あれから1年
熊本地震から1年。
数日前まで小さな地震が連発してたから、みんなで怖いねって話していたけど、何事もなく1年が過ぎ、ホッとしています。
益城町内は解体が随分と進み、空地が物凄く増えました。
そして、新たに家の建設が始まっている土地も多くあります。
暫くしたら新築の家が建ち並びそうです
我が家はまだ全く修繕していませんでしたが、やっと先日、真っ二つに割れたままだったエコキュートの土台と、一番大きく割れていた外壁の亀裂を直してもらえました
修繕の為に6日間お風呂が使えずに温泉通いだったから大変だった
他にもまだ修繕したい所は沢山あるけど、修繕費がねー
よしくんは2年生に進級し、本来の給食もやっと今年度から再開になりました
益城町の給食センターはまだ復旧していないので、近隣のいくつかの給食センターから益城町の各学校へ運ばれていきます。
昨年度は給食は地震前の3回しか食べられず、残りは簡易給食や、宅配弁当給食だったので、給食の配膳すること事態がほぼ初めて状態。
先生達も一から配膳の仕方を教えているそうです。
校舎内もまだ壊れたままの所が数ヵ所残っていますが、給食が元に戻ったことでほぼ元通りの生活になったように感じます
元に戻っていないと言えば…
毎年行われている歓迎遠足。
今年はいつもの場所が使用禁止になってしまった為、遠足には行かず、学校で歓迎会になりました
学校から出ないのにお弁当は持っていかなきゃいけないという…ね
もう給食でいいのになぁ
すずちゃんは今年度から幼稚園児になりました。
部屋の中心に向かい見事に沈んでいた遊戯室も昨年度の卒園式前に修繕され、春休み前まで斜めに傾いていた園の廊下や割れたままだった園舎の入口階段もやっとキレイになり、幼稚園は危険な所は全て元に戻りました。
私自身も1年ぶりの幼稚園でドキドキです
すずちゃんも幼稚園始まっても全く泣くことなく通えています。
ずっと進まなかったトイレも、もう諦めて入園してから頑張ろうと思っていたら、先日のエコキュート土台修繕で温泉通いしていた時に、突然できるようになっちゃいました
数回失敗はしているけど、ほぼ成功しています
あれだけ嫌がっていたのになぁ
簡易給食
熊本地震から約1ヶ月半。
余震もぐっと少なくなり、買い物も普通にできるようになり(まだまだ休業中のお店も多いですが。)、当たり前だった生活に戻りつつあります。
が、町中を見渡すと、未だに倒壊した家々がほぼ手付かずで残ってるし、道も地割れや隆起、陥没したままの所も多いし、聞こえてくる町の人の会話もまだまだ平穏を取り戻せたとは言い難いものが多いです。
数日前からやっと罹災証明の発行が始まりました。
我が家も昨日、無事に取得できました。
予想はしていたけど、我が家は一部損壊。
まぁ、壁やら基礎やらヒビは入ってるけど、パッと見はほぼ無傷だもんねぇ
でも、査定の結果、少し傾きがみられるそうで
ただ、半壊になるほどの傾きではないようです。
…大丈夫なのかな
土地も地盤沈下を起こしており、庭が途中から下り坂になっています
これってやっぱり埋め戻したりした方がいいのかなぁ。
補修するところも沢山あり、どこから手をつけていいやら。。。
罹災証明が一部損壊だったから、補助金も出てくれないし
地震保険で賄えるといいけどな。。。
学校では先週から5時間授業となり、簡易給食も同時に始まりました。
給食センターも多大な被害を受けたので、調理は一切できません。
これが今週~月末までの献立。
調理が出来ないから仕方がないけど、この献立を見てると切なくなります
まぁ、よしくんは毎日デザートを食べられて嬉しいそうですが(笑)
ちなみにデザートは、セーブ・ザ・チルドレンからの補食支援品だそうです。
デザートがあるおかげで子供達は簡易給食を楽しみに毎日過ごせてると思うと、とても有難いです
6月からは弁当給食になります。
日替わり弁当に牛乳になるので、久々のお米が食べられるようになるのではないかな。
最近のすずちゃん。
このポーズがお気に入り。
母はオリラジのパーフェクトヒューマンに見えて仕方がないです
余震もぐっと少なくなり、買い物も普通にできるようになり(まだまだ休業中のお店も多いですが。)、当たり前だった生活に戻りつつあります。
が、町中を見渡すと、未だに倒壊した家々がほぼ手付かずで残ってるし、道も地割れや隆起、陥没したままの所も多いし、聞こえてくる町の人の会話もまだまだ平穏を取り戻せたとは言い難いものが多いです。
数日前からやっと罹災証明の発行が始まりました。
我が家も昨日、無事に取得できました。
予想はしていたけど、我が家は一部損壊。
まぁ、壁やら基礎やらヒビは入ってるけど、パッと見はほぼ無傷だもんねぇ
でも、査定の結果、少し傾きがみられるそうで
ただ、半壊になるほどの傾きではないようです。
…大丈夫なのかな
土地も地盤沈下を起こしており、庭が途中から下り坂になっています
これってやっぱり埋め戻したりした方がいいのかなぁ。
補修するところも沢山あり、どこから手をつけていいやら。。。
罹災証明が一部損壊だったから、補助金も出てくれないし
地震保険で賄えるといいけどな。。。
学校では先週から5時間授業となり、簡易給食も同時に始まりました。
給食センターも多大な被害を受けたので、調理は一切できません。
これが今週~月末までの献立。
調理が出来ないから仕方がないけど、この献立を見てると切なくなります
まぁ、よしくんは毎日デザートを食べられて嬉しいそうですが(笑)
ちなみにデザートは、セーブ・ザ・チルドレンからの補食支援品だそうです。
デザートがあるおかげで子供達は簡易給食を楽しみに毎日過ごせてると思うと、とても有難いです
6月からは弁当給食になります。
日替わり弁当に牛乳になるので、久々のお米が食べられるようになるのではないかな。
最近のすずちゃん。
このポーズがお気に入り。
母はオリラジのパーフェクトヒューマンに見えて仕方がないです
見慣れた景色が
こんにちは。
久々のブログ更新です。
震災記述あり。
長文です。
ここ最近、色々な事がありました。
よしくん卒園式の3日前、インフルエンザB型の為、よしくんのクラスは学級閉鎖。
そしてその日、よしくん発症
卒園式出られず
その1週間後に、インフル欠席者多数だった為、ありがたいことに2度目の卒園式(ほぼ本番通り。元気だったお友達も殆どの子が参加。)を執り行ってもらい、無事卒園。
3月27日、すずちゃん2歳の誕生日。
歌とダンスとお菓子を愛する女の子になってます。
4月11日、入学式。
今度は病気もなく、元気に入学。
新しいお友達もでき、美味しい給食もいっぱい食べ、毎日楽しそうに登校していってました。
そして4月14日。
入学からわずか3日後の夜。
子供達を寝かしつけていると突然の衝撃。
起き上がることすらできないほどの揺れ。
何かが割れる音。
ゴゴゴゴ?ドーン?とにかく凄い音。
叫んで子供達を抱き締めるのが精一杯だった。
揺れが収まり、状況確認。
子供達は無事。
一階の義母も返事があり、無事確認。
帰宅途中の旦那に連絡しようと携帯を手にするけど、震えて上手く出来ず。
やっと電話を掛けられたが繋がらず。
とりあえずLINEでメッセージを送ってからネットで震度の確認。
震度7。
まさかのここが震源地。
嘘でしょ?
どういうこと?
完全にパニック。
そんな中、友達からLINEで電話が掛かってきた。
話してるうちに涙が出てきたけど、お陰で冷静になれた。
旦那からもLINEが帰ってきて無事を確認できた。
家族全員無事だったことにとにかく感謝。
その後は学校に避難し、次の日子供達は実家の母達に迎えに来てもらい、実家へ行かせた。
父は残って片付けを手伝ってくれ、一日である程度の片付けが済んだ。
電気も水道も止まっていたので義母も一緒に家族全員でうちの実家へ。
そして日付が変わり4月16日。
寝ていると再びあの衝撃。
今度は物凄く長い。
何で、何でまた?
恐怖しかない。
この日はすずちゃんと一緒に寝ていた為、すずちゃんを抱き締めて揺れが収まるのを待つ。
揺れが収まり、隣の部屋から妹が大丈夫?と飛び込んで来てくれた。
今度は電気は点いていた。
実家も色々と倒れはしてたけど、食器棚等は無事で、壊れた物は殆どなかった。
別の部屋で寝ていた父、旦那、よしくん、義母を確認。
みんな無事。
夜勤の母も無事だと連絡が入り、一安心。
必要な物を持って、近くの公園に避難。
実家は玄関のタイルが剥がれ落ちてたくらいで殆ど影響なかったが、周りの家は塀が倒れてたり、瓦が落ちてたりと酷い有り様。
一晩公園で過ごし、翌日、実家の片付けは父達に任せ、再び自宅へ戻ってみることに。
家の中は、昨日片付けしなかったっけ?と思うくらい元通り、いや、それ以上に酷かった。(←2回目の本震も震度7だったと判明したみたいですね。)
壁に亀裂も箇所あった。
外壁にも亀裂。
庭は地割れ。
温水器を乗せてるコンクリートは真っ二つ。
うちはまだましな方で、周りの家はもっと凄かった。
温水器が倒れたり、柵が潰れてたり、門が倒れてたり。
家が傾いてるお宅も何軒か。
道路にも亀裂や隆起。
もう家の片付けは諦めて、実家に戻った。
その晩はまた大地震が来そうで怖くて怖くて仕方がなかった。
翌日、自宅へ掃除しに行く前に、ニュースでいつも写っていた役場前の道路を通って自宅へ帰ってみた。
自宅から役場付近へは車で3分ほど。
よしくんのダンスのレッスンに行く為に毎週通ってた道。
見慣れてたはずの道。
だけどそこには見たことのない景色。
崩れ落ちている壁。
道に競り出してる屋根。
一階がなくなった家。
全壊している家。
鉄筋コンクリートで出来ているであろう建物の一階も傾いていた。
道も至るところに亀裂や隆起、窪みができており、危ない状態。
テレビで見て知ってはいたけれど、実際に目にするとショックでショックで泣いてしまった。
どうしてこうなったんだろう。
何でここがこんなことになったんだろう。
震災から1週間。
大きな地震は減ってきたものの、まだまだ余震は収まらない。
朝は揺れでドキッとして目が覚める。
子供達も私も地震に敏感になっている。
自宅は電気は来たものの、水は相変わらず止まったまま。
学校は避難場所になっている為、再開の目処が立たず、休校が続いています。
ブログを更新しようと書き始めたのが17日、書いてるうちに涙が出たり、書かない方がいいのだろうかと悩んだりして、書き上げるのにこんなに時間がかかってしまいました。
辛くて悲しくて仕方がないですが、遠くに住む親戚や友人からの労りの電話やメール、全国からの沢山の支援物資、応援メッセージ、とても励みになっています。
みんながいなかったら今、こんな生活は送れていなかったと思います。
まだまだ元の生活には戻れそうにありませんが、少しずつ前へ進んでいけたらなぁと思います。
久々のブログ更新です。
震災記述あり。
長文です。
ここ最近、色々な事がありました。
よしくん卒園式の3日前、インフルエンザB型の為、よしくんのクラスは学級閉鎖。
そしてその日、よしくん発症
卒園式出られず
その1週間後に、インフル欠席者多数だった為、ありがたいことに2度目の卒園式(ほぼ本番通り。元気だったお友達も殆どの子が参加。)を執り行ってもらい、無事卒園。
3月27日、すずちゃん2歳の誕生日。
歌とダンスとお菓子を愛する女の子になってます。
4月11日、入学式。
今度は病気もなく、元気に入学。
新しいお友達もでき、美味しい給食もいっぱい食べ、毎日楽しそうに登校していってました。
そして4月14日。
入学からわずか3日後の夜。
子供達を寝かしつけていると突然の衝撃。
起き上がることすらできないほどの揺れ。
何かが割れる音。
ゴゴゴゴ?ドーン?とにかく凄い音。
叫んで子供達を抱き締めるのが精一杯だった。
揺れが収まり、状況確認。
子供達は無事。
一階の義母も返事があり、無事確認。
帰宅途中の旦那に連絡しようと携帯を手にするけど、震えて上手く出来ず。
やっと電話を掛けられたが繋がらず。
とりあえずLINEでメッセージを送ってからネットで震度の確認。
震度7。
まさかのここが震源地。
嘘でしょ?
どういうこと?
完全にパニック。
そんな中、友達からLINEで電話が掛かってきた。
話してるうちに涙が出てきたけど、お陰で冷静になれた。
旦那からもLINEが帰ってきて無事を確認できた。
家族全員無事だったことにとにかく感謝。
その後は学校に避難し、次の日子供達は実家の母達に迎えに来てもらい、実家へ行かせた。
父は残って片付けを手伝ってくれ、一日である程度の片付けが済んだ。
電気も水道も止まっていたので義母も一緒に家族全員でうちの実家へ。
そして日付が変わり4月16日。
寝ていると再びあの衝撃。
今度は物凄く長い。
何で、何でまた?
恐怖しかない。
この日はすずちゃんと一緒に寝ていた為、すずちゃんを抱き締めて揺れが収まるのを待つ。
揺れが収まり、隣の部屋から妹が大丈夫?と飛び込んで来てくれた。
今度は電気は点いていた。
実家も色々と倒れはしてたけど、食器棚等は無事で、壊れた物は殆どなかった。
別の部屋で寝ていた父、旦那、よしくん、義母を確認。
みんな無事。
夜勤の母も無事だと連絡が入り、一安心。
必要な物を持って、近くの公園に避難。
実家は玄関のタイルが剥がれ落ちてたくらいで殆ど影響なかったが、周りの家は塀が倒れてたり、瓦が落ちてたりと酷い有り様。
一晩公園で過ごし、翌日、実家の片付けは父達に任せ、再び自宅へ戻ってみることに。
家の中は、昨日片付けしなかったっけ?と思うくらい元通り、いや、それ以上に酷かった。(←2回目の本震も震度7だったと判明したみたいですね。)
壁に亀裂も箇所あった。
外壁にも亀裂。
庭は地割れ。
温水器を乗せてるコンクリートは真っ二つ。
うちはまだましな方で、周りの家はもっと凄かった。
温水器が倒れたり、柵が潰れてたり、門が倒れてたり。
家が傾いてるお宅も何軒か。
道路にも亀裂や隆起。
もう家の片付けは諦めて、実家に戻った。
その晩はまた大地震が来そうで怖くて怖くて仕方がなかった。
翌日、自宅へ掃除しに行く前に、ニュースでいつも写っていた役場前の道路を通って自宅へ帰ってみた。
自宅から役場付近へは車で3分ほど。
よしくんのダンスのレッスンに行く為に毎週通ってた道。
見慣れてたはずの道。
だけどそこには見たことのない景色。
崩れ落ちている壁。
道に競り出してる屋根。
一階がなくなった家。
全壊している家。
鉄筋コンクリートで出来ているであろう建物の一階も傾いていた。
道も至るところに亀裂や隆起、窪みができており、危ない状態。
テレビで見て知ってはいたけれど、実際に目にするとショックでショックで泣いてしまった。
どうしてこうなったんだろう。
何でここがこんなことになったんだろう。
震災から1週間。
大きな地震は減ってきたものの、まだまだ余震は収まらない。
朝は揺れでドキッとして目が覚める。
子供達も私も地震に敏感になっている。
自宅は電気は来たものの、水は相変わらず止まったまま。
学校は避難場所になっている為、再開の目処が立たず、休校が続いています。
ブログを更新しようと書き始めたのが17日、書いてるうちに涙が出たり、書かない方がいいのだろうかと悩んだりして、書き上げるのにこんなに時間がかかってしまいました。
辛くて悲しくて仕方がないですが、遠くに住む親戚や友人からの労りの電話やメール、全国からの沢山の支援物資、応援メッセージ、とても励みになっています。
みんながいなかったら今、こんな生活は送れていなかったと思います。
まだまだ元の生活には戻れそうにありませんが、少しずつ前へ進んでいけたらなぁと思います。