着実にブログ更新が少なくなってきている。

言い訳としては家でネットが使えないこと。・・・以外には特にない。。。

仕方ないことなんだろうけど、だんだん毎日が単調になって、特に伝えたいようなことがなくなってきてる。日記よりも何かテーマを決めて書いたほうが色々書けるかな。

近況報告としては、マラクラ島に来てから4カ月が経ち、マーケットの経営状態はどんどん良くなってきています。

10月は営業日数が少なかったことと天候が良くなかった影響で月間赤字が出てしまったものの、11月は今年度最高益の見込み。

サント島を訪問した際に全ての店を見て周って、消耗品の購入先を見つけられたおかげで今後の支出削減が見込める。島では1ロール1800バツ(約1800円)で買っているビニール袋が、サント島から調達すると1000バツで買える。約45%引き。洗剤、プリンター用紙、帳簿などを毎回ここから購入すれば月あたり7千円ほどのコスト削減ができる計算。年間で8万円ほどか。

近所のお店から買えば、売上貢献にも繋がるという考えもあるけれど、ここは固定費を削減して浮いた分を価格に反映させたり、設備投資に回したほうが全体のためになる。

うーん、こんな話を書いても読むほうは面白くないかw

さて、来週末からは国の南にあるタンナ島に出張。

ここには自分と同じくJICAボランティアが一名鮮魚マーケットにて勤務。そのマーケット及び周辺環境の視察と意見交換という名目。

一つでも良い所は盗んで、助言できるところがあれば遠慮なく伝えてこよう。

バヌアツはこれだけ海に囲まれているにも関わらず、魚の流通度合いは低い。

タンナ島のマーケットはまだ運営が安定していないと聞くし、バヌアツ第二の都市サント島のルーガンビルでも魚は町で売られていなかった。

なぜか。

流通システムができあがっていないというのも一つの理由だけれど、もっとたくさんある。

海を恐れている。小さなカヌーで荒れた海に出ていき漁をするのは危険極まりない。食糧は陸にあるんだから危険を冒してまで海に出る必要はないだろう、というのが一つ。

シガテラ病という病気の存在。ある種のサンゴを口にした魚は毒を体内に蓄積し、その魚を食べた人間がかかるというもの。その毒は一度体内に入ると消えることはないという。

上の内容は自分がこれまでに調べ、人から聞いた話。もっと他に重要な問題があるかもしれないけれど、十分に流通を阻害する要因になる。

それでも今では首都ポートビラではスーパーで魚が並んでいるし、うちのマーケットでも入荷すればどんどん売れていく。

環境が変われば人の考えも変わっていく。

物事を一つずつ変えていこう。

ところで、タンナ島には世界一火口へ近づける活火山がある。

どこまで近いかと言うとマグマが噴出している火口のふちまで行ける。

頻繁に小さな噴火があって、石が飛んできたりするらしい。

めちゃくちゃ行きたい。行けるかなー

前日に先輩隊員から連絡があり、Wararanoという村でカスタムダンスが観れるんだけど来ないか、という誘いがあり連れて行ってもらうことにした。

当日12時に僕が住んでいるLakatoroMDCというマーケット前で待ち合わせをする。

前日に聞いていたけれど、そこには白人のおじさんが来ていた。

彼はシャカさんといい、イスラエル出身で日本に住んでおり、バヌアツでビジネスをしているという一風変わった人。

十数年前にバヌアツに来て、このマラクラ島のRanoという村に彼の「家族」がいる。

この「家族」という言葉はバヌアツと日本では意味が大きく異なる。

日本では一般的に同じ家に住んでいる親、配偶者、子を指すけれど、こっちではその範囲がとてつもなく広い。

親、配偶者、子供はもちろん、親戚も家族。近所の人も家族。そしてその友達も家族に入ったりする。そのため、近所の人はみんな家族。同じ島に住んでいる人はみんな家族とばかりに言う人もいる。

実際小さい島に先祖から代々住みついていると、先をたどればほぼみんなに血縁関係があると考えても不思議じゃない。

そしてすごいのは、自分のように外国人であっても、一旦家族と呼ばれたら家族になってしまうのである。

これは日本で言う「我が家だと思ってくつろいでいってください」というのとは全く違い、本当に家族の一員に加わることになる。

シャカさんはこんな話をしてくれた。数年前に自分の親が亡くなった時に、自分がその場にいないにも関わらずバヌアツの家族が一カ月間の間喪に服する儀式を執り行ってくれたという。

バヌアツの家族はとても結びつきが強く、生活、命を共にしている感覚がひしひしと伝わってくる。喜び、怒り、悲しみという感情はもちろん、お互いを助け合うという文化がしっかりと根付いている。

話は戻るが、今回のカスタムダンスはシャカさんがアレンジしてくれたもの。

先輩隊員がナカマル(カヴァ・バー)で知り合い、急遽シャカさんが「家族」にお願いしてくれたらしい。

そのため、このダンスは完全に僕らのためだけにやってもらえるもの。つまり貸切。これには正直驚いた。

その村のチーフが村の歴史を紹介してくれた。その後彼の家族を集め、30~40分ほど時間をかけてカスタムダンスの準備を行い、いよいよスタートした。

初めは女性のダンス。

踊るのは子供からおばあさんまでで、8・9人くらい。

何がすごいって言うと、上半身はみんな裸。観ているこっちが恥ずかしくなってしまうが、彼らは伝統的な儀式としてやっているため、全く恥ずかしいという感情は無いとのこと。写真も全然オッケー。

そう聞いてから観ていると、裸でやることがむしろ当然のものというふうに観れるようになる。

ただし、子供から若い女性、中年のおばちゃん、おばあちゃんが勢ぞろいしていると、どうしても「こういうふうに変化していくのか・・・」と考えてしまわざるを得ない。

適切な表現でなかったらスミマセン。。

つぎに男性のダンス。

服装は、いわゆる腰みのをつけて大事なモノはしっかり隠す。足にはくるみのような実の鈴を付けて、髪の毛に鳥の羽根を付ける。きっと誰もがテレビで一度は見たことがあるような姿。

彼らの踊りはとても男性的で激しい。力強く地面を繰り返し蹴り続け、全身を動かしながら歌い続ける。

以前に一度この近くの村のセレモニーでカスタムダンスを観たことがあったが、それとは全く違う、とても神聖なものに感じられた。そして感動した。

彼らは自分の文化に強い誇りを持っている。

先進国から来た自分のような人間は町や村を観て、文化的に遅れていると考えがちだけれど、本当に遅れているのだろうか。

この日、この場所で彼らの伝統儀式を目の当たりにし、古くから大切なものを見定めて、それを大事に守り続けてきた優れた文化なんじゃないかと思い始めた。

帰り際にチーフが「お前も私の家族だ。いつでも帰ってこい。」と言ってくれた。

正直、今日会ったばかりでさすがに早すぎ、と思ったけど、この村はまた訪れようと思う。

家族になるかどうかはとりあえず置いといて()

時間はどんどん過ぎていく、と日記を書く度に思う。

だけど気付けば1カ月書いていなかった。。

こんだけ間が空いてしまうと近況報告でいっぱいになりそうだけど、特に最近変わったことを書いてみる。

まずは、初めて島から出て、サント島へ旅行に行った。仕事もちょっとだけ含めて。

マラクラ島での生活にはとっくに慣れてはいたけれど、やっぱりストレスは溜まっていた。仕事もうまくいくこともあったけれど、当然そう簡単にいかないことはたくさんある。それ以上に居住地であるラカトロの町から一切出られない環境に自然と大きなストレスが溜まっていたようだった。そこで思い切って隣の島のサント島へ旅行に行くことにした。

サント島のルーガンビルという町はバヌアツで2番目に大きな町。一本のメインストリートには様々なショップやレストランが軒を連ねている。一つの目的は買い物。マラクラでは買えない物を買いあさること。今回は醤油、オリーブオイルなどの調味料、スープの素、ワイン、それにキッチン用品、ボディソープ、さらにはシャベルなんかも買った。帰る時シャベルはちょっと重かったけど。。

今回の滞在は丸々一週間。サント島の隊員にはとても良くしてもらい、初日にはカヴァを飲みにナカマル(カヴァバー)へ。2日目には隊員宅で豪勢な食事をごちそうになり、3日目にはサントにある日本企業の方の家で食事をごちそうに、4日目は再度ナカマル、そして6日目は隊員みんなで南太平洋一美しいと言われるシャンパンビーチへ行ってきた。

それ以外の時間にはひたすら買い物、沈没船ダイビング、ブルーホールツアー、リゾートでのんびりなんてことをした。マラクラでは100%できないことをし尽くし、超リフレッシュして帰ることができた。

本当にサントの皆さんには感謝です。

リラックスできたもう一つの理由に英語がたくさん喋れたこともあると思う。

普段ビスラマ語に埋もれた生活で、どうしても伝えたいことが伝えられないフラストレーションが溜まっていた。旅行先で多くの外国人観光客と英語で自由に喋れることで外国語に対する自信を少しだけ取り戻せたような気持ちになったんだろう。

島に帰ってくるとJICAからバイクが支給された。

活動で必要な物として支給されたもの。自分の場合は島内の漁師たちとの交渉を取るためバイクが必要だった。

これで島内各地を自分の足で訪れることができるようになる。閉じこもり生活ともオサラバだ。

早速1週間で2度遠出をしたが、なんせ道が悪い。かなりでこぼこが激しく、さらに道が乾いているためめちゃくちゃ滑る。さらには結構な傾斜のある坂なんかも。。途中で怪我したら助けてくれる人に出会うまでどれくらい待つんだろうと不安になりながら、安全運転。絶対に油断しないようにしないと。

ともかく、色々な町を訪れることができ、島内の地理が分かり、自分のストレスも発散でき一石二鳥。

今後は様々な新しい場所を訪れ調査をしていきたい。