やっと、抜けた(笑)
最近ずっとモヤモヤしてたの。
私は自分の心が着地できないと、ソワソワして前に進めないの。
そうなるとね、重なるよね。ちょっとしたトラブル?が。
発送ができなてなかったり、ちゃんと説明ができてなかったり
そのことによってお客様のとのやり取りで気が付かせてもらったり。
(間違ってますよって教えてくださったお客さま本当にありがとう。)
ずっと、ソワソワしてた理由はね、
私はいったい何が楽しいのか?なんだ。
度々、自分の中の壁を壊そうとする時に向き合わされるこのテーマ。
私ね、超楽しいって思う時って
魂が震える時なの。
それって、どういうことかというと
例えば、美味しいもの食べて超楽しいって感じられないし
どこか行っても超楽しいって感じられないし、
もちろん普通に楽しいは感じられるけど。
その「行動」のみに対して超楽しいと思えないのよ。
でも、その中に心が通うものがあったり、その奥に私が大切にしたいと思ってるものが同じようにあると感じた時に、奥深くのなんだろうな・・・それを言葉で説明する術を私は持ってないけれど、それがある時は超楽しいと思う。
そして、一番の楽しいは
人の心の中に光が入った時。
もう一つは、宇宙や神様がシンクロしていろいろ教えてくれる時。
この瞬間は、超絶楽しい。
最近モヤモヤしてたのは、自分を満たすという事が自分にとってどういう事なんだろ?と再確認に入ったから。
先日、友人が亡くなるという事が起こって、その中でだいぶ葛藤した。
でも、行こうと思った瞬間から彼を蘇生できると思ってた。おこがましいけど。
何度も自分のエゴじゃないかと確かめたけれど、どこからともなく湧く思い。
私は必ずできる。蘇生できる。
って。それは、過去に凄く深い所に働きかける気功整体を学んだからでもある。
人の奥深くに流れる気を感じ取れるようになったから。
その先生との出会いは人間の深くを知ることになった。
あの時に学んだのは、必要だったから。こうして必要だったから。
そして、私の中に、人間の可能性の絶対の信頼がある。
これはことだまを学んだ時から。お客様がたくさん見せてくれた。教えてくれた。
そして、私のことだまの周波数はDNAに働きかけると教えてくれる人がいた。
施術した次の日もDNAが喜んでたと。だから、おこがましいけれど、私のことだまは深くに届くと信じてた。
それでも、彼の命は終わってしまったけれど、神様のサポートを頂いて全く動かなかった彼が動けるようになった事実は変わりない。脳が少し回復した瞬間が分かったから。
それって凄い事だと思うの。私の魂と彼の魂がきっと約束をしていて、それが起こせたのだと思う。
でも、人間だからね、怖さもたくさん出るの。
病院でそんなことしちゃったよ。とか、ご家族の付添生活のご負担になったんじゃないかと。生死をコントロールするようなことしてお前バカか・・とか。←もちろん、私がコントロールなんて出来るもんではないんだけど。でもそれを起こす行動をしたことには違いない。
喜びが大きい分、反対の怖さも同じだけきた。
動いた瞬間、心の中で、よしっ!!というガッツポーズと同時に同じだけの恐怖っていうのがきた。
だから、お母様からお電話をもらった時に安心したんだ。魂が震えたんだ。
またひとつ自分の壁を乗り越えれた事に安心し、そしてお母さんや妹さん、友の愛を感じ、魂の喜びを感じたの。
でも、そんなに大きな愛を頂いて、魂が震えるような思いを経験させてもらったのに、自分の人を認められない小ささや、偏った考え方や思い癖がどうにもならんっていう出来事も同時に起きて、
私、こんなに大きなプレゼントをもらったにもかかわらず、それが活かせないかもしれん。自分を信じろって言ってくれたのに、でも、それができひんかも知れん。ニュートラルな考え方も、そんなのも出来んかも知れんって自分を責めたりもして。
先日、「凄い」と言われるだろう人と、お茶をする機会があった。
何が聞けるんだろうと思って楽しみに行ったけど、
超絶つまらなかった。
その人の話は、
〇〇さんはこんなことしててね凄いでしょう~
って、人の話の連発だったから。
そして知識だけの話だったから。
全然面白くなかった。
その人には「あれ」がなかった。
脳内には、
「だから?それで?その先は?それで終わり?」
を連発した。
人の価値観はそれぞれだけど、私はその人の楽しいことは全然楽しいと思えなかった。深さを全然感じられなかった。何だかわからないけれど寂しさだけが残った。
佐織里の「好き」や「超楽しい」は、一人では成立しない。そして、魂の近くで震えることだから、なかなかその超楽しいは起こらない。
そこがね、ずっとモヤモヤしていたの。
だって自分を満たしなさいって、自分自身だけでは満たすことが出来ないんだもん。
先日、フェイスブックで洋服を作った~という投稿をみた。
不器用な佐織里は、凄いな~って思った。洋服ってこんなにすぐできちゃうのか。自分の「好き」をしたんだな~って。面白かっただろうな~って。
でね、その投稿を見た時に気づいたことがあった。
洋服を作りたいって、布があるから成立するよね。
糸があるから、洋服になるよね。そしてその作る過程が楽しいんだよね。きっと。
もちろん、布がなくて新聞紙だとか(笑)、
糸がなくてガムテープとか、究極そういう方法もあるだろうけど、
資材があって洋服って作れるんだ・・と思ったの。
私が洋服を作りたいって思っても、そこに何も材料がなかったら作れないんだ。
ということは、
佐織里は人の心に光が入った時や、何かモヤモヤした時の答えをシンクロで教えてもらった時に楽しさを感じるから
洋服を作る時に布や糸が必要なように、
私の「好き」「超楽し」をするには、絶対一人ではできない、「他人」が必要なんだ。
な~んだ。私の好きって一人じゃ絶対出来ないことなんだ。
自分の好きを探してモヤモヤしてたのは、私だけじゃ完結できないからだったのか(笑)
魂の近くで心が震える瞬間っていうのがあるの。
その人の魂がね、佐織里にそこを開けてもらうって決めてきてる。
そのタイミングが合致したときは、深いところで癒しが起こる。
その日から見える世界が変わるような。
私はそれがしたい。それが超楽しい。
モヤモヤしてる最中にね、話をしてて言われたことがある。
「人に濁ったところがないとか、矛盾がないとか思ってるの?完璧な人なんていないやろ。そんなのが、あると思ってるの?」
って。
その時に、言葉として発することはなかったけど、出てきた言葉は
「完璧な人なんていないけど、でも、みんなの魂の奥にあれがあったらそういう世界はできるもん。」
だった。
自分でもその言葉にびっくりした。
なんてメルヘンチックなこと言ってるんだろう・・・と。
でも、きっとこれ魂の記憶だな。
そんな所に住んでたことがあるんだな。
私は嘘がつけない。いや、嘘はつくよ。ちょっとした嘘は。
自分の想いに嘘はつけない。
自分をごまかした時に、最後に魂が泣く。
だから、やっぱり、いつだって最後は嘘がつけない。
でも、とことん自分のそれを信じて貫いてやろうと思う。
だれが何を言ったって、偏った考えかただとしても、貫いてやろうと思う。
でも、人にそれをまだ求めてしまうからモヤモヤするのよね。攻撃しちゃうときもあるのよね。
佐織里は相当小さい奴かも知れない。いや、かなり小さい奴かも知れない。
でも、それでいいや。
偏りも偏見も思い込みもたくさんあるけれど、ややこしいやつだけれど、私はそんな佐織里が大好きだったりもする。
でも、人の魂の輝きを取り戻したり、光を入れたりすることに関しては
プロでいよう。そこは絶対手を抜かない。とことん突き詰める。
それが私の超楽しいことだから。
とことん自分に戻っていくような講座、これから始めます。
まだ、完成してないけれど。。。
講座をするっていう事は、私は先生という立場になると思うんだけど
目指すはこれ。
スクールウォーズ泣き虫先生。一緒に笑って、一緒に泣ければいいなと思う。
私にとって、心のセッションに来てくれる方は
「お客さん」
ではないんだ。
魂の仲間なんだな。
最近ずっとモヤモヤしてたの。
私は自分の心が着地できないと、ソワソワして前に進めないの。
そうなるとね、重なるよね。ちょっとしたトラブル?が。
発送ができなてなかったり、ちゃんと説明ができてなかったり
そのことによってお客様のとのやり取りで気が付かせてもらったり。
(間違ってますよって教えてくださったお客さま本当にありがとう。)
ずっと、ソワソワしてた理由はね、
私はいったい何が楽しいのか?なんだ。
度々、自分の中の壁を壊そうとする時に向き合わされるこのテーマ。
私ね、超楽しいって思う時って
魂が震える時なの。
それって、どういうことかというと
例えば、美味しいもの食べて超楽しいって感じられないし
どこか行っても超楽しいって感じられないし、
もちろん普通に楽しいは感じられるけど。
その「行動」のみに対して超楽しいと思えないのよ。
でも、その中に心が通うものがあったり、その奥に私が大切にしたいと思ってるものが同じようにあると感じた時に、奥深くのなんだろうな・・・それを言葉で説明する術を私は持ってないけれど、それがある時は超楽しいと思う。
そして、一番の楽しいは
人の心の中に光が入った時。
もう一つは、宇宙や神様がシンクロしていろいろ教えてくれる時。
この瞬間は、超絶楽しい。
最近モヤモヤしてたのは、自分を満たすという事が自分にとってどういう事なんだろ?と再確認に入ったから。
先日、友人が亡くなるという事が起こって、その中でだいぶ葛藤した。
でも、行こうと思った瞬間から彼を蘇生できると思ってた。おこがましいけど。
何度も自分のエゴじゃないかと確かめたけれど、どこからともなく湧く思い。
私は必ずできる。蘇生できる。
って。それは、過去に凄く深い所に働きかける気功整体を学んだからでもある。
人の奥深くに流れる気を感じ取れるようになったから。
その先生との出会いは人間の深くを知ることになった。
あの時に学んだのは、必要だったから。こうして必要だったから。
そして、私の中に、人間の可能性の絶対の信頼がある。
これはことだまを学んだ時から。お客様がたくさん見せてくれた。教えてくれた。
そして、私のことだまの周波数はDNAに働きかけると教えてくれる人がいた。
施術した次の日もDNAが喜んでたと。だから、おこがましいけれど、私のことだまは深くに届くと信じてた。
それでも、彼の命は終わってしまったけれど、神様のサポートを頂いて全く動かなかった彼が動けるようになった事実は変わりない。脳が少し回復した瞬間が分かったから。
それって凄い事だと思うの。私の魂と彼の魂がきっと約束をしていて、それが起こせたのだと思う。
でも、人間だからね、怖さもたくさん出るの。
病院でそんなことしちゃったよ。とか、ご家族の付添生活のご負担になったんじゃないかと。生死をコントロールするようなことしてお前バカか・・とか。←もちろん、私がコントロールなんて出来るもんではないんだけど。でもそれを起こす行動をしたことには違いない。
喜びが大きい分、反対の怖さも同じだけきた。
動いた瞬間、心の中で、よしっ!!というガッツポーズと同時に同じだけの恐怖っていうのがきた。
だから、お母様からお電話をもらった時に安心したんだ。魂が震えたんだ。
またひとつ自分の壁を乗り越えれた事に安心し、そしてお母さんや妹さん、友の愛を感じ、魂の喜びを感じたの。
でも、そんなに大きな愛を頂いて、魂が震えるような思いを経験させてもらったのに、自分の人を認められない小ささや、偏った考え方や思い癖がどうにもならんっていう出来事も同時に起きて、
私、こんなに大きなプレゼントをもらったにもかかわらず、それが活かせないかもしれん。自分を信じろって言ってくれたのに、でも、それができひんかも知れん。ニュートラルな考え方も、そんなのも出来んかも知れんって自分を責めたりもして。
先日、「凄い」と言われるだろう人と、お茶をする機会があった。
何が聞けるんだろうと思って楽しみに行ったけど、
超絶つまらなかった。
その人の話は、
〇〇さんはこんなことしててね凄いでしょう~
って、人の話の連発だったから。
そして知識だけの話だったから。
全然面白くなかった。
その人には「あれ」がなかった。
脳内には、
「だから?それで?その先は?それで終わり?」
を連発した。
人の価値観はそれぞれだけど、私はその人の楽しいことは全然楽しいと思えなかった。深さを全然感じられなかった。何だかわからないけれど寂しさだけが残った。
佐織里の「好き」や「超楽しい」は、一人では成立しない。そして、魂の近くで震えることだから、なかなかその超楽しいは起こらない。
そこがね、ずっとモヤモヤしていたの。
だって自分を満たしなさいって、自分自身だけでは満たすことが出来ないんだもん。
先日、フェイスブックで洋服を作った~という投稿をみた。
不器用な佐織里は、凄いな~って思った。洋服ってこんなにすぐできちゃうのか。自分の「好き」をしたんだな~って。面白かっただろうな~って。
でね、その投稿を見た時に気づいたことがあった。
洋服を作りたいって、布があるから成立するよね。
糸があるから、洋服になるよね。そしてその作る過程が楽しいんだよね。きっと。
もちろん、布がなくて新聞紙だとか(笑)、
糸がなくてガムテープとか、究極そういう方法もあるだろうけど、
資材があって洋服って作れるんだ・・と思ったの。
私が洋服を作りたいって思っても、そこに何も材料がなかったら作れないんだ。
ということは、
佐織里は人の心に光が入った時や、何かモヤモヤした時の答えをシンクロで教えてもらった時に楽しさを感じるから
洋服を作る時に布や糸が必要なように、
私の「好き」「超楽し」をするには、絶対一人ではできない、「他人」が必要なんだ。
な~んだ。私の好きって一人じゃ絶対出来ないことなんだ。
自分の好きを探してモヤモヤしてたのは、私だけじゃ完結できないからだったのか(笑)
魂の近くで心が震える瞬間っていうのがあるの。
その人の魂がね、佐織里にそこを開けてもらうって決めてきてる。
そのタイミングが合致したときは、深いところで癒しが起こる。
その日から見える世界が変わるような。
私はそれがしたい。それが超楽しい。
モヤモヤしてる最中にね、話をしてて言われたことがある。
「人に濁ったところがないとか、矛盾がないとか思ってるの?完璧な人なんていないやろ。そんなのが、あると思ってるの?」
って。
その時に、言葉として発することはなかったけど、出てきた言葉は
「完璧な人なんていないけど、でも、みんなの魂の奥にあれがあったらそういう世界はできるもん。」
だった。
自分でもその言葉にびっくりした。
なんてメルヘンチックなこと言ってるんだろう・・・と。
でも、きっとこれ魂の記憶だな。
そんな所に住んでたことがあるんだな。
私は嘘がつけない。いや、嘘はつくよ。ちょっとした嘘は。
自分の想いに嘘はつけない。
自分をごまかした時に、最後に魂が泣く。
だから、やっぱり、いつだって最後は嘘がつけない。
でも、とことん自分のそれを信じて貫いてやろうと思う。
だれが何を言ったって、偏った考えかただとしても、貫いてやろうと思う。
でも、人にそれをまだ求めてしまうからモヤモヤするのよね。攻撃しちゃうときもあるのよね。
佐織里は相当小さい奴かも知れない。いや、かなり小さい奴かも知れない。
でも、それでいいや。
偏りも偏見も思い込みもたくさんあるけれど、ややこしいやつだけれど、私はそんな佐織里が大好きだったりもする。
でも、人の魂の輝きを取り戻したり、光を入れたりすることに関しては
プロでいよう。そこは絶対手を抜かない。とことん突き詰める。
それが私の超楽しいことだから。
佐織里に注意。たまに噛みつかれる時もあるからね。
とことん自分に戻っていくような講座、これから始めます。
まだ、完成してないけれど。。。
講座をするっていう事は、私は先生という立場になると思うんだけど
目指すはこれ。
スクールウォーズ泣き虫先生。
私にとって、心のセッションに来てくれる方は
「お客さん」
ではないんだ。
魂の仲間なんだな。