入院前の祈願巡りも最後になった。5月31日は天候も良く標高の高い山でもいい天気だった。
高野山ケーブル駅をあとにして、大門行きの南海りんかんバスに乗り込んだ。乗客は僕以外は若い女性一人だけで、予想通りだった。ほとんどが奥の院前行きに乗る。最近は寺院仏閣の仏像に興味を持つ女性、いわゆる仏女がブームと聞く。一眼レフの望遠レンズを備えたカメラを片手に京都奈良の寺社を回る。御朱印帳に集印するのもよく見る。歴女と合わせて歴史に興味を持つ女性が増えているのは、間違いない。非常にいいことだ。
1705年に再建された大門は、間口5間3戸総2階建てで、両サイドには仁王様が睨みをきかせている。東大寺に次ぐ日本第2位の大きさだという。門に入る前にふと前の道路の対面にある看板に目がいった。高野山町石道とある。読んでみると、ここからはるばる九度山の慈尊院というお寺までは石道が整備されていて、ハイキングコースになっている。しかし総距離22km、高低差400m、健脚で約6時間かかる道のりだ。あとで聞くと九度山の慈尊院はかつての空海の母君がおられて、高野山で修行中の空海は、月に9度もこの道を通って母君に会いに行かれていた。このことから九度山という地名になったという。しかし、この急坂の往復を月のうち9度も登り下りするとは、弘法大師様も相当な健脚なのであろう。おそれいった。
さあ、大門から奥の院弘法大師祖廟まで約5kmは、歩くことにした。途中で念願の中門も見ることができる。金剛峯寺は以前に行ったので今回はスルーする。12時前だが食事をしようと、目をつけていたつくも食堂の釜飯にありつこうと行くと、団体客で満員で涙を飲む。そこで以前にお土産を買った角濱ごまどうふ店の途中にあった蕎麦屋に行くも、営業しておらず、またまた落ち込む。仕方なく、東へ足を進めて中門に着いた。以前来た時は、礎石跡があっただけが、それに隣接して見事な中門が再建されていた。
柱間5つ戸口3つ、5間3戸の総檜皮葺の鎌倉時代の姿を推定して再建され、高野山の檜が約1,500本使われたようで、約50人の専門職人が携わった。前に立つと朱塗り新たな堂々とした姿に荘厳な気分になる。自分も少しは関わった仕事なので、感慨深い。初めて四天王像が納められ、新しく制作された広目天と増長天にはセミとトンボのブローチがついているのには、驚いた。これにもちゃんとした意味がある。
名残惜しくも中門を後にして、さらに東へと足を運んだ。比較的平坦できれいに整備されたアスファルト道路と歩道なので、軽快に歩けた。道路の両側には多くの寺院があり、高野山全域には全部で120もの寺院が宗教都市を形成している。実際、観光客以外では住民よりもお坊さんの方が多いのではないだろうか。そこら中に袈裟をまとったお坊さんが歩く姿を見かけた。曲がり角に食堂があったので、時間も押してきたこともあり入ったら、外国人が半分以上いた。ちょうど相席でカナダからきた大学生と日本の学生と3人になった。お茶や水は自分で汲みに行く。カナダの学生はうろうろしていたので、
Tee is self Service!
と日本語英語を言うとどうやら通じたようで、器用にほうじ茶を入れていた。そのあとは、前の日本の学生が触発されたのか、立派な英語で会話して私は聞き役になった。他にも3組の外国人グループがいて、英語が飛び交う空間になった。田舎の食堂でこんな経験も珍しいなぁと思いつつ、よくある味の親子丼をかきこむと、店を後にした。
しばらく東へ歩くと一の橋にたどり着いた。ここは正式な奥の院の入口にあたる。もう一つの入り口である中の橋は、バスで行くと奥の院前の終点で降ろされるが、そこから入ると貴重な墓碑を見逃すことになる。一の橋は結界の入口だという。実際、そこから風景ががらりと変わり、巨大な杉の大木が林立する中に、無数の石塔が並んでいる。大木杉の緑の隙間から突き刺すような光を受けた巨大な石塔群が、長い年月を物語る。雨水をしっかりと蓄えた苔が石塔を覆い、異様に澄んだ空気に囲まれる。まさにここは現世の世界にある結界だと感じた。
通路は石畳で整備され参拝しやすい。参道の両脇には数え切れない墓碑が建っている。~~家の墓が多く、地方の有名武家なのだろう。戦国時代の大名の墓碑もほとんど見られた。一人の坊さんが前から歩いてきた。自分の中の汚れた心が見透かされたような気持になる。一つ一つの墓石にその時代を真剣に生きた人々の魂が込められているのかと思うと、身が清められる思いだ。約2km歩くと大師御廟の入口にかかる御廟橋に着く。ここから先は本当の聖域であり、写真撮影も不可である。大師御廟では神妙に病気平癒を祈願して、中の橋方向に戻ることにした。こちらのルートは、各企業の慰霊碑が多くある。杉の木からは外れていて、太陽の光がまともにあたり、汗が出るほどだった。
中の橋を渡ると広いバスロータリーになり、高野山駅行きのバスに乗り込んだ。帰りは接続がうまくいって、ケーブルで降りたらまもなく特急こうやに乗ることができた。四両編成で走行も快適だった。特急料金710円がかかるのは仕方ないか! 橋本で乗り換えることなく、最短で帰宅の途につけた。途中外国人の団体さんが反対方向の列車に乗っていた。これからの時間では、おそらく高野山の宿坊に泊まるのだろう。精進料理や仏教の雰囲気を存分に味わえることだろう。
全歩行距離は8km程度だったが、平坦な道が多く立寄りも多かったので、体力的には問題なかった。これで歩け歩けはしばらくおあずけで、入院しての本番の治療に向けて心を新たにすることにする。