【東日本大震災】被災地の今:福島県新地町20151212 | 三楽生会~かけがえのない大切なあなた(いのち)と共に歩む~

三楽生会~かけがえのない大切なあなた(いのち)と共に歩む~

『三楽生会』(さんがくしょうかい)のブログです。
日々の活動や、様々な情報を掲載していきます。
一緒に三重県で楽しく生きていきましょう。

被災地の今、第9回は福島県新地町です。


被災報道でもあまり耳や目にしていないと思いますので、その位置を説明します。


新地町は、福島県の浜通り(海側)では一番北の方に位置し、宮城県との県境付近にある町です。


報道は、やはり大きな街に集中し、またその被害の大きな部分にスポットを当てます。


新地町も大きな被害が出ていて、海沿いは壊滅ですが、なかなか、大きく報道は、されませんでした。


そんな新地町の、今です。


まず最初に足を運んだのは、以前に駅があった場所。しかし、今は街の形は無く、大規模工事の真っただ中。工事通行止めで、近づく事すら、出来ませんでした。多くの建設機械や工事車両が、忙しく、動き回っていました。


今もなお、常磐線は復旧していません。相馬より北は津波の被害で、原の町より南は福島第一原子力発電所の事故の影響で。。。でも、相馬より北、つまり原の町から仙台までは、着実に復旧工事が進み、復旧開通時期も早まる予定だとか。この日も工事は続いていました。公共交通機関の復旧は、地元に元気を、活力を、産みます。早く、復旧できますように。。。


街部のはずれには、高く盛られた土が、まるで山のように、高く、そして広く、見られます。街の復興計画までは知らないので、工事に使われるのか、一部はかさ上げになるのか。。。いずれにせよ、この土の山を見るだけでも、その工事の規模の大きさが、伺えます。


そんな土山の近くには港があり、船が係留されていました。こうやって、ここから漁に、出て行っているんですね。でも、その港の堤体を、今も波は、乗り越えてきます。うまく写真がとれず、分かり辛いかもしれませんが、乗り越えた波で、堤体が濡れています。




その港を見守るかのように建っていた社。その社に続く階段や、付近のガードパイプの破損状況に、今もなお、津波被害の爪痕を、見る事が、できます。




少し走った場所では、堤体は無く、消波ブロックに押し寄せる波が、目の前で見れます。立ち上がるそのしぶきの高さ、荒れる海に、何を思えばいいのか。。。すぐ背中には、残っている家の基礎たち。。。そう、ここも、住宅地、だったんですね。。。




あまり耳にしない目にしない、そんな街でも、大きな大きな被害が、今も爪痕として、残っています。いや、爪痕だけではなく、その復旧すら、追い付いていないのが、現状です。何年経ったから、そんな時間で片付けられる物ではない、物も人も、大きな大きな、想いを、背負って、いるのです。誰かから伝えられる事だけじゃない、自分の目で耳で身体で、感じていただければ。お時間が許すなら、ぜひ、東北へ、被災地へ、足を運んでいただければと、思います。


ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。第10回も、どうぞよろしくお願いします。


もし、「今は足を運べないが、ここの場所の今が知りたい」というご希望がありましたら、お気軽にご連絡ください。blogやFacebookのメッセージのほか、Email:sangakusyoukai@gmail.com でも受け付けます。この『被災地の今』で、お伝えします。