それでも生きる 母の悪性リンパ腫との戦い

それでも生きる 母の悪性リンパ腫との戦い

元気印の母が突然悪性リンパ腫に侵されてしまいました。
その中でも、日本では症例のすくないダブルヒットリンパ腫。
同じ病気を抱えている方やそのご家族の為に少しでも情報を共有できたらと思っています。

Amebaでブログを始めよう!

もともとブログやSNSをしないタイプなので

こちらのブログもずっとご無沙汰でした。

数年ぶりにブログを開けたら

あたたかいメッセージを下さってる方がいたので嬉しくなりました。

今の時代はこうやって人って繋がれるんですね。

 

母を亡くして今年で4年目。

 

母の病気が発覚した年に第一子を妊娠し、出産。

母が亡くなって3年後に第二児を妊娠し、

現在2人の子供を育てています。

 

大人になっても母におんぶにだっこだった私。

 

何をするのも相談したり話しをきいてもらったり、

困ったときは、母がいつも駆けつけてくれて解決。

 

そんな頼りない私が今、母なしで二人の小さな命を育てている。

仕事と家事をしながら。。。。

 

この前は、3泊4日で子宮のう腫?とやらで腹腔鏡手術までしてきました。

もうこんなの朝飯前。

 

母がいなくなってから私はずいぶんたくましくなりました。

 

母がいなくなってから、手を指し伸ばしてくれる周りの人の優しさを強く感じるようになりました。

 

母の姿はもうないですが、

今もなお私を日々成長させてくれています。

 

感謝しかありません。

 

私も子供たちにとってそういう存在になりたいです。

 

この世で一番大切な人を亡くしたことのある人は

きっと強く優しくあるのだと思います。

それが亡くなった方からの最後の贈り物なのだと私は信じています。

 

母の一周忌。

一周忌の法事に向けて色々準備を進めていく中、改めて母の死を思い知らされるようで、なんとなく嫌でした。

でも、たくさんの人たちに支えられて
穏やかに法事を執り行うことができ、
たくさんの人たちから励ましの言葉を頂き、素敵なお花もたくさん頂いて、
しっかりと母と向き合わなくてはと思いました。

母が今ここにいないという無念さ。
悔しさ。
悲しさ。

でもそれを支えてくれる人たちがいるという幸せさ。

その両方を感じながら向かえた母の一周忌でした。

生まれて初めて、母のいない母の日を迎えました。


昨年の母の日は入院中の母のもとへ

家族みんなでサプライズをしに行きました。


それが最後の母の日になってしまうとは

そのときは想像もしていませんでした。


母不在の母の日。


思ったより普通に過ごしていました。


多分私自身が母になったからかもしれませんし、

1歳の子の育児に日々翻弄されているせいかもしれません。


母のお墓にカーネーションを供えに行こうと思っていたのですが、

突然の娘の体調不良のため叶わず。


母は赤いカーネーションが好きでした。

1本でいいから赤いカーネーションが欲しいわと

生前言っていたのを思い出しました。


私にとって母は永遠に母であり、

これからもずっと

私が生きている限り

母の日は、亡くなった母の為に感謝の気持ちを込めて

カーネーションを供えたいと思います。


母の日。

私を35年間、育ててくれてありがとう。

そしてこれからの私の人生も母あっての人生だと思っています。

感謝しています。





母が癌で亡くなってから半年が過ぎました。

まだ半年しか経っていないのか、というのが正直な気持ちです。


育児、家事、仕事で毎日ソファに座る暇もなく過ごしています。

一人残された父のもとへもほぼ毎日足を運んで顔を見せています。


そんな毎日を過ごしているのですが、

ようやく母がいなくなってしまったという実感が少しづつしてきました。


本当にもう会えないのがうそのように感じます。


一人ベッドの中で泣いてしまうこともあります。


が、日中の疲れが功を期して?

眠れないほど悲しむ余裕もなくいつの間にか眠りについている日々です。


もうすぐ母の誕生日です。


母の誕生日や母の日には、母の好きなお花をもってお墓参りをすることを恒例にしたいなと思っています。

そうすることで娘にも母のことを少しでも身近に感じてもらえるのではないかなと思うのです。



母が天国へ行ってしまってから1ヶ月が過ぎました。
先日無事に納骨式も終え、
すべてがひと段落したところです。

家族が亡くなると、
そのあとの事務手続きや弔問客の対応で忙しいとは聞いてましたが、
本当にそのとおりでした。

たくさんの方が母に会いに来て下さり、
たくさんの方に励まされ、
そのたびに私たちはいろんな方に支えられて生きているんだなーと
改めて感謝の気持ちでいっぱいになりました。

普段生活をしていると
あまり気づくことのない
周りの人たちの支えについて、
母からの最期の教訓だと思うことにしました。

私と母は一卵性親子でしたので、
本当にたくさんお喋りをしてきました。
一生分の会話をしてきたと思っています。
ですので、
今も横で母がどう言っているかはっきりと聞こえてくるようです。

母から受け継いだことは
今度は娘に伝えていくことが
私の責務だと思っています。

母のように完璧に育児や家事をこなす自信はありませんが、
周りの人に気遣い、
常に明るく、人の役に立つ人間として生きていきたいと思います。

そして、
母に迎えに来てもらう日まで
しっかり生きたいと思います。

それが大切な母から授かった命を全うすることだと思い、
母にできる最後のことではないかと感じています。