さくらママの若年性乳がん記録 -6ページ目

さくらママの若年性乳がん記録

2012年、31歳でステージⅠ・ほぼトリプルネガティブの乳がん発覚。色々と迷った結果、鹿児島のUASオンコロジーセンターでピンポイント照射治療を受けました。
幼い娘もいるので、まだまだ元気でいようと思ってます!


病院に連絡すると「そうですか」とあっさり。
正確に言うと、キャンセルを申し出ると、
決心が出来ないなら一度仕切りなおして、延期にしましょうと言われました。
ほんとうにご迷惑おかけし申し訳アリマセン・・・・ぺこり
ただ、その病院の先生は、
手術・抗がん剤治療以外の方法には理解がないというか、
聞き耳持たず、という雰囲気あせる
手術・抗がん剤をしない限り、良好な関係は保つことができないと悟りましたあせる



一度手術をする覚悟はしていましたが、
予防のための抗がん剤がどうしても納得できていませんでした。。
けれど、ほぼトリネガの私は抗がん剤拒否は難しそうでした。
手術でシコリ部分を取るのは納得できても、
センチネルリンパ節生検でリンパをいくつかとるのも怖かった。
手術中に調べるから、
手術後目を覚ますまで、リンパ覚醒するかしないかわからないというのも・・・
乳がん手術をした方が、リンパ浮腫になり、
「乳房全摘よりも何よりもリンパ覚醒による浮腫が、日常生活に支障がありつらかった」
と話していたのが忘れられなかったのですあせる
リンパを覚醒したらリンパ浮腫になるリスクがあることは有名ですが、
よくよく調べると、センチネルリンパ節生検だけでもそのリスクはあるとか。
以前主治医の先生にそのことについて聞いたら、
「1割くらいねー。ま、そんなにないし程度も軽いよ。」と言ってましたが、
(実際のところ正確なデータはわかりませんあせる)
1割って結構多くない!?
自分がその1割に入ったら、もはや1割だろうが5割だろうが同じです。。
センチネルだけなら程度は軽いことが多いみたいだけど、
そういうリスクがあるってこと、聞かなくても話して欲しかったな・・・


当時の主治医には、
ただのビビリでワガママな患者と思われていたかもしれません。
手術もリンパ覚醒も抗がん剤も、“命がかかってるんだからしょうがいないでしょ”
という意見もあるかもしれません。
けどけど、その手術された方は、
先生に言われて全摘して、リンパとったけど再発したし、
抗がん剤したけど、再発したのです・・・

勿論、がんってそういうところが怖い病気なのだし、
リンパとってなかったらもっとひどくなってたかもしれない・・・
がんの治療って、“~してたら”“~してれば”を話しても、
結局どうなったか、わからないことが多い。
だったら、やっぱりせめて自分が「○○してたらなぁ」「○○しなければ良かったなぁ」と
後悔しないような治療を出来るだけ選びたい。


話はそれましたが、
今一度、抗がん剤をなるべく使わず、リンパ覚醒をしない方法を探しまくりました。。


両親は、手術を延期したと聞いて、
「どうするの?!あなたは若いんだから早くしないと!!」
と・・・・
そりゃ心配するよね・・・汗ワガママ娘でごめんなさい汗
けど、納得しないまま・流されるままに手術を受けようとしていた私には、
そのまま手術していたら、その後の治療を前向きに頑張る気力がなかったと思う・・


ずっと手術までの間、
「ステージ1だし」「温存できるし」「もう結婚してるからちょっとの傷くらい平気」
「沢山の人が頑張ってること」
と自分に言い聞かせてきましたが、後悔だけはしたくなかったから・・・・

もっと早く他の治療法を検討すれば良かったのかもしれないあせる
ただ、告知直後の時は、ラジオ波とか調べたものの、
不安な点も多くて、やめたのです。
その後は、もう手術しかないな・・という方向に気持ちが行ってました。

そして色々調べた結果、治療を受けてみたい、と思えたのが
鹿児島の“UASオンコロジーセンター”でした。

UASオンコロジーセンターも告知直後にちらっとHP見ていたけど、
“鹿児島?子供いるし無理だわー”とスルーしていたかと思います。
また、告知直後はそこまで有名ではなかったものの、
それから私がウダウダしてる間に、樹木希林さんがうけられた治療ということで、
ちょっと有名になり、ネットでの情報も少し増えてた(出てきやすくなった?)と思いました。
そして、センター長の本を読んだり、調べれば調べるほど、
“この治療、受けたい!”と思うように・・・