『苦言という言論だ!』って理屈でしょうけども、それなら政治家の『苦言』も『言論の自由』には含まれないのかと(笑)

政治家の『言論の自由』に制約を加える権利がメディアにあるのならば、メディアの『言論の自由』に一国民が制約を加える権利があっても良い理屈。

そんな権利などありはしないのだから…


下らぬ表明はするな 沢蟹
本当は藤井七段誕生を書きたかった沢蟹です。

さて、日大アメフト問題が騒動になっていますが、相変わらずトンチンカンな報道(言論)をしているメディアとソレに釣られて如何にもなコトを言ってる弁護士先生を見ていると、ヤッパリ何か言いたくなる(笑)

コノ問題、スポーツ云々で自称なんとかに詳しい専門家に解説させて、スポーツ界に蔓延する体質がどうたらとか言ってますけどね…

とある企業の営業部長が部下に命じてライバル企業のキーマン闇討ちさせてコンペに参加出来なくさせた話ならどうでしょう?

コノ事案は白昼堂々衆人の目の前で起きていますが。

普通に傷害罪と教唆ですよね。ホントに教唆が成立するかは司法判断に依るしかありませんが…

ソレを全く言及せずにスポーツの問題にして『重大反則』という言葉を用いて報道する。

そういうスポーツを特別扱いするコトがスポーツ界の体質を作る温床になっているのだと思うが、そういう視点を誰も提起しない。

一般社会とスポーツ界に別の基準を設けるコトが、一般社会との乖離になるというのに…


スポーツマンシップとかは久光製薬にでも任せとけ 沢蟹
果たして壁は在るのか問いかける沢蟹です。

何度も『括るなよ!』と言ってきた私ですが、自分と価値観の異なるヒトタチに『ワタシタチは~』みたいな言い方されるとモヤモヤしたりムカムカしませんか?

私はします(笑)


では、『私タチ』とソレ以外である『彼ラ』は単に価値観によって分かれるのか?というとそうでもない。単に所属する集団によって『私タチ』は成り立ちますし、集団の中でも『私タチ』という(部分的)集団は成り立ちます。

さて、遅ればせながらの新年エントリーで触れたんですが、アメリカ人ユーチューバーの問題で、『そういう輩は次も出る』とは思いますが、集団間の軋轢にはならないと思うんですね。ココでいう集団とは一般社会とユーチューバーではありません(笑)

日本人である『私タチ』とアメリカ人という『彼ラ』の間です。つまりアメリカ人という『彼ラ』の中の異分子が『私タチ』と同様に批判されるなら、『私タチ』にとっても『彼ラ』にとっても異分子であり、今後の異分子が生じるコトはあっても集団間の問題にはならないんです。

ところが、『私タチ』にとっては異分子に見える存在が『彼ラ』の間では肯定される存在ならば、ソレは異分子の問題では無く、『私タチ』と『彼ラ』の間の問題として生じ続けるという違いがあるのです。

『日本人に対してなら許される』という基準がある集団とは軋轢は続くという話ですね。

ちなみに『そういうのはネット上ダケで公言はしてないダロ』みたいな意見もありますが、ネトウヨというレッテルありますが、ネトウヨのネット上ダケの存在ではありませんしネットの外に実体があります。また、『そういうのはネットだから言ってるダケで~』みたいなのもありますが、ソレって『本音と建前』っていう日本人特有の悪習(笑)なんではありませんかね?

つまり相容れない価値観を持つ『私タチ』と『彼ラ』は継続して軋轢を持ち続けるんです。

更には同じ日本人の中にも『私タチ』と『彼ラ』は存在し、そういうのは特定の事案についての主義主張を見るにつけ、『あ~、こりゃ価値観違うわ~』って認識するコトにより、『彼ラ』は『私タチ』ではないとなるんですね。


相容れなくなるんです 沢蟹
ま、まだ松はとれてないし…と口走る沢蟹です。

『おめでとうございます』で始めたいんですが、年末年始から生きるか死ぬかみたいな状況でして…

いや、私じゃないんですが、そういう正月を祝う状況では無かったんですが、とりあえず小康状態になりまして、改めて新春のという気持ちなんですね。とはいえ、明日も仕事初めは半日で切り上げて今後の話をしないとならんのですが。

まぁ隙あれば自分語りはさておき、世の中イロイロありますね。

浜田さんが人種差別で世界に発信(笑)なんてコトありましたが、まぁコレは批判一色でもなくって、世界的にみてリベラルメディアへの反感って結構表面化してきているってコトなんでしょう。

また、アメリカ人ユーチューバー(笑)が大炎上してますが、動画見ちゃうと思う壺になるんで反応に対する感想になるんですが、殆どが批判一色であって安心というかこういう輩は必ず出てきますが都度叩かれるって話ですから、どうってコト無い話ではあります。ただ、気になるのは『アメリカ人が全てこういうヤツでは無く、大多数のアメリカ人はそうではない。アメリカ人として日本に謝りたい』みたいな話は別に謝って欲しいとも思わないんですが、そういうアメリカやヨーロッパでムスリムが問題起こした場合に『全てのムスリムが…』みたいな話には納得してないヒトタチが多く存在する事実は対立の根深さを表しているんでしょう。

そして、某経済評論家のDV事件が起きましたが、コノ件ですが個人的には残念でも何でもないコトではあるんですが、問題としては日馬富士暴行事件に類似していて、より再発性が高いという事例です。

ちょうど書こうと思ったら当人がブログ更新してましたが、内容が日馬富士の引退会見と同じでチッとも悪いと思っていない(苦笑)

更に言うと、日馬富士は『後輩の指導であった』という正当性は主張をしても『殴ったのは悪かった』とは言ってるんですね。

ところが、評論家さんは『平手で殴りましたが夫婦喧嘩ですから』と殴ったコトすら反省していない(笑)

なんですかね、ビール瓶でなきゃセーフみたいな言い訳みたいな情報が盛んに流れましたが、そういう話なんですかってコトですよ(笑)


噛まなきゃセーフみたいな…

春風亭昇太かよ 沢蟹