またまた時間があいてしまいました。

今日はこのブログを締めくくるにあたり、これまで読んで下さった皆様にご挨拶をさせていただきたいとおもいます。

まずは、拙いブログをここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
私は今、東京での生活をはじめ、毎日新しいことを学び、ハイスピードで目の前をかけていく出来事についていくだけで精一杯という毎日を送っています。


私がブログを始めたのは2006年2月でした。
2005年秋に起こったミラクルな出会いは、その後の私の人生を本当にミラクルなもににしてくれ、今もそのチェーンは続いている実感があります。
この日記を読んでくださった方々は国際協力に興味をもっていらっしゃったり、インドネシアに興味をもっていらっしゃったり、色んなご縁で読んでいただいたことと思います。ありがとうございます。

私がこのブログを終えるにあたり、お伝えしたいことは5つあります。

1. このブログを始める前の私は本当に国連なんて夢のまた夢という人生を送っていたこと。
2. しかし熱意は幼稚園生くらいから常に(漠然とですが。)持ち続けていたということ。
3. 人一人知るは宝なりということ。
4. 瞬発力が大事な時があるということ。
5. そして地に根を張ることも大事だということ。


本当に私はこれまで周りの人に助けられ、引っ張って頂いたおかげで、貴重な体験をさせていただくことができ、私にとってはとても大きな変化を迎えることができました。
私の人生にとって、これはまだほんの序章です。だから偉そうなことを言うつもりもありません。
でも自分の人生を思っていた方向へぐいっと向けてやることはできました。
そして、そうできたことが本当に自分にとって嬉しい幸せな出来事でした。

だからこそ、もしも同じようなことを考えていらっしゃる方がいらっしゃるのであれば、私の日記が何かのきっかけになって、どこかで何かが変わるきっかけになればと思い、ここまで続けてきました。

「アルケミスト」という本を読まれたこと、ありますか?
私はちょうどインドネシアへ旅立つ前にたまたま手にした本でした。
その本に書いてあったことを私なりの解釈でお伝えすると、目に見えない力はあなたが新しいことに挑戦する時、あなたを新しいドアの前まで導いてくれ、一度はチャンスをくれるそうです。しかしそのドアを開けるか、開けて中へ入るか、中に入ってどの道を進むかはあなた次第だそうです。

私はこの本を読んで、私はきっと人生で一度目のチャンスをもらったのだなと思いました。つまり、これからが本番。今目の前にあるドアは自分で探し当てたものではないのです。でもそのドアをどう使うかは自分次第。いつか自分でどんどんドアを見つけて自分で選んで開けては前進できる人間になりたいと思っています。そのための修行はもうあの日から始まっています。

この場をお借りして、はじめに私にミラクルなチャンスをくださった方々、私のラッキージャーニーをアシストしてくださったりサポートしてくださっている方々に心からのお礼をお伝えしたいです。そしてこれからもミラクルの輪がどんどん伝播し、たくさんの人たちを巻き込んだ大きな輪になることを願ってやみません。


これまで出会ったすべての方々といつも支えてくれる家族に心からの感謝の気持ちをこめて。

今日よりも明日、明日よりも明後日。世界中の笑顔が増えていきますように!


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P.S.
実は眠る町・東京版ブログもひっそりと始めようと思っております!
インドネシア人作家の現金ばらまき、500人が恩恵に
 [ジャカルタ 1日 ロイター] インドネシア人の作家Tung Desem Waringin氏が1日、..........≪続きを読む≫[アメーバニュース]



なんとコメントしてよいものか、、、
ちょっと住んでただけでなんだとも思うのですが、一言。
そもそもジャカルタ近郊の人って地方に比べると収入は低くないと思うのです。
地方では現金収入がなくても、部分的に自給自足的な生活している人もいて、現金の収入だけでこの国の貧富は決めつけられないと思う。
たしかにデータとして1日2ドル以下の生活者が云々とかあるかもしれないけど、平均が意味をなさないこの国(つまり上と下に塊があって、中間層が少ないということ。)の状況をこんな風に書くのは乱暴ではないかしら。

ジャカルタのあの混沌さや超富裕層と貧困層のギャップ、すごかったなぁ。。。
でもそれなりに恩恵も受けていたので、偉そうなことは言えない自分。。。



今日から私も新生活スタート。
というわけで、近々このブログを終了して、東京生活ブログへ移行したいと思います。
ダラダラと引っ張ってきたこのブログですが、一応、あと1回で終了したいと思います。
東京生活ブログのテーマ思案中。うーむ。。


ILOの後は、国連欧州本部のガイドツアー。
ここ、ガイドツアーじゃないと中は見れないのに、「入場」と「ガイドツアー参加」が別々のところで手続き。ガイドツアーじゃないと見れないよって最初っから教えてくれたらいいのに。。。尚かつ、ガイドツアーの時間が表示されていないので、タイミングが合わないと参加できずに帰ってしまう人たちも。。
こういうのってどっちにとっても手間だし、どうにかならないものなのかしら?
ま、愚痴はこの辺で。笑


UN chair


まず、このコンパウンドには入り口が二つありました。
こちらの方が国旗なんかもあって、いかにも!という入り口。
でも、こちらからは入れませんでした。。

左手前に写っている木のオブジェらしきものは4本中1本足の壊れた巨大なイス。
どうやらスイスのNGOから寄贈されたものだとかで、地雷で足を失っている人たちの現状を象徴しているとのこと。
この目の前にバス停があります。

UN me


一応、記念写真。

UN backdoor


こちらは車の入り口。
スタッフの人たちもこちらから入ります。私は車で連れて行っていただいたのですが、勿論、IDがないので、ここでセキュリティーの人に止められる。。結構厳しかったです。。
ちなみに観光客もこちらの入り口の向かって左側の通路から入ります。
この近くにもバス停あり。

UN ID


入ったらまず、パスポートを見せて、こんなIDをもらいます。
これはここを訪れた目的によって、IDの色が違うみたいで、ゲストにも何種類かあるみたいでした。

UN structure


しばらくUNグッズ売り場で待ち時間を過ごした後、ツアー開始。
国連の組織図から説明が開始。

UN conference


会議室は40くらいあるそう!(正確な数字は忘れました。。)
とにかくジュネーブは会議の多い場所ですから、、、とガイドさん。

UN innrgarden


この敷地には国際連盟時代の建物である旧館とその後国際連合になってから建てられた新館があり、その二つの建物がブリッジで繋がれています。
中庭、とってもきれいなのですが、今は観光客にオープンじゃないそう。以前はオープンだったそうなんですが。。

UN hiroshima


廊下には建物自体のいろんな装飾とともにこういった展示もありました。
これはヒロシマの写真。


一通り見終わって2時間強でした。
その後は市内の中心部に戻り、ジュネーブ名物の巨大噴水を見ながら、公園でまったり。
この噴水、この6月にオーストリア・スイス共催のサッカー大会のために今はサッカーボールを頭にのせているスペシャルバージョンでした!うーん。。。無い方が。。。。笑

waterfoundation



この後、恩師Mさんと待ち合わせて、フランスへ。
実は、ジュネーブ、フランスに囲まれているのです。というわけで、国境越えてフランスから出勤する人も多いとか。で、ちょうど国境あたりのフランス地区の不動産の値段は上昇中らしいです。
ま、そんなこんなで車でちょいっと行くだけ。パスポートもチェックされず。
いくつかの道路で国境を越えられるのですが、なんだかのどかな風景でした。

帰りにジュネーブ側の湖沿いのシーフードレストランへ。
とってもおいしかったー!


ってなわけで、私の短期強行ヨーロッパ旅行はあっけなく幕を閉じるのでした。


ジュネーブに着いた翌日は、朝からUN-HABITATのオフィスへお邪魔し、ちょうど起こったばかりだったミャンマーのサイクロン被害対応の全体ミーティングがあるとのことで、国連欧州本部へ連れて行って頂きました。
しかし、セキュリティー上、私がすんなり入れるはずもなく、私はガイドツアーに参加することに。
ちょうどよい時間のツアーはもう出たあとで、私は午後のツアーに参加することにして、目の前の敷地にある赤十字ミュージアムを見学して、その後、ILOの知り合いを訪ねて、坂の少し上にあるILOの大きなオフィスへ。

私が入った入り口はこちらではなかったのですが、坂の上にはこんな素敵なエントランス。

ILO


内部は2つのタワーが繋がっているプランになっていて、これは1階の繋がっている部分。
高層階のオフィススペースは、とにかく小さなブースがたくさんある印象で、私がこれまで見ていた国連オフィスとは違う感じ。
そういえば、UN-HABITATのジュネーブオフィスも個室だったし、ジュネーブのオフィスはこんな感じなんでしょうか。

ILO2


ILOにいる知り合いの方は、私が今度入る会社の先輩、ということで色々とお話をお聞きしてきました。
彼は以前インドネシアでも仕事をしていたことがあったり、なんだかいろんな共通点があって、今回も手厚く歓迎してくださり、ほんっとーに感謝感謝でした!!
なのに、私のせいでちょっとご迷惑おかけしてしまったり。。。申し訳ありませんでした。。

ILO3


ILOの社員食堂(って言うのかしら?)でランチを食べて、オフィスを見せて頂き、その後オススメのチョコレート屋さんの場所を教えて頂いて、私は国連の欧州本部へ。


*ちなみに前回彼からいただいた絶品チョコレートはこのオススメのお店のもので、
お店はRohrというジュネーブの中心地のブランド街の中にあります。
よろしければ、コチラがRohrのホームページ!


私、普段チョコってほとんど食べないのですが、いただいたここのチョコ、おいしすぎてムシャムシャ食べました。とってもおいしいです!!でも店員さんの対応はイマイチでした。。。



バルセロナの後はジュネーブで恩人に再会する予定。
というわけで、バルセロナでもう一つの建築に遭遇して、ジュネーブへ。


ミース・ファンデルローエ

"Less is more"という名言を残した近代建築の巨匠。

私が訪れたのはミースのバルセロナ・パビリオン。
彼が1929年のバルセロナ万博の時にドイツ館として設計したもの。
大学で建築を勉強していた時には板にガラスが挟まれた究極のミニマリズムだと思っていたのですが、行ってみたら違う印象も受けた。


ms01


まず、バスから降りて歩いていくと、「あれかなぁ????」ってくらい公園の端にちょこんとあって、尚かつ側面しか見えてこないので、なんだか印象違う。(今までは正面からとった写真しか見てなかったので。)

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素材の魅力ってすごいなぁ~と初めて実感。
壁ごとに素材が違うのに、全く違和感ないし、また石の模様がまた上下対象とか左右対称になっていて、なんだかそれもまた模様に見えたり。

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帰りにやっと正面の姿を遠くから。
でもやっぱり外から見るよりも空間を体験することの方が何倍も素敵だった。
水辺のベンチにぼーっと座っているのが気持ちよかったです。


その後はeasy jet(ヨーロッパの格安航空会社)でジュネーブまで。
私の事前の連絡が悪くて、この日はお会いできそうだった方にお会いできず。。。
泊めてもらう予定だった恩人のMさんには、ちょうどミャンマーのサイクロン対応で忙しいからゆっくりしてきて!と言われていたので、市内観光がてらバスで市内まで向かう。メールで教えてもらった住所を頼りにバスを乗り継ごうとするも、乗り換えがよくわからず歩くアルクあるく。。。。
公衆電話もなかなか見つからず、途方にくれながら歩き、電話すると、もう帰宅しているよーとのこと。
場所を再度教えてもらって歩き出すも、やっぱり道を間違っていて、なぜか夜中の岡の上に。。。
やっと彼女のアパートにたどり着いた時には空港出てから軽く5時間くらい経っていた。。。へとへと。


でも2年半ぶりに会ったMさんとお茶飲みながらいろんな話をして、とっても楽しかった!
Mさんはこのブログにも書いたことあるかもしれませんが、私がこの開発の世界に足を踏み入れるきっかけを下さった方!
だから今回、一応一区切りをつけ、次に開発の世界に戻ってくるまで他のことに挑戦しようとしているこの時期に、どうしても彼女にお会いして、ちゃんとお礼とこの2年間のご報告をしたかった。
というわけで、彼女にお会いするのは2度目。
1度目は東京の国連大学で。その後私はインドネシアへ旅立ち、彼女はジュネーブへ。
それかもちょくちょくメールで連絡はとっていたものの、なにせ1度しかお会いしたことなかったので、なんだかどの程度連絡していいものかよくわからなかった。

そして今回ジュネーブ行きを決め、ご連絡。
すると、うちに泊まったら?と!わーい!!ということで、会うの2度目なのに、ちゃっかりおうちに泊めて頂いて、楽しくお話させていただいて、彼女の仕事への姿勢やプライベートな部分を垣間見て、尊敬&共感。
彼女への尊敬の気持ちと開発の世界への思いがフツフツと。

久々の再会とこの2年間の報告をとっても喜んでくださって、私もとっても嬉しかった。
この夜は世界中のいろんなところから集められてきたステキな品々に囲まれて、眠りました。


またブランクが。
こんお週末はアフリカから元上司が一時帰国していて、オススメの場所に連れて行ってもらって楽しい時間を過ごしました!日本人なのに、初めて食べるものとかあって、とってもおいしかった!ごちそうさまでした!




はてさて、ヨーロッパ旅行記に戻って、バルセロナ2日目の夜は青空の下でみんなで飲もうと誘われ、ついていくと、、、、

行き先は、MACBA(バルセロナ現代美術館)


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前にシアトルの現代?近代?美術館に行った時、夕方から館内でドリンクや楽器の演奏があって、素敵なパーティーやってるのに遭遇したことあったけど、ここにいるみんなはとーってもラフな雰囲気。
はて、どういうこと??と思いながらついていくと。。。

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このカラフルな窓の装飾は展示の一部だそうで、時期によって変わるんだとか。
ここはリチャード・マイヤーという有名な建築家の設計した美術館。
せっかくここまで行ったのに、美術館自体はもう閉まっていて入れず残念。。。。

しかし、前の広場には人がいっぱい。いっぱい。いっぱい。

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何しているのかと思ったら、こんな風にボードを持ち寄り、スケート?をしていました!
どうやらここはMACBAスケート学校と呼ばれるくらいだそうで、世界各地からスケーターが集まるのだとか。

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で、それを見ながらみんなビール飲んでいる。
この辺を歩いていると、便利屋役の少年たち(基本的に移民系の少年。数カ国を渡り歩いているとかで語学堪能!)が「ビール何本?」と声をかけてくるので、ビールを買って楽しむ、もしくはこの辺のお店(移民が比較的多い地区だとかで、なにかと安いお店が多いらしい)で激安ビールを買って持ち込み。私達は持ち込み派。

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で、最後、深夜も1時くらいになると、市(なのでしょうか?)の清掃車がみんなの飲み散らかしたビールの缶をものすごい勢いの水で清掃していきます。



と、まぁ、こういう一夜を過ごして、物価の高いヨーロッパにも色々とサバイバル術はあるのだな、と。

サバイバル術として、もうひとつ面白かったのは、カリフール。
カリフールは前にも触れたことのあるフランス系スーパーマーケットチェーン。
インドネシアの大都市にもたくさんあって、日本では横浜らへんに1店あるとか?
先日聖火リレーのニュースを見ていたら、中国にもありました(不買運動の対象になっていたけど。)。

で、そのカリフール。
インドネシアでは普通の市場で買うよりやっぱりスーパーだと高い上に、フランス系のカリフールはまぁまぁいいお値段するのです(安いものも勿論あるし、きれいさとかを考えれば、ある程度信頼できるスーパー。)。
でも、バルセロナではカリフールはとにかく安いものを求める人が多く見受けられた!
1ユーロでいっぱい入ったハムとか、激安のミネラルウォーターとか。
普通のミネラルウォーターが300~500円くらいしてたのに対して、カルフールでは小さいものからお同じくらいのサイズのものでも50円~100円とか。
パンとかサンドイッチも他で買うより断然安い!

せっかくヨーロッパまで来て節約なんて、、、って思ったけれど、現実問題、カリフールにだいぶ助けられました。苦笑


というわけで、MACBAの青空バー&カリフールから社会の構図について考えてみたのでした。


*ちなみにMACBAでのスケーターくんたちの様子はYoutubeで”MACBA”と検索すれば、スゴワザ連発ムービーが色々と見られます☆

で、午後は中心地まで地下鉄にのって、またガウディ。


まずは、カサ・バトリョ。
大通りを歩いていると突如現れる人だかりとこの外観。

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入場料はちょっと高いですが、ヘッドフォンで説明を聞きながらぐるり。
デザインだけでなく、換気の仕組みとか日の入り方とかいろんなことを総合的に考えてこういうデザインになっているとのこと。
ほんと素敵でした。でも、ここに住む人はそれなりに個性的じゃないと負けちゃうなぁ~
今も実際に住んでいらっしゃる方がおられるようで、”プライベート”というサインがかかっている部屋もありました。




カサ・バトリョを出たらまたズンズン歩いて北上!

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すると出てくるカサ・ミラ。
いやぁ~こんなに突如出てくるとなんだか驚くというか、固まる。
本でしか見たこと無かったものをこんなに一挙に1日で見ると、なんだか現実なのかどうなのかへんな感覚に襲われる。

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エントランスホールに入ると明るい太陽の光と室内のグリーンがとっても素敵!

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火星のような屋上テラスに出ると、、、

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彼方にサグラダ・ファミリア。


バルセロナ2日目はガウディな一日に。

まずは友人V宅から歩いて10分のグエル公園へ。


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ここはほんと楽しい!
もっと長居したかったなぁ~


その後、またまた歩いてサン・パウ病院へ。

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こんな建物が敷地内いっぱいに。
建物は全部地下道でつながってます。
どう見ても病院には見えない公園のような小さな町のような場所でした。



そして、またまた歩いて、ついにサグラダ・ファミリアへ。




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上まで上って、バルセロナ中見渡してきました!
気持ちよかったー!

■引っ越し■

昨日、東京の新居へお引っ越し。
色々とよく考えると足りないものがあったり、洗濯機がうまくセットできず、未だにそのまま放置。。。
洗濯機の管?って、細さが色々あるんでしょうか?洗濯機が放置されているので、お風呂&洗面所が使えない。。。涙

今回の引っ越しのポイントは
1. 会社へ1本で行ける
2. 駅から近い(なんと1分!素晴らしい!)
3. 洗面所あり
の3つ。

当然ですが、京都での部屋よりとっても高い家賃を払うわけで、それなら、絶対に何かグレードアップしてほしい!!と思っていて、その中で是非とも欲しかったのが洗面所。
ストッキングはいたままユニットバスの鏡を覗くと、だいたい足が濡れて朝からいやぁ~な思いをするもの。
きっとみなさん経験済みなはず!
ということで、まぁ、部屋はかなり狭いけれど、その他の条件が全部当てはまったので、即決したお部屋。
ご近所に挨拶に行くべきか悩み中。。。


■再会■
ジャカルタ時代の開発業界の大先輩で現在アフガン赴任中のYさんとランチ。
日曜日のランチって、東京では予約しなきゃいけない上に、予約、なかなか取れないもんなんですね。。。
あまりに予約とれなくてビックリ。。。
でも、ヘルシーでユニークな菜食コースを食べながら、色々とお話できて楽しかった!
アフガンの写真を見せてもらって、ますます中東への興味がアップ。
建築物とか都市のつくりとか、やっぱりとても素敵に見える。
でもYさんはそろそろ脱イスラム国家したいそう。
うん、たしかにそれはなんとなく想像がつく。笑
Yさん、今日はありがとうございましたー!またご帰国の際に是非お話聞かせてください!

■回顧録■
先日のヨーロッパの写真をちらりと。

market


空港まで同僚のVが迎えに来てくれて、まずはこのマーケットの近くに住んでいる友だちのところへ荷物をおかせてもらって、中心地散策!
フォトグラファーなVの友人だけあって、お友達もアーティスト揃い!
このマーケットの近くは移民が多いそうで、そのお友達数人は移民の人たちをテーマにドキュメンタリーを撮っているらしい。というわけで、異常にアフリカ系の人との交遊が多かった初日。笑
撮ってる彼らはヨーロッパのいろんな国から結集してたけど。なんとなくコントラストが興味深かった。


その後はVがバイトだったので、一人で町歩き。
なんでもない街角の風景が素敵で、自転車もただ置いてあるだけなのに、テラスにあるとなんだかかっこいい!

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初のガウディ建築↓
ガウディの最大のパトロンだったパウロさんの自宅。街中で平日に暮らすためのおうちだったそう。
優雅だなぁ~

palauguell


というわけで、初日の夜はスーパーでお買い物して、家でカレー作ってVのルームメイトと3人で夕食。
ヨーロッパは今の時期、とっても遅くまで明るいんですね。びっくり。
だって、夜の9時とかでもまだ明るいんです。完全に感覚がくるってしまいました。笑
ミャンマーのサイクロン、中国の地震。
私のこの2年間は同じように自然災害の被災地だったこともあり、ニュースが気になる。

ミャンマーはアチェを思い出す。
アチェも津波・地震前は紛争地だった。それがあの災害を機に外からの援助を受け入れ、和平へも大きく前進した。ミャンマーも軍と民の間に火花が散っている。
しかし、その後のニュースでも、状況改善のニュースは入ってこない。

中国の地震はジョグジャを思い出す。
中国の映像を見ていたら、学校建築がたくさん壊れていた。ジョグジャもそうだった。
日本では避難場所に指定されるはずの場所なのに、かえってそうした空間が危険だという状況。
自然災害だけでなく、脆弱な建築物による人災。


今やっている仕事も途上国での耐震関連ということで、なんだかやるせない。
ご冥福をお祈りしますという言葉、もういやだ。決まり文句にしか聞こえない。
せめて、被災地が今後、一日も早く生活の基盤が築けますように。




このゴールデンウィーク、ほんの数日というもったいないスケジュールで急遽ヨーロッパへ飛んできた。
目的は会いたい人たちに会うため。

アチェで姉妹と呼ばれていた片割れにバルセロナで再会。
彼女もぐんぐん頑張っていた。そして彼女の絶妙なセンスは相変わらず健在だった。

建築(一応、大学・大学院と専攻。)と出会った時に憧れたガウディにもバルセロナで。

なんのきっかけからか知った今度の会社の先輩でもあり、開発業界の先輩にジュネーブで再会。
人をもてなすやさしさや、ぶれない目標を追求する強さが伝わってきた。

とにかくもう一度会いたかったあの方にジュネーブで再会。
直感だけで私に大きなチャンスをくださったあの方に、あの一粒の種のその後をちゃんと報告してお礼をしっかりと伝えられた。そしてまた胸を熱く、数年後の明日を想った。




東京で住む家も決まった。
これもすごい絶妙なタイミングで。
ちょっと部屋は狭いけれど、遊びにきて下さる方、大歓迎です。


新たな生活に向けて、まだバタバタしているけれど、とにかく今回のヨーロッパ行きでこの2年にもちゃんと区切りがつけられたし、あとは前みて進むのみ。


ちょっとテイスト違いですが、ヨーロッパの写真もちょいちょい載せるかもです。
って、いつこのブログ終わるのでしょうか。。笑