あの日の朝の事をはっきりと覚えている。


一年前のちょうど今日だ。


私は母と7月1日の朝を迎えられた事に
少し安堵していた。



緊張は続いていたけど、
6月をやっと終えられたと
新しい朝に感謝した。



「うちは昔から6月は良くないから
気を付けなきゃいけない。」

祖母がいつもそう言っていたからだ。





症状や痛みが激しくなるのは
大体深夜で、
外が白んできた頃に
少しだけ眠ってくれた。



今日は落ち着くのが、
随分遅かったな…


ほっとした頃には8時を過ぎていた。




病院ではなく
姉は在宅医療を受けていたから
私と母は24時間
ずっーと寄り添っていられた。


布団を3人分敷いて
そこで川の字になって一緒に寝ていた。


その日も
私はピタッと姉の隣にくっついて、
姉のお腹をゆっくりと撫でていた。



苦しそうになっても、
お腹をさすると、
また少しして眠りにつく。


だからずっーと
お腹に手を置いて動かしながら
少し うとうとっとしてしまった。




程なくして、
姉の呼吸がおかしくなってきた。 



私は2年前、
祖母の最後を
この家で看取った。



だから
息を引き取る時にどんな症状が現れて
何がどうなるのかを知っていた。



今考えると、あの時冷静に
観察出来ていなかった
だけなのだけど、



祖母のときのような
その最後の一連の症状が、
わたしには見て取れなかった。


多分無意識にその症状から
目を背けていたからだと思う。





姉の呼吸の間隔がだんだんと長くなる。



台所にいた母を呼んだ。

「先生に来てもらって!

姉ちゃん苦しそうだから
今すぐ酸素持って来てもらわなきゃ!」


母が急いで先生に連絡を入れた。


呼吸の間隔はどんどんと開いていく。



私は慌てて叫んだ。

「姉ちゃんの意思で戻って。
お願いだから。

まだやる事があるなら戻ってきて。
姉ちゃん!
ノリのところに戻ってきて!」


泣きながら耳元で叫んだ。


全く馬鹿な話かもしれないが、
私はこの時でさえ、
奇跡が起こる可能性を信じていた。


戻ってくるならここだな
奇跡が起きるならここだな、と。


だから戻ってきてくれと願った。



だけど一方で、
邪魔をしてもいけないとも思っていた。


もし、あちらに行く時に
私が邪魔をして
姉の魂が彷徨っても
困ると考えていたのだ。



私は無宗教で、
特定の何かを信じているわけでははないが

魂は輪廻すると思っている。

姉の魂があちらに行く時に
後ろ髪を引かれて
成仏出来ない事をわたしは恐れた。

だから

『意思を持って戻って』

という言葉になった。


最後の時なんて
考えるのも不吉だったから、
最後の瞬間に何と声を掛けるかなんて
考えたとこはなかった。




わたしの口から咄嗟に出たのは、

『やる事があるなら
自分の意思で戻ってきて欲しい』

だった。




今もそうだけど、
わたしは姉の幸せを願っていた。



数分後
先生と看護師さんが到着した。


階段を駆け上がってくる
その足音を聞きながら、



「先生はやくしてー!

姉ちゃんに酸素してー!

苦しいんだから早くしてよー!

お願いだからぁぁぁ!!」


姉の身体を抱きしめながら
わたしは懇願した。





人は最後息を吸って終わる。


祖母の時には確認した最後の呼吸を
私は見逃していた。


これもまた
無意識にその場面を拒否した
結果なのだろう。




先生は姉の身体を調べ、
一瞬口を結んで首を横に振った。


「姉ちゃんはね、
酸素がなくてももう楽になったから。

苦しくない世界にいったから、
もう楽なはずだよ。」

先生がそう言った。




姉は逝った。
自分の意思で行ったのだと思った。



「苦しくないんだよね?
今は楽なんだよね?

分かったよ。。。

姉ちゃんよかったね。
楽になって良かったね。」


姉の身体に私は話かけた。




そしてこの瞬間から、


私の心を覆うものは、



〝姉を喪う不安と恐怖〟

から

〝二度と会えない悲しみ〟

へと変化した。







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