先週、主人との離婚に際してお願いしている弁護士さんの事務所から電話があり、「郵便物を送っていいですか?」と。

届いたものは、この3月に主人に示談金を私が払ってでも離婚したいということを伝得てもらった結果、その条件を飲むということになったのです。

ただ、私がお金を払うという、なんとも理不尽な結果ですが、子どもの学費の折半という条件と思えばいいかなと思って、示談金の提示をしたのです。

本来なら、生活費など相手からいただくのが本当なのですが、お金をもらうことでまたあちらの有利な条件に立たされるのはごめんですから。

これで離婚届けが来て、役場へ提出出来たらお金を振り込んで、解決します。

今日は台風が来ると。

出勤したが、昼休みに周りから「電車が動かなくなる前に帰った方がいいよ」との声が上がり、帰ってきました。

帰ってきてから激しい風にびっくり。

建物も揺れるのです、雨風で。

この状態だったらおそらく帰るころに雨風のピークは終わったけど電車が動かずという状態だったかもしれません。

停電したところもあったようですが、私のいるところはなかったのでよかったよかった。

 

だけど、有休が少なくなっちゃったのが悲しい…。

生きることが気づいたときから辛かった。

たぶん4歳5歳あたりから。

けど、なんで生きづらいのかという理由に気が付いていなかった、いや、気づいてしまう怖さで重たく丈夫な蓋をしていた。

そんな重たく丈夫なふただったから開けたとたんに恐ろしいほどのガスが爆発したかのごとく、その理由がのしかかってきた。

本当なら幼いころにその蓋をかすかにでもあけておけばよかったのかもしれない。

得体のしれないものがたくさんわいてきて、自分一人では処理できなくて。

蓋をあけたのは私、それを気づかせたのはカウンセラー。

もう十数年前のこと。

それから二人三脚のようにし、常に伴走してくれたカウンセラーは突如として私から離れざるを得なくなった。

過去を見るよりも未来を見ることの方が賢明なのはわかっている。

けど、見て見ぬ振りをした代償は今になって苦しい思いとなっている。

 

私のことを見てくれた人にありがとうと言いたい。

もうここでおしまい、そういいたい。

何もかもおしまいにしたい。

別に私がいなくても世の中はまわる。

もし私がここからさようならができたとき、ずっと心の中のどこかに私という一人の人間が残ってくれたらと。

でも、忘れられていくだろうな。

あっさりとバイバイって言って、次に向かうことができるんだろうな。

 

もう本当にここでおしまいにしたい。

もういや。

なにもかもいや。

誰か今すぐに私という人間をピリオドさせて。